【オルタの視点】

世界一幸福な国(デンマーク)と53位の日本
~その違いはどこにあるのか

白井 和宏


◆◆ 「すべり台社会」と「メリーゴーラウンド社会」

 日本はGDP世界第3位の「大国」だ。それなのに、なぜ人々の生活は不幸に満ち溢れているのだろう。子どもの貧困、保育所の不足、高額な学費と奨学金返済、長時間労働による過労死、介護離職、老後破綻…。生まれてから死ぬまで苦労の連続だが、日本人は「しかたがない」と諦めきっているようにも思える。

 しかし他方で、世界には、幸福な国で暮らす幸福な人々もいる。様々な機関が行う「幸福度調査」において、常に上位にある代表的な国が、デンマークとオランダである。
 両国とも面積は九州と同じくらい。人口もデンマークが570万人、オランダが1,650万人と、中小規模の国である(日本の人口は世界10位の1億2,700万人)。 デンマークの場合、出産費用は無料。保育園の待機児童ゼロ。公立の小中学校の学費・教科書代も無料。大学はすべて国立で無料。医療や介護も無料だ。労働時間は短く、老後の不安もない。生活苦から解放された人々は、何を感じるのか? デンマーク人は「自由」と答える。

 「自分の生活を変える自由があれば、人は幸福になれるのです。自分の人生はコントロールできるという意識を持てれば幸せになれるのですよ」「デンマーク人は自分たちが自由な世界に生きていることを強く意識していると思う。だからこそ国民は幸せなんだ」[注1]

 確かに彼らは「自由」だ。かつて湯浅誠氏は、日本の社会構造を「うっかり足をすべらせたら、すぐさまどん底の生活にまで転げ落ちてしまう“すべり台社会”」と表現した[注2]。それに倣えば、デンマークやオランダは「メリーゴーラウンド社会」と言えるかもしれない。一度、職場や学校を離れても、復帰することも、あるいは別の場での仕事や学習も可能だからだ。その違いを知った多くの日本人は、まるで「別世界」であるかのように感じ、日本人に生まれたことの不運を嘆く。

 果たして、両国と日本とは、何が異なり、その違いはなぜ生じたのか。鍵となるのが、①仕事(労働時間、労働生産性、雇用条件)と、②税負担、である。それらの高低・多寡が、幸福度ランキングと連動しているからだ。両国の違いを分析した上で、これからの日本の方向性を考えてみたい。

◆◆ 幸福度はデンマークが1位、日本は53位

◆(1)国連の調査
 国連は、「世界幸福度報告書(World Happiness Report)」を2012年から公表している。この幸福度ランキングは、1人当たりの国内総生産、社会的支援、健康寿命、社会的自由、寛容さ、汚職の無さなどの指標に沿って、「幸せの質」を数値化し、比較したものである。それによると、世界約157カ国中、2016年版の1位はデンマークだった(2017年版の1位はノルウェー)。上位10カ国の構成は2016年、17年とも同じで、両国以外にはアイスランド、スイス、フィンランド、オランダ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、スウェーデンが並ぶ。米国は13位、ドイツは16位、英国は23位、フランスは32位で、日本は53位だ[注3]。

 日本の場合は、教育や就職、働き方などで社会的制約がある上に、子どもの貧困や少子高齢化が進み、社会的不安が増加していることが幸福度を下げている要因だという。しかも「男女格差」においては世界111位であり、とても「先進国」とは名乗れない[注4]。

◆(2)ユニセフの調査
 ユニセフが発表している子どもたちのための公平性─先進諸国における子どもたちの幸福度の格差に関する順位表」(2016年4月刊行)でも、1位デンマーク、2位(同位)スイス・ノルウェー・フィンランド、6位オランダと上記の10カ国中5カ国がランクインしている。この報告書は「所得、教育、健康、生活満足度」の4項目の格差を順位づけしたものだが、「生活満足度」においてはオランダが1位であり、「子どもの幸福度1位はオランダ」とも言われる。日本は「健康」と「生活満足度」についてのデータがないため順位づけされていないが、「所得の格差」は34位、「教育の格差」は27位と、調査対象となった全41カ国中でも極めて低い[注5]。

◆(3)子どもの貧困とは、親の低賃金・長時間労働問題
 さらに具体的な事例を見てみよう。例えば、OECD諸国[注6]における「ひとり親世帯の相対的貧困率」[注7]を比較すると、日本は55%を超え、ダントツ1位である(グラフ参照)。日本のひとり親世帯の就業率は85.9%と最も高い。それにもかかわらず貧困状態にある、いわゆる「ワーキングプア」のひとり親世帯が半数以上もいるのだ[注8]。

