【コラム】中国単信(53)

中国人の思考様式――「国罵」

趙 慶春


 科学技術がいかに進歩しようと、国土風土がどのように異なろうと、世界中の民族から人を罵る言葉が消えることはないだろう。中国も例外ではなく、誰もがよく口にする罵り言葉を「国罵」と言う。
 日本には「国罵」という言葉そのものはないようだが、誰もがよく使う「罵り言葉」は間違いなくある。
 そこで、先ずは中国の「国罵」を見てみよう。

 中国の代表的な「国罵」は「他妈的」あるいは「你妈的」だが、本題に関わるので後述することにして、最近、インターネットや若者のあいだでよく使われている「国罵」を紹介する。

 1.「SB」。ソフトバンクにあらず。中国語で「shabi」(シャアビ)と発音する。「sha」は漢字では「傻」で、「頭がおかしい」「おろか」「馬鹿」という意味、「B」には漢字がなく、女性の下半身を指す。
 2.「丫的」。これは北京を中心に使われている。「yade」(ヤアダ)と発音する。または「丫頭養的」(yatou yangde ヤアトウ ヤンダ)とも言う。「丫頭」の本来の意味は「若い女の子」「小間使い・お手伝い」だが、罵り言葉としては「妾」のことである。「丫頭養的」の「養」は「生まれる」の意味で、「妾が生んだ者」、あるいは「隠し子」といったニュアンスが込められている。

 さて冒頭で触れた「他妈的」であるが、「ta made」(タア マアダ)と発音して、「国罵」中の「国罵」である。そのまま日本語に訳せば「彼のお母さんのもの」だが、これでは罵り言葉にならないわけで、次のような似ている表現で説明しよう。

 「操你妈」(cao ni ma ツアオ ニイ マ)がそれで、「你妈」とは「あなたのお母さん」の意味、「操」は動詞で、ここでは「ファックする」の意味である。

 上記の数例を日本語に訳す場合は「バカヤロー、こんちくしょう、くそったれ、死んじまえ」等々、いわゆる罵詈雑言の類を当てはめることになる。

 非常にきわだった特徴は、数例でわかるように、中国の「国罵」には基本的に「性」と「血縁」に絡んで侮辱する言葉が多いということである。

 日本の罵り言葉では、たとえば中国流に言えば「国罵」中の「国罵」になるだろう「馬鹿」「バカヤロー」などは、その語源には諸説があるようだが、何よりも中国の秦時代の「指鹿為馬」(鹿を指して馬と為す)を連想させられる。
 秦の二世皇帝の時、宦官の趙高は権勢を振るっていた。趙高は自分の権威を見せ付けるため、ある日、鹿を皇帝の前に引っ張り出した。趙高は「これは馬だ」と断言したところ、皇帝は馬ではなく、鹿だと間違いを指摘したにもかかわらず、臣下たちは趙高の権勢を恐れて、皆「馬だ」と言いつのり、少数の「鹿」と言った者たちは、その後処刑されてしまった。これが日本の「バカヤロー(馬鹿野郎)」の由来とされている。
 ほかには「バカ」はサンスクリット語の「無知」「迷妄」を意味する、「baka」「moha」を語源としているとも言われている。

 日本の罵り言葉は相手の「外見」「能力」「品位」「特徴」などを侮辱するものがほとんどのようで、ここにも中国の「家族型」と日本の「会社型」からくる違いがあるのではないだろうか。

 2016年のことだが、一つの実に小さい出来事が中国のネット上で大きな反響を呼んだ。
 30歳前後の女性が家族数人としゃぶしゃぶを食べに行った際、そのテーブルの担当従業員は19歳の少年だった。食事が半ばを過ぎた頃、客の女性が担当従業員を呼んで、鍋にお湯を足して欲しいと頼んだ。ところが、従業員の少年は女性客からそれまでにもあれこれ頻繁に呼びつけられていたため嫌気がさしたのか、忙しくて手が空いていなかったのか、鍋のお湯はまだ充分だったのか、理由は定かではないが、お湯は注ぎ足さなくてもいいのではないかと応えたようである。

 従業員のこの対応は決して良いとは言えない。女性客も不快感を覚えたようで、「足してと言っているのだから足しなさい。なぜ客の言うことを聞かないの」と迫ったらしい。

 この些細なことから二人は口論となり、客としての優越心からか女性客が「国罵」とおぼしき言葉を相手に投げつけたようである。すると従業員の少年は待つように言い置いて、個室を出て行き、やがてお湯がたっぷり入った鍋を持って個室に戻ってきた。ところが従業員の少年は予想外の行動に出たのである。なんとその鍋のお湯を女性客の頭にかけたのである。一瞬の出来事で誰も止められず、レストランは修羅場と化した。女性客は重度の火傷を負い、以前の容姿には永遠に戻れないと医者から宣告されてしまった。

