【コラム】中国単信(54)

中国人の思考方法 ―― 僧侶が結婚?

趙 慶春


 2015年に石原さとみ、山下智久が主演したテレビドラマ「5時から9時まで 私に恋したお坊さん」は、平均視聴率11.71%と「月9ドラマ」としては悪い数字ではなかった。このドラマは海外向け放送はされなかったのだが、中国では「日本ではお坊さんが結婚するとは。戒律無視もいいところだ」というネット上の書き込みが多数となった。日本の仏教界を知らない中国人の書き込みだったのだが、実は筆者も同じような思いをした「経験」があった。

 今から十数年前、東京の西部地域に住んでいた頃のことだが、小学校高学年だった息子が学校から帰宅して、ふと「ぼくのクラスの子のお父さんね、お坊さんだよ」と言った。私はとっさに「何かの間違いだろう。お坊さんは結婚しないし、子どもを持つことなんてできないはずだぞ」―― 確かに中国の仏教戒律ではこうだった。

 しかし、息子は真剣そのもので「本当だってば。駅のそばにある、あのお寺だよ。ぼく遊びにも行ったし、苗字も一緒だった。お坊さんのお父さんにも会った」と言うのだった。その場はそれで終わったのだが、腑に落ちない筆者は後日、子どもが言っていたその寺に実地検分とばかりに出かけていった。

 子どもの話は本当だった。寺の裏側は住まいとなっていて、子どもや女性の洗濯物が干され、奥さんらしき女性が庭で幼い子どもと遊んでいて、その近くでは、当の僧侶が落葉を掃いていた。ちょうどそこへ小学生が下校してきて、「お父さん、ただいま」と言ったのである。
 一瞬、筆者に衝撃が走った。日本では僧侶が結婚できるという事実を目の当たりにしたからだった。

 その後、日本の僧侶の事を気にし始めると、中国人的発想からすると「不可解」な情報がいくつもあることを知った。婚活に参加する僧侶、女遊びが過ぎてトラブルを引き起こした僧侶、風俗通いをする僧侶、セクハラ僧侶に不倫僧侶といったように女性絡みの不祥事に僧侶も一般人と同様にかかわっていて、中国ではすべて戒律違反であり、間違いなく僧籍剥奪処分となるものばかりだった。

 日本の仏教界はいったいどうなっているのか。日本の仏教戒律は中国とは異なっているのか。知人の仏教研究家にも聞いてみると、犯罪行為は別として、女性との性交渉や結婚は流派によって異なるものの、むしろ「できる」流派のほうが圧倒的に多い、というのである。

 日本は江戸時代から明治時代に入ると、政府は仏教界に対してそれまでの禁欲的、抑制的な戒律からの解放を率先して実行し、明治5年4月25日に太政官布告第133号「僧侶肉食妻帯蓄髪等差許ノ事」を布告した。僧侶の妻帯や肉食、髪を伸ばすことなども法的に許可するというもので、これによって日本では、僧侶が一つの職業になっていくことになった。

 しかし、インドから中国へ伝わった仏教がやがて中国から日本に入り、同じ「源」を持っていたことで、それなりに共通点が多くあったわけで、それにもかかわらず、明治以降の日本の仏教と中国のそれとでは、大きな違いが生まれた。ここには単純に「戒律」の問題だけでなく、やはり文化的な側面も大きく影響していたように思える。

 そこで幾つかの言葉から文化的相違を見てみよう。

●「出家」
 「出家」とは、人間が持つ五欲の食欲、物欲、色欲、名誉欲、睡眠欲を始め、たくさんの煩悩を断つために仏門に入り、悟りを得ようとすることだが、日本に最初に「戒律」をもたらしたのは中国の鑑真和上であり、「出家」という二文字は中国の仏教意識に基づいた言葉と考えるのが妥当だろう。

 中国語の「出家」は仏門に入ることであり、文字通り「家を出る」ことを指し、「家から離脱する」ことである。つまり、仏門に対するのが俗世間であり、この俗世間とは中国では「家」を指すことになる。この発想は中国の「家族型」社会の特質を示している。

 「家」は人類繁殖、世代継承の場であり、「生育」の場である。「生育を断つ」ことは「出家」に伴う象徴的な行為にほかならない。だからこそ、おのずと性交渉や結婚を禁ずる戒律が生まれた。

 一方「会社型」の日本では、「俗世間」とは現代では一般社会、職場であり、封建時代では武士、農民、商人などが暮らす社会そのものであって、必ずしも「家」とは結びつかない。

 仏門に入るとは、この「社会」の秩序から離脱することで、「家」との繋がりを絶たなければならないわけではない。別の「活きる道」を選択したに過ぎず、言い方は適当ではないかもしれないが、

 「転職」したようなものではないだろうか。日本にも「欲」を断ち、悟りを求めて厳しい修養を積む高僧が存在することは否定しない。

 ただ一般の日本人が考える「仏門に入る」では、たとえ「出家」と呼んでも、中国で使う意味での「家との関係を断つ」、生育・世代継承の前提となる「性交渉」や「結婚」を断つという発想は比較的薄いのではないだろうか。日本の戦国時代に、戦死した夫の菩提を弔うために妻が出家するという例は少なくなかったし、現在ではサラリーマン僧侶が存在し、一つの職業になっていることなどはその証左と言えるだろう。

●「出世」
 中国語では「出生」「誕生」を意味する。日本語の意味としてよく使われるのは「社会で抜き出ている」「社会でずば抜けた業績をあげる」「明るい未来が期待できる、あるいは約束される」といったものである(中国語と同様に「誕生」を意味する場合もあるが)。
 日本の「出世」は「会社型」の社会意識に基づいた使用が多く、中国の「出世」は完全に「家族・家庭」型の発想に基づいていることは明らかだろう。

●「出軌」。
 日本語ではあまり知られていないが、「列車などの脱線」という意味である。中国語でも同じ意味があるが、最もよく使われている意味としては「男女の不倫」である。

 「軌」とはもちろん「軌道」のことで、その「軌」から「出る」、つまり「脱線」することである。それが「不倫」の意味になるということは、「正常の夫婦関係」「正常の家庭関係」から「外れる」ということであり、この言葉の使い方からも、中国がいかに「家庭型」社会であるかが、窺えるのである。

 (女子大学教員)

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