画像の説明
  出典: 畠山勝太「“ひとり親世帯”の貧困緩和策──OECD諸国との比較から特徴を捉える」シノドス、2017年4月10日より転載

 原因の1つは、日本の最低賃金が低いためである。デンマーク1,600円、オランダ1,200円に対して、日本は全国平均で約800円しかない。しかしそれ以上に重要な日本の問題は、子育てに対する支援策が手薄いことである。学費と生活費を稼ぐため、親は低賃金で長時間、働かなくてはならず、子どもの世話をする余裕もなくなる。子どもは経済的にも家庭的にも大変な状態に置かれてしまう。結局、子どもの貧困とは親の貧困問題であり、国による子育て・教育支援策の貧困に起因するのである。

 デンマークについては、先に述べたように公立の小中学校の学費・教科書代も無料。大学はすべて国立で無料。オランダの場合、18歳未満の子ども全員に子ども手当が支払われ、さらに低所得世帯には「養育費支援のための税金控除制度」がある(しかも外国籍の親にも平等に支給される)。さらに高校までの教育費は公立でも私立でも全額、国が負担する。大学の学費はどこでも一律、20万円未満。さらに大学生の生活費は、国と親と学生(アルバイト)で3分の1ずつを負担する仕組みである。

◆◆ 「集団主義」の日本型労働がもたらした弊害

◆(1)日本はなぜ「長時間労働」なのか
 低賃金で長時間労働を強いられているのは、ひとり親世帯だけではない。2015年における「世界主要国の労働時間 国際比較統計・ランキング」によれば、年間の労働時間が2位のオランダと比べて、日本は300時間も長い。1日8時間労働として試算すれば年間37.5日も多く働いている[注9]。

  世界主要国の労働時間 国際比較統計・ランキング
画像の説明

 長時間労働は、労働者の生活を拘束し、子どもと家庭を不幸にする。それにもかかわらず、なぜ日本は労働時間が長いのだろうか。低価格で高性能の「モノ」(自動車・家電・機械部品など)を製造・輸出することで国際競争力を上昇・維持するために、低賃金・長時間労働を当たり前とする社会構造を築いてきたからだ。しかし今では富を生み出す源泉が、例えば、機械製品そのものではなく、パソコンを機能させるプログラムなどのように、「モノ」から「ソフト」に移行してしまった。

 そのためIT革命や経済のソフト化・グローバル化が一気に進んだ1990年代半ば以降、日本企業の国際競争力や労働生産性は急速に低下した。1992年に日本の国際競争力は1位だったが、2016年には26位にまで低下した。しかも少子超高齢化によって国内の需要も減少している。ところが、いまだに日本では、低賃金・長時間労働の労働モデルから抜け出せない。

◆(2)日本はなぜ「労働生産性」が低いのか
 企業内で長時間労働が「推奨」される原因の1つとして、日本における「労働生産性」の低さを指摘する意見もある。労働生産性とは、投入した労働量に対してどれくらいの生産量が得られたかを表す指標である。働き方が非効率だと労働生産性が低くなる。OECD諸国における労働生産性を比較すると、この点においてもデンマーク8位、オランダ9位に対して日本は20位だという。

 この差は何に由来するのか。主要な要因は産業構造の違いにある。労働生産性の高さ1位はルクセンブルク、2位はアイルランドである。かつては農業国だった両国の労働生産性が高まったのは、金融やITを中心とした第3次産業の比重が大きくなったためと推測される[注10]。

 しかし重要な視点として、労働者の仕事に対する「熱意(エンゲージメント)」の違いが影響していると太田肇・同志社大学政策学部教授は論じる[注11]。世界28カ国の正社員を対象にした調査によると、「熱意」が高いのはデンマーク2位、オランダ4位とここでも両国が上位に位置し、日本は28位で最下位だった。サービス残業や長時間労働の現状を見ると、日本人はいまだに勤勉な国民であるかのように思えるが、実は表面的な姿であり、生活費を稼ぐため、しかたなく働いている実態が分かる(本稿末尾に添付した資料をご覧いただきたいが、第1次産業1~2%、第2次産業20数%、第3次産業70数%と、3カ国の産業構造に大きな違いはない)。

