【コラム】風と土のカルテ(111)

下水サーベイランスと臨床PCR併用への期待

色平 哲郎

 日本では、2023年5月に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が5類感染症に移行し、コロナに対する「終わった感」が社会全体に漂っている。
 果たして、実際はどうなのだろうか。

 感染症対策の基盤データともいえる「感染症発生動向調査」は、COVID-19の5類移行に伴って、全ての医師が全ての患者の発生について届け出を行う「全数把握」から、指定された全国約5000の医療機関が週1回、新規感染者を報告する「定点把握」に変更された。

 定点把握により報告された、1医療機関当たりの感染者数の全国平均値は、2023年第28週(7月10日から16日)までの1週間で11.04人。
 その前の第27週(7月3日から9日)の平均値9.14人よりも増えていた。

 感染の拡大が注目されていた沖縄県における1医療機関当たりの感染者数の平均値は、ピーク時の第26週(6月26日から7月2日)で48.39人まで増加した。
 現在、沖縄での感染者数は減少傾向にあり、第29週(7月17日から23日)で22.43人になっているが、全国的に見ると感染者数が増加している都道府県もあり、油断ができない状況が続いている。

 定点把握は、あくまでもCOVID-19と診断された患者の数である。
 病院に行かずに診断されていない感染者は把握できないし、地域ごとの医療提供体制によっても数値は変わってくるだろう。
 もっと端的に、それぞれの地域や施設内で、新型コロナウイルスの広がり具合がどの程度かを、定量的に計測する方法はないのだろうか?

注目される神奈川県などの取り組み

 そこで、今、注目されているのが、神奈川県などが実施している「下水サーベイランス」(下水中に存在するヒト由来のウイルスを検査・監視すること)だ。
 内閣官房のホームページにも
 「地域の新型コロナウイルス感染症のまん延状況の把握や、特定の施設における感染有無の探知等を行い、効果的・効率的な対策につなげられる可能性」があると紹介されている。
 https://corona.go.jp/surveillance/

 早稲田大学人間科学学術院と神奈川県立保健福祉大学大学院を併任する兪炳匡(ゆうへいきょう)教授は、神奈川県の相模川左岸・右岸の下水流域内などでサーベイランスを実施してきた。
 https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ga4/covid19/simulation.html

 この調査では、下水サンプルにPCR検査を適用して、感染者の糞便、唾液中から排出されるウイルスの量と濃度を測り、次世代シークエンサーによるゲノム解析によって人口当たりの複数の変異株の割合を定量化している。
 相模川左岸・右岸のデータから、下水中のウイルス濃度と感染者数には高い相関が見られており、
 https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ga4/covid19/past_sewer/202307graph.html

 変異ウイルスの存在割合については、2023年6月6日時点でほとんどが「オミクロンXBB.1」に置き換わっていた。
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ga4/covid19/past_sewer/202306_variant.html

 2023年7月27日、兪教授らの研究グループは、「下水で感染症ウイルス監視する経済性」と題したプレスリリースを発表した。
 https://www.waseda.jp/top/news/92260

 研究成果は、CDC(米 疾病対策センター)の医学雑誌 Emerging Infectious Diseasesのオンライン版(2023年7月21日)に掲載されている(Yoo BK, et al. Emerging Infectious Diseases 2023; 29: 1608-17.)。
 https://wwwnc.cdc.gov/eid/article/29/8/22-1775_article

 兪教授らは、PCRによる臨床スクリーニング検査と下水サーベイランスを補完し合う目的で実施する場合の、経済的に正当化できる条件を定量的に提示することを目的に、この研究を行った。

 検査を併用することで、地域のCOVID-19のまん延状況や、個別の高齢者施設などにおける「感染者の有無の探知」が可能となり、効果的・効率的な感染症対策につながる可能性が高いという。

 つまり、下水サーベイランスで全体状況を把握しながら、陽性結果が出たら臨床PCR検査で個人レベルの感染を診断する。面と点の検査の組み合わせだ。
 東京オリンピック・パラリンピック2020の選手村でも、臨床検査と下水サーベイランスの両方が実施されていた。

 兪教授は、リリースで次のようにコメントしている。
 「医療経済学の目標は、限られた資源・予算の制約の下で、社会全体の健康状態の改善を最大化することです。(略)
 下水サーベイランスの実施規模において、日本は欧米先進諸国に大きく遅れていますが、下水サーベイランスに関する日本の技術は世界でも最高レベルです」

 現在、北米1200カ所以上と欧州1300カ所以上の下水処理場で実施されている下水サーベイランスだが、日本で実施・公表している自治体は少数にとどまっている。
 日本国内で拡大していくのか、今後の動向を見守りたい。

日経メディカル 2023年7月31日 色平哲郎

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2023年7月31日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202307/580645.html

(2023.8.20)
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