【アフリカ大湖地域の雑草たち】

世話するより、世話されている――ネコのC、その後

大賀 敏子

 診断
 
 口腔ケアは、これを怠ると重篤な疾患を招くことがあり、人の健康管理に決定的に重要だと言われる。ネコも同様だ。とくに年配の場合は。
 Cはケニア生まれの雄ネコで、年齢は10歳だ。ケニアからタイへ、タイからケニアへと二度の海外旅行経験がある(ペットの海外旅行については、オルタ広場2020年11月の拙稿をご覧いただきたい)。
 ケニア人主治医に「10歳になったから、定期検診は半年ごとではダメで、次は3ヶ月後に来てください」と言われたばかりのときだった。ふと、Cの食が細くなった。が、2、3日で回復した。2、3週間してまた食欲が低下した。が、ほどなく回復した。
 定期健診を待って診察を受けた。「歯肉炎」と診断された。
 
 そうとう痛かったはず
 
 治療方針はこうだ。まず、通常どおり血液検査をしよう。結果が良く全身状態が許すなら、口腔クリーニングをするが、ネコはじっとしていないので、全身麻酔が必要だ。場合によっては抜歯もありうる。
 血液データが良好だったので、診断から2週間後、改めてCをクリニックに連れて行った。通院の繰り返しと全身麻酔に備えた絶食(後述する)とで、Cはすっかり不機嫌だ。ところが、そこで筆者は、早々に追い返されてしまった。処置を受けるCを、獣医の肩越しに見守るつもりだったのは、医療現場を知らぬシロウトの発想だった。麻酔から覚め、容態に応じて入院が必要か帰宅できるかを判断し、連絡すると告げられた。費用負担を確認し結果責任は問わない、などといった趣旨の書類を示され、求められるままにサインした。
 幸い、その日の夕方に帰宅を許された。年齢、体質、なかでも処置中の血糖値上昇(Cは糖尿病の病歴がある)が不安材料だったが、許容範囲内だったとのこと。右奥歯の一つを抜かれてしまった。
 食欲不振の原因は噛めなかったためで、「そうとう痛かったはず」とのことだ。
 
 絶品の微笑み
 
 全身麻酔に先立つ絶食のため、前日深夜零時から飲食物のトレイを隠した。
 普段のCは、食べたり遊んだり、眠ったり、目覚めてまた食べたりと気まぐれで、食事に対する作法や礼儀はいっさいない。ところがその朝は、食事が見当たらないのでどうしたか。いつもならトレイがある場所に座って、筆者のことをじっと見つめる。それも背筋をピンと伸ばし、最高にお行儀のよい、人で言えば絶品の微笑みともいえるような、そんな態度だ。心を鬼にして無視した。
 小学校で読んだノンフィクションを思い出してしまった。第二次世界大戦中の上野動物園で、戦時猛獣処分の命令を受け、動物たちを餓死させた。ゾウたちは、芸をすればエサがもらえると心得ていたので、習い覚えた芸を必死で続けながら餓死したという話だ。
 
 普段とはおよそ別もの
 
 抜歯のその夜、麻酔から完全に覚めたCは、隠れてしまった。痛みが強かったのか、あるいは、一本の歯がなくなってしまったことからくる、極度の不快感だったのか。ネコは一般に、体調不良のとき、人目につかない、暗く狭い場所に隠れることで、外敵から自分を守ろうとする習性があるという。
 隠れたのはベッドの下だった。そこは経験上、Cが楽しくないときに行く場所だと分かっている。たとえば、獣医に連れて行かれそうだと気づいて逃げ込むとき。あるいは、筆者が旅行に出ようとするのに―スーツケースを持っていることで察知する―抗議の意思を表わすとき。下からじっと見上げてくる。
 この夜のCはお尻を向けてうずくまるばかりだ。苦痛にじっと耐えていたのだろう。助けを求めることもなく、泣きわめくこともなく。それは、甘え上手で、筆者の気を引くことに余念がない、いつものCとはおよそ別の存在だった。
 呼吸のたびに上下する背に手を置いた。平穏な日常はあたりまえではない、奇跡なのだと痛感した。
 
 予防策はあったのに
 
 ネコはチョコレートやクッキーなど歯に悪いものを食べない。それでも歯垢がつき歯肉炎につながることがあるので、定期的なチェックと毎日の歯磨きが大事だとのこと。しかし、筆者はこのような予防策を怠ってきた。もっとも、Cは、口をあんぐり開けたままでいてくれるほど穏やかな性格ではないし、仮に開けてくれたとしても、筆者に疾患を見つけることができたかどうかは疑わしいのだが。
 
 あなたってダメね
 
 上述のようにCは糖尿病の病歴がある。在タイ中のことだ。あのときも筆者は無知かつ無防備で何も気づかず、「内科専門医に見てもらった方がいい」と進言してくれたのは、皮膚科専門の獣医だった。これがなければCはいま生きてはいない。命の忠告だった。
 毎日2回のインシュリン注射と毎月の一泊入院(グルコース・モニター)を一年あまり続けた。なかなか回復しなかった。入院のたびに付き添ったが、あのころの不安は、深夜の動物病院の廊下とエアコンの音とともに、記憶に残っている。
 だというのに、また、だ。慎重なつもりでいたが、「あなたは自分が思っているほど賢いわけじゃない」と、Cは改めて教え諭してくれているようだ。Cの世話をしているのではない、筆者が世話をされているのだと感じるのはこういうときだ。
 その後の再診で経過は良好とのこと。これを書く横でCは毛づくろいに忙しい。

画像の説明
写真1:生後1週間     写真2:フライト中     写真3:10歳
 
 ナイロビ在住
 
(2024.3.20)
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