◆(3)「組織の論理」から抜け出す
 さらに問題なのは、「全社一丸」となって働くことを美徳とする日本特有の「組織の論理」が「同調圧力」をもたらし、意思決定が「空気」でなされる「集団無責任体制」を引き起こしていると太田教授は指摘する。東芝(不適切な会計処理)、電通(過労自殺)、三菱自動車(データ偽装)など日本を代表する大企業で組織ぐるみの不祥事が相次いでいる原因はそこにあるのだ。「個人が未分化状態の共同体組織」であるために、新しい時代の要請に適応できなくなり、様々な弊害をもたらしているという。

 これを打破するには、「社員一人ひとりの雇用を、限りなく自由と自己責任を持つ自営業、自由業に近づけること」、すなわち「個を活かす『分化』の組織論」が必要と太田教授は主張する。

◆(4)個を活かす「分化」の組織論
 長々と長時間労働や労働生産性の低下について述べてきたが、それには理由がある。ここに、デンマークやオランダのように、労働時間を短縮し、自由な働き方を実現する鍵があると考えるからだ。昨今の日本では、「絆」や「つながり」の必要性がしきりに唱えられるが、「いくら組織が人を巻き込もうとしても、人間同士をくっつけようとしても、機能面ではバラバラだということがある。いや、無理に求心力を高めようと巻き込んだり、くっつけたりするから、逆に遠心力が働く。むしろ分化すればつながる」と太田教授は提案する。「個人を閉鎖的な集団から分化して人間関係のしがらみから解放すると、外部に積極的な人間関係を築けるようになる」と太田教授は語る。

◆(5)「受け身の連帯」か、それとも「自発的な共生の精神」か
 そして支援や連帯を促進する重要な営みが学校教育である。日本の教育といえば、朝礼や組体操など集団行動が特徴だ。「そこで学ばせているのは運命共同体的な受け身の連帯であり、相手の立場や気持ちを思いやり、自ら手をさしのべる態度を育てるものではない」と太田教授は日本の教育を批判する。続けて千葉忠夫氏の『世界一幸福な国デンマークの暮らし方』(PHP新書、2009年)を引用し、「欧米などの教育方針はこれと対照的で、自由な環境の中で助け合う気持ちと習慣を育てようとする。たとえばデンマークの保育園では、子どもたちが各自で家からおやつを持ってきて、それを園児たちが自発的に分け合って食べるようにしているという」。

 集団教育ではなく、個人が分化することによって、他人を助けよう、協力しようという利他的な動機が生まれる。デンマークには「共生」の精神が浸透している。幼い頃からの生活や教育を通して、デンマーク人の心に等しく「共生」の精神が根付いているという。こうした国民性が基盤にあるからこそ、次に述べるデンマークやオランダのフレキシブルな労働政策を成功に導いてきた。そしてフレキシブルな働き方によって、高い労働生産性と労働時間の短縮を勝ち取り、彼らは「自由」を拡大してきたのである。

◆◆ 「自由」の前提となるフレキシブルなデンマークとオランダの雇用政策

◆(1)雇用政策における「第3の道」
 1990年代の先進国では、グローバル化による競争の激化によって失業率が上昇した。それでも、雇用政策については、①米国型:解雇を容易にし、市場原理を徹底する、あるいは、②北欧型:雇用を保障する代わりに高い税負担を強いる、の2種類しかなかったと言われる。それに代わる「第3の道」を導入したのが、デンマークやオランダなどで推進されてきた「積極的労働市場政策」である。欧州連合の平均失業率は10%前後で推移しているが、デンマーク、オランダの失業率は6%前後にとどまっており、現在では欧州連合が目指すお手本とも言われる(日本の失業率は両国よりさらに低いが、その理由は別にあり、後述する)。

◆(2)オランダ「ワークシェアリング」
 同国はかつて「オランダ病」といわれた経済危機に瀕しており、80年代初めには失業率が12%に達した。そこで1982年に政府、企業、労働組合の協議によって締結されたのが「ワッセナー合意」である。「ボルダーモデル(あるいはオランダモデル)」と呼ばれるその合意内容は、①労働賃金を抑制し、同時に、②労働時間を短縮するが、それによって、③雇用を創出する、という政策であった。こうしてパートタイムや臨時雇用が増加した結果、世帯あたり収入は伸び悩み、共稼ぎ世帯の労組組合員が増加した。

 そこで労働組合は多様な就労形態を積極的に認めつつ、パートタイム労働者の均等処遇を求める戦略に転じた。また経営者団体もパートタイム労働に関する保護を積極的に実施した。

 1996年には、「労働時間差別禁止法」が制定され、フルタイム労働とパートタイム労働の均等待遇が法制化され、賃金、待遇、社会保険などでの差別が禁止された(勤労者保障の手当である「失業手当」「疾病手当」「就労不能手当」の財源は、企業が全額負担しており、被雇用者の負担はない)。