 従業員の少年は逮捕されたが、少年は「彼女が自分の母親を侮辱したからやったまでで、自分に非はない」と主張し続けたという。事件後、少年を非難する声が多くあがる一方、「客だから何を言っても良いわけではない」と少年を擁護する声も少なくなかった。

 この出来事からは、中国人の民族性がよく見える。確かに正面切って「国罵」を投げつけられたら、怒らない中国人はごく稀で、「血縁」への侮辱に中国人は耐えられないところがある。

 「家族型」と「会社型」社会の相違点は人間関係を表わす呼称などにも顕著に表れる。
 たとえば日本語に「先輩」「後輩」という言葉がある。これに似ている表現で、中国語には「長輩」「晩輩」がある。「長輩」は自分の父親や祖父世代、つまり世代的に自分より上の人を指す。「晩輩」はその反対で、世代的に自分より若い人を指す。日本語の「先輩」「後輩」が、おおむね組織上に基づいた言葉に対して、中国語の「長輩」「晩輩」は明らかに家族的な長幼の秩序に従っている言葉である。

 また血縁に関する呼称も日本とは大きく異なり、豊富かつ複雑、厳密である。
 三つのパターンに分けて、日本の呼称と比べてみよう。

 1.中国では、父系と母系が明確に分かれていて、一目瞭然である。
  たとえば日本では、「お爺さん」「お婆さん」
      中国では、父系→「爷爷」(父の父)、「奶奶」(父の母)
           母系→「姥爷」(母の父)、「姥姥」(母の母)
      日本では、「おじさん」「おばさん」
      中国では、父系→「伯父」(父の兄)、「叔叔」(父の弟)、「姑姑」(父の姉妹)、
              「伯母」(父の兄の嫁)、「婶婶」(父の弟の嫁)、「姑父」(父の姉妹の夫)
           母系→「舅舅」(母の兄弟)、「姨(姨母)」(母の姉妹)、「姨夫」(母の姉妹の夫)、
             「舅妈」(母の兄弟の嫁)
  さらにこれらの呼称に「大、二、三・・・」などを加えて、「兄弟・姉妹」の順番までしっかりわかるようになっている。

 2.日本の呼称は曖昧で、男女さえ区別できない場合がある。
  たとえば「孫」である。
  中国語は「孙子」(息子の息子)、「孙女」(息子の娘)、「外孙子」(娘の息子)、
      「外孙女」(娘の娘)と分けて、父系・母系と男女の違いが明確である。
  また日本では「いとこ」は、それ以上の血縁関係を示す言葉は日常生活では使わず、すべて「いとこ」である。
  中国語は「堂兄、堂弟、堂姐、堂妹」(父系いとこ)、「表兄、表弟、表姐、表妹」(母系いとこ)が日常でも使われる。

 3.日本語にはない親戚の呼称が少なくない。数が多いので、絞って紹介しておこう。
  「二姨姥」→ 母の母の姉妹の中で二番目の者
  「大舅爷」→ 父の母の兄弟の中で一番目の者
  「大舅姥爷」→ 母の母の兄弟の中で一番目の者
  「内弟」(「小舅子」)→ 嫁の弟
  「连翘」(「连襟」)→ 嫁の姉妹の夫
  「妯娌」→ 夫の兄弟の嫁

 筆者は日本に住む親戚の中国人が日本人と結婚するとき、互いの親族紹介を通訳した経験がある。そのとき痛感したのは、日本の親族の呼び方だけでは婚姻関係、血縁関係がよくわからないことが多く、逆に中国人の呼称を日本語に翻訳すると、表現しきれない部分が多くあり、すっきりしないということだった。

 中国社会の基盤はやはり数多くの家族であり、その集合体の「家族型」が社会を形成しているのである。血縁関係に基づいて社会へと広がっていく人間関係では、どうしても婚姻関係、長幼関係、遠近関係をしっかり把握する必要がある。一方、「会社型」の日本では、血縁関係、婚姻関係の重要度は中国より低く、ある程度区別できれば充分で、「厳密さ」をそれほど求める必要はないと言えるだろう。
 中国人が血縁関係の呼称を厳密にした理由は、実はほかにもある。たとえば遺産継承の序列、血縁内で結婚が可能となる範囲の明確化のためなどである。

 (女子大学教員)

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