 昨今、日本でもようやく話題になり始めた「同一労働同一賃金」の上を行く、「同一労働同一条件」が実現したのである。

 2000年には、働く側が労働時間を選べる「労働時間調整法」が施行され、労働者が雇用主に労働時間数の増減を要請できるようになった。2002年には仕事と家庭を両立させるための育児・介護休暇、長期休暇制度が整備された。ただし、労働者が有期契約の対象となっている日本と異なり、オランダではほとんどの場合、雇用期限が定まっていない。その代わりに、賃金、賞与、休暇、失業保険、年金など、あらゆる側面において、時間比例の形でフルタイム就労者と同じ権利が保障されている。すなわちオランダでは誰もが「正社員」であり、パートタイムとは「短時間正社員」と呼ぶことができる。

 こうして、育児や介護など、ライフスタイルに応じて働き方を自由に選択できるようになったことで、カップルのうち1人がフルタイムで働き、もう1人がパートタイムで働く「一家2分の1稼ぎ主モデル」が定着し、失業率も低下した上、出生率も1980年代には1.5を切ったが、1.7まで回復している(日本の出生率は1980年代には1.8程度だったが、2015年には1.46となった。2.05を上回らないと人口を維持できないとされる)。

  オランダにおけるパートタイム労働の割合(就業者内、%)[注12]
画像の説明

◆(3)デンマーク「フレキシキュリティ」
 1990年代に社会民主党のデンマーク首相ポール・ニューロップ・ラスムセンが提唱した新施策のキーワードが「フレキシキュリティ」である。「柔軟性」を意味する「フレキシビリティ(Flexibility)」と、「安定、保障」を意味する「セキュリティ(Security)」を掛け合わせた造語だ。労働市場の流動性と、労働者に対する社会保障の2つを組み合わせた政策を指す。すなわち、柔軟な労働市場を整備することで労働力が成長産業に移動しやすくするとともに、手厚い社会保障で労働者の生活の安全を守る政策である。

 こうした「黄金の三角形(ゴールデン・トライアングル)」と呼ばれる労働政策の具体的な特徴は、①解雇しやすい柔軟な労働市場、②手厚い失業給付、③充実した職業訓練プログラム、にある。産業構造の転換を進めやすくするために、解雇規制を緩和し、それと同時に、手厚い失業対策を講じて労働者の不安を取り除いたのである。

 解雇されても失業給付期間は、最長で4年ある。失業給付のレベルも、前職の手取り所得の63~78%に及ぶ。低所得者層に対しては、89~96%という手厚さだ。(日本は最長で11カ月、前職の手取り所得の50~80%)。
 ただし、失業者が働かないまま失業給付に頼り続ければ、社会支出はかさむ。そこで、デンマークは、失業手当を受け取るための条件として、職業訓練プログラムへの参加を義務づけ、失業者のスキルを高めて再就職を促す仕組みを整えたわけである。

◆(4)日本における「ワークシェアリング」導入への課題
 日本でも以前から「ワークシェアリング」導入の可能性が議論されてきたが、遅々として進まない。「組織の論理」に則って仕事をしてきた労働者にとっては、「空気」が読めないヨソ者と仕事を協同することに抵抗感がある。また日本企業の場合、個々人の職務が明確でないため、他人と仕事を分け合うことが難しいという課題もある。その上、給与が減少する危惧もある。

 他方、企業にとってはパート社員に正社員と同一の賃金(さらには手当や保険)も保障しなければならない上に、果たして労働生産性が上がるのかという疑問もつきまとう。

 結局、日本政府は、「働き方改革」を提唱する一方で、残業時間の上限規制を「繁忙期は月100時間未満」にすることを決定した(2017年3月に、安倍首相と日本経済団体連合会の榊原会長、日本労働組合総連合会の神津会長と首相官邸で会談を行って決定された。オランダの「ワッセナー合意」と真逆の方向だ)。これでは労働時間の短縮どころか、過労死の問題も解決できない(過労死の認定基準は、一般的に、時間外労働月80時間が6カ月間継続した場合)。

◆(5)日本が「ワークシェアリング」に取り組まない理由(失業率が低い本当の要因)
 日本の失業率は2000年代初頭には5%を超えていたが、徐々に低下し3%前後で推移している。しかし決して、アベノミクスのおかげではない。もしそうなら就業者数が増えるはずだが、すでに就業者数は減少し始めているからだ。先に述べたように、国際競争力や労働生産性が急激に低下しているにもかかわらず失業率が改善したということは、少子高齢化により、15歳以上65歳未満の生産年齢人口が減少しているためと考えられる。日本の生産年齢人口は1995年がピークで、それ以降は減少し続けている。生産年齢人口の減少は、そもそも「働ける人がいない」状況をもたらす。不況の時期ですら慢性的に人が足りない、という事態になりかねない。

 現在、運輸業、飲食業、建設業などでは慢性的な人手不足が起きている。雇用する側とされる側の要望(仕事内容、労働条件等)が合っていない「ミスマッチ」が起きていることが背景にある。現実に日本で雇用が伸びているのは介護分野だけである。むろん高齢化により需要が拡大したからである。これが日本の失業率が低い理由である。そしてこれまでは失業率が低いが故に、政府・企業・労働組合のいずれも本気になって「ワークシェアリング」の導入を推進して来なかった。

 しかし低賃金・長時間労働を続ける限り、労働意欲・労働生産性の低下→ さらなる長時間労働→ 子育て・介護の困難さ→ 単身・未婚者の急増→ 出生率の低下→ 少子超高齢化(生産年齢人口の減少)→ 一億総貧困化という悪循環から抜け出すことはますます不可能となる。

 結局、日本における人口減少と財政破綻、あるいは世界同時不況を待つしか、改革のチャンスは来ないのだろうか。しかしその時ではすでに手遅れなのだが。

◆◆ 「高福祉高負担」のデンマークとオランダ、「低福祉高負担」の日本

◆(1)社会保障費の比較
 スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークなどの北欧諸国は世界で最も福祉サービスが充実していると言われてきた。実際、世界主要国の「1人当たり社会保障費」(2013年)を見ると、北欧諸国が10位以内にあり、デンマーク4位、オランダ11位。日本は18位である[注13]。

 ここでいう「社会保障費」とは、当該国の社会保障支出総額を国民1人当たりに換算した値であり、高齢者介護、年金、医療費、雇用促進、失業手当、生活保護など公的な支出をすべて含んでいる。1人当たりの金額では、おおよそデンマーク158万円、オランダ124万円、日本104万円となる(1ドル110円で換算)。

  1人当たり社会保障費(2013年) 単位USドル
画像の説明

◆(2)高齢化率と社会保障費の支出
 一見すると、日本の社会保障費もそれほど少ない額ではないように思える。しかし、高齢化率(65歳以上人口の比率)を比較すると、日本が1位で26.34%、デンマークは12位で18.95%、オランダ18位で18.23%と、日本は群を抜いている。つまり日本の場合は、福祉サービスを向上させたことで支出が増えてきたわけではなく、高齢者増に伴い自然に支出が増えてきたといえる[注14]。

 その上、日本は、今後もさらに高齢化が進む。年金・医療・介護に対する費用が、2013年には110兆円だったが、2025年には約146兆円にまで膨らむと予測されている。他方、日本では、社会保障を支える若い世代の人口も減少傾向にあるため、保険料収入は落ち込む。結局、今後、負担が増える一方で、公共サービスは縮小していく可能性が高い。

◆(3)「高福祉高負担」のデンマークとオランダ
 「高福祉」を実現するためには「税収(租税負担)」と「社会保険料収入(社会保障負担)」による財源が必要であり、国民による「高負担」が前提となる。社会民主主義政権がイニシアティブをとってきた北欧諸国ではこうした考えが定着している(ちなみに財務省の発表による「国民負担率の国際比較(2014年)」によると、国民負担率の高い順に、デンマークが2位で70.7%[租税負担率69.2+社会保障負担率1.5%]、オランダが16位で52.3%[租税負担率31.1%+社会保障負担率21.1%]、日本は28位で42.2%[租税負担率25.0%+社会保障負担率17.2%])。

 「世界一税金が高い」と言われるデンマークでは、所得税が55%(市税21%・県税11%・国税23%)、消費税25%(食料品も全て25%、車の取得税は280%)である。デンマークは租税によってほとんどの公的サービスを提供しているのが特徴だ。

 40年以上デンマークに暮らす、ケンジ・ステファン・スズキ氏は、「デンマークの税金を高負担と感じたことは無い」と語っている(『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』角川SSC新書、2010年)。医療費は無料、教育費も無料(18歳以上の学生には生活費として月額7万7,000円支給)。介護も無料。育児支援・障害者支援も充実。住宅は全世帯数の25%が国営でほとんどが無料。したがって子どもが成長するまで、高校・大学進学のために必死に働き、成人後は老後の不安に備えて貯金する必要もない。子どもは18歳でみな家を出て自立する。子どもに「親を扶養する義務」はないのだ。

 ちなみに、デンマークで養老院のガイドラインが制定されたのは1952年のことだが、当時から、①部屋は個室で面積は12平方メートル、②1施設の入所者は20人、③洗面台を各部屋に設置する、と定めた。その後は、在宅ケアに重点が移り、現在では24時間、在宅でサービスが受けられる。

 他方、オランダの社会福祉の財源は主に税ではなく「社会保険料(自己負担+事業主負担+国庫負担)」によって賄われている。したがって所得税は13.15%、消費税(付加価値税)が21%(食品などの生活必需品は6%)だが、その他に高額の「国民保障保険料」を負担している。そしてそれでもデンマークとほぼ同様の公的なサービスが受けられる。

画像の説明
  オランダの低所得者向け高齢者住宅・高齢者住宅の中にあるホスピス

◆(4)「低福祉高負担」の日本
 日本は「中福祉中負担」の国と言われる。例えば平均年収400万円の場合の保険料や税金をざっくり計算してみると25.5%程度だ(健康保険5%、厚生年金保険9%、雇用保険0.85%、介護保険1.7%、所得税4%、住民税5%として試算)。しかも消費税は8%であり、負担はさほど大きくないように思える。

 しかし言うまでもなく福祉サービスの現状は極めて貧しい。一例として、「生活保護捕捉率」(生活保護を利用する資格のある人のうち現に利用している人の割合)を見ると、日本は15.3~18%、ドイツが64.6%、フランスが91.6%、イギリスが47~90%、スウェーデンが82%となっている。つまり日本では生活保護によって支給される金額以下で生活している人々が多数いるのである。それらの人々は、実際に生活保護を受給している215万人に対して、1,200万人以上になると想定される。

 さらに高齢者福祉について言えば、今後は「老後崩壊」「介護難民」が大量に生まれると予測されている。本報告書をお読みいただければ分かるように、高齢者に対するケアの質や施設も天と地ほどの差がある。

 その上、日本では生命保険・教育費・私的年金・医療費など、個人で負担しているものがたくさんある。結局、税金も含めて合計すると負担率は収入の50%を超えると予測される。実際は「低福祉高負担」の国に他ならないのだ。

◆◆ これからの日本をどうするか

◆(1)「社会的貯蓄モデル」
 そこで井手英策・慶応義塾大学教授が提唱するのは「社会的貯蓄モデル」の構築である[注15]。これまでの日本は経済成長を前提とする「自分で貯蓄」する社会だった。高度経済成長期で所得が増えていた時代のモデルである。しかし今や20年にわたって所得が落ち、みんなが困っている。それなら、みんなが税の恩恵を受け、みんなで税の痛みを分かちあえるような仕組みを考えていかないと、これからの社会はごく一部の富める者と、多数の貧しい者との対立が深まるだけである。

 そこで「子どもの教育から老後の蓄えまで、個人で貯金してサービスを市場から買うのではなく、それを社会に貯金して、みんながサービスとして受け取れるような仕組みに変えていこう」というのだ。「勤労できなくなっても、所得が落ちても、人間らしい生活が保障される社会にする。政府が、医療や子育て、介護や教育などのサービスを提供すれば、自分が病気になっても、貯金できなくても心配しなくていい」。そういう「社会的貯蓄モデル」が求められていると井手教授は主張する。

 ただし、日本では自民党から共産党まで多くの政党が増税に消極的だったり、反対してきた歴史がある。それは増税に反対する圧倒的多数の有権者を意識してのことである。なぜ有権者は増税に反対するのか。それは「税を払ったら楽になったという“成功体験”」が有権者の中にないからだという。

 確かに「国民還元率」を比較すると日本の問題が見えてくる。デンマークの場合、支払った税金の内、約75%が年金、休業手当、医療費、教育費などを通して直接、市民に還元されるという。ところが、日本の還元率は25%程度というデータもある。日本は負担も少ないが国民への還元割合も非常に少ない国なのだ。国民に直接、還元されないカネはどこに消えたのか。例えば、行政、警察、防衛、交通、公共事業、企業に使われる。

 結局、日本で増税に対する有権者の抵抗感が強いのは、税金を払っていても何の恩恵もないと人々が感じているからだ。消費税が上がったからといって国民にとって何もいいことがない。国の財源が増えたところで、単年度会計主義で生きている霞が関の官僚たちが、そのままばらまいて浪費してしまうためだ。

 しかし、消費税には賛否両論あるが、1%上げるだけで2.7~2.8兆円も税収が増える。それを人々が実感できるような暮らしのために使ったら私たちの生活は一変する。例えば、「待機児童ゼロ」を実現するためには、保育園の定員が65万人分(2015年)不足しているが、これを解消するためには保育園の新設や経費の増加など、年間約1.5兆円が必要という1つの試算がある。もしこの試算が正しければ、消費税0.5%分で問題は解消する。

 今後、消費税は10%に引き上げられ、1%は財政再建に、1%は貧困対策に使われる予定になっている。「復興特別税」が目的とは全く異なる使い方をされていたのと同様、本当に目的通り使われるのか怪しいし、仮にその通り使われたとしても、税金を払っているほとんどの人には何の恩恵もない。しかし、もしも増税による税収を社会のメンバー全員が必要とする介護や子育てにあてて、誰もが受益者になる仕組みを作ることができれば、人々は増税の意味を知り、増税に対する抵抗感は大きく下がるだろうと井手教授は提案する。

◆(2)デンマークとオランダの高福祉社会はどのように作られてきたのか
 先ほど述べたように、デンマークでは高負担ではあるが、支払った高い税金から「返ってくるものがある」という感覚を国民全員が持っている、という。国民が国を信頼し、国が国民を信頼しているから高負担でも納得しているのだ。それはまたオランダ国民にも共通する。

 「日本の場合、国というものが、何か抽象的な、市民から隔離された遠い存在になっている」が、「オランダの人々は、国は自分たちが代表を送って自分たちで管理するものという意識が強い」と、オランダ在住の教育・社会研究家であるリヒテルズ直子氏は語る。

 それでもオランダでは2013年にアレクサンダー国王が演説したように、「20世紀型の福祉国家は終わった」のであり、「古典的な福祉国家は、ゆっくりとしかし間違いなく『参加型社会』に進化しつつある」。参加型社会とは「市民が自分の面倒を見て、退職者の福祉といった社会問題に対する市民社会の解決策を作り出す社会」であると説明し、人々に「自助努力」を求めたのである。国王の演説は、時の政権の方針を代弁するものであり、ユーロ経済の優等生と呼ばれてきたオランダもこの間、財政難に陥ってきた。財政赤字を削減するために、社会保障費が大幅に削減されることになったのだ。

 それでもリヒテルズ氏の案内で私たちが視察した、低所得者が住む地域の高齢者施設は日本では想像もできないほど立派なものだった。そもそもオランダでは1967年12月に介護保険制度が制定されたが、日本で介護保険制度が導入されたのは2000年になってのことだ。しかもオランダの高齢化率は2015年現在17.6%であり、27%になるのは2040年のことである。ところが日本はすでに25%を超えており、2025年には30%を超えてしまう[注16]。

◆(3)民主主義が社会を創る
 「世界は神が創った。しかしオランダだけは人が創った」と言われる。国土の4分の1が水面下にあるオランダでは、干拓と堤防建設によって治水を行ってきた長い歴史がある。彼らは、将来を見通して国づくりを進めてきたのだ。作家の司馬遼太郎は『オランダ紀行』(朝日新聞社、1991年)で次のようにオランダ人を語っている。「この国の人々は、堤防をつくって内側の土地を干拓し、干拓地に運河を掘って地面を乾かし、さらに運河の水を排水するポンプの動力として風車を利用してきた」「紀元前から、国土そのものを自分自身でつくってきたオランダにとって、将来を想定して現在を営むというのは、詩ではなく、土工の一鍬一鍬の現実であったし、いまもそうありつづけている」「オランダ人にとって歴史は抽象的なものではなく、また未来もこれほど露骨に具体的なものはない」

 この「将来を想定して現在を営む」というオランダ人の精神が、「洪水」を防ぐために全員で議論を闘わせながら合意を高める「オランダ民主主義」をつくり上げ、さらには「オランダモデル」と呼ばれる先進的な社会を築き上げる基礎になったといわれる。

 デンマーク政治の特徴も「徹底された地方分権」と「成熟した民主主義」にあるといわれる。同国の歴史上、特徴的な事件といえば、1848年のこと。フランスの2月革命(パリの市民、労働者が蜂起して、ルイ=フィリップ国王を退位に追い込み、共和制を宣言、臨時政府を成立)はヨーロッパ全土に波及し、その報を受けた市民1万5,000人が、コペンハーゲンで“自由主義の実現”を求めるデモ行進を行った。すると、国王は市民の要求を受け入れ自由主義憲法の制定を約束し、デンマークの絶対王政は終焉した。

 他方で今の日本では「戦後民主主義」が空洞化され、「立憲主義・法治主義」から戦前の「人治主義」へと回帰しつつある。その原因をさかのぼれば、そもそも日本では、1867年に明治維新が起きたものの、それは武士階級(藩)の権力闘争でもあり、民衆は歴史の舞台に登場していない。その後は武士がそのまま役人となって「お上」として君臨し、「下々」の民百姓は、自分たちが政治を変えたという体験もほとんどない。「悪政も戦争も日本人にとっては天災みたいなもの」と感じる国民性から抜け出せていないといわれる。

 しかし、「まもなく、日本人の高齢者の9割が下流化する」(藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事)という悲惨な状況が迫りつつある。それにもかかわらず、いまだ市民の間でさえ「貧困は自己責任」という風潮が強く、自民党は無策のツケを家族に回そうとしている(「家族は、互いに助け合わなくてはならない」自民党改憲草案24条追加部分より)。

 結局、民主主義こそが次の社会をつくるのであり、主権者である私たち自身がこれからの社会をどうしたいのか、何を最優先にするのか考えることでしか、1つの国が変わることはあり得ない。具体的な争点は、「生活を犠牲にして仕事に縛られる社会」のままで良いのか、それともデンマークやオランダのように「生活を優先する自由な社会」を目指すのかにあるだろう。言いかえれば、「生活費(教育費と老後の備え)のために長時間働きながら、わずかな小遣いで消費生活を楽しみつつも、すべり台から転げ落ちる不安におびえながら暮らす社会」のままで良いのか。それとも「労働時間を短くして、自分の自由になる時間を増やし、税負担は多いけれども“社会的貯蓄”によって教育費も老後の不安もない社会」を創るのかという選択である。

 両国と日本とでは民主主義の歴史が大きく違う。それでも「生活を優先する自由な社会」を築くことは実現可能であることを、デンマークとオランダは示唆している。

資料1 3カ国の概要
画像の説明

資料2 主要産業
画像の説明

[注1]マイケ・ファン・デン・ボーム著、畔上司訳『世界幸福度ランキング上位13カ国を旅してわかったこと』集英社、2016年
[注2]湯浅誠著『反貧困─「すべり台社会」からの脱出』岩波新書、2008年
[注3]「世界で“最も幸福な国”はデンマーク、日本は53位 国連報告書」AFPBBニュース、2016年3月17日 http://www.afpbb.com/articles/-/3080689?act=all
[注4]「世界幸福度ランキング2017」Nobuyuki Kokai Blog、2016年3月18日
     https://kokai.jp/2017/03/21/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E5%BA%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B02017%EF%BC%88world-happiness-report-2017%EF%BC%89%E6%97%A5%E6%9C%AC51%E4%BD%8D/
[注5]「ユニセフ・レポート」https://www.unicef.or.jp/library/pdf/labo_rc13j.pdf
[注6]「OECD(経済協力開発機構)」は欧州を中心に日・米を含め35カ国の先進国が加盟する国際機関。
[注7]人々が飢餓で苦しむなど、生命を維持するために最低限必要な衣食住が満ち足りていない状態を「絶対的貧困」と呼ぶのに対して、「相対的貧困」は、その地域や社会において「普通」とされる生活を享受することができない状態を指す。
[注8]畠山勝太「“ひとり親世帯”の貧困緩和策──OECD諸国との比較から特徴を捉える」シノドス、2017年4月10日、http://synodos.jp/society/19382
[注9]グローバルノート http://www.globalnote.jp/post-14269.html
[注10]「労働生産性の国際比較2016年版」公益財団法人 日本生産性本部、2016年12月19日発表
     http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001495.html
[注11]太田肇著『なぜ日本企業は勝てなくなったのか』新潮選書、2017年
[注12]田中拓道著『福祉政治史』勁草書房、2017年
[注13]「グローバルノート」 http://www.globalnote.jp/post-10514.html
[注14]「グローバルノート」 http://www.globalnote.jp/post-3770.html
[注15]井手英策「社会の分断を消す選択肢をつくる」季刊『社会運動』426号(2017年4月)
[注16]白井和宏「オランダ、福祉クラブ、風の村─参加型福祉の可能性を拓く」季刊『社会運動』420号(2015年10月)

 (市民セクター政策機構 専務理事)

※この記事は著者の許諾を得て『国際協同組合研究年次報告書第4巻』から転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