【コラム】1960年に青春だった!(29)

一二三三二一、ずいぶん奥まで来たもんだ

鈴木 康之

 モーレツ・ビジネスマンでした。60年代末に丸善石油のCMが話題になりました。スポーツカーの疾風で小川ローザのミニスカートが舞い上がり、コピーが「OH! モーレツ!」。
 高度経済成長期の花形職業名はほとんどカタカナ。なかでも広告業界のデザイナー、コピーライター、CFディレクターは時代の寵児となりました。ボクも末席にいました。

 出会いに恵まれ、仕事はどんどんきました。そのかわり徹夜徹夜で不規則極まりない寝食。チェーン・スモーク。ストレスを酒で薄め、潰瘍の吐き気を薬で忘れる日々でした。
 東京五輪の年1964年に勤め先からNYの広告街マジソン街視察に行かされました。売れっ子クリエーターたちのデスクには東京のボクたちと同じように胃腸薬が並んでいました。ただし彼らの住まいはプール付きの一軒家。ボクたちは1DKのアパートでした。

 やり手ほど部長、局長、役員への出世競争。媚びへつらう苦い酒、媚びへつらわれる甘い酒。そして、ヒトがかわる。退職するや栄枯盛衰。玄関に積まれていた中元歳暮の山は消え、名字を冠したゴルフコンペも自然消滅…。
 命をすり減らした人の入院の噂や早すぎる訃報には冷や汗を覚えたものでした。

 一方、気張らず、焦らず、ヒトがかわることなどなく、日々是坦坦の人もいました。
 在阪の大企業の宣伝部にいた課長で、ボクとよく組んでもらっていたデザイナーがそういう人でした。ボクたちは宣伝部の喧騒を離れ、都心部の高層ビル最上階のコーヒーラウンジで下界の世俗を見下ろしながら、よく煎られた味わい深い豆でいっときを過ごすのが好きでした。

 彼は自宅での時間のすべてを墨書、とりわけに写経にあてていました。和紙は国産ながら、墨、硯は中国まで足を運ぶ、傾注の本気度が窺い知れました。
 大阪での個展で拝見しましたが、無教養のボクの目にも自由奔放な墨遊びは驚嘆と羨望を覚える、まるで絵でした。

 あるとき彼から、英国の登山家、エドモンド・ヒラリー卿だったと思いますが、曰く「事無き下山をもってそれを登山という」、登頂して国旗を掲げ、万歳して成功なのではなく、夕餉どきにいつものとおりの温かいスープを喜び、おやすみの抱擁をし、枕の上で瞼を閉じ、而して今回の登山は遂げたことになるのだ、とかと聞きました。

 登り方、登り様は人さまざま、下りも然り。頂上も人さまざまでしょうが、頂上がいつかは分かりません。定義や尺度はない。ここいらあたりがてっぺんかなと思い定めるのが賢明な悟り方のようです。もしもっと上がったとしたらオマケであってメッケモンです。
 欲をかいているうちに地滑りにあったり、プッツリ切れたりするのはご免被りたい。その処世を教えてくれるのが定期検診と宗教らしいです。

 コーヒーカップを手に登山・下山の話をする彼に、ハハーンときました。定年前退職が近いなと感じました。
 ボクの頭にある成句が浮かんだのです。
 人生には123という登りの時があり、いつかどこかに頂上らしい時があり、321と下る時がある。いやいや、洋数字では絵にならない。ここは漢数字の成句でなければなりません。なぜなら、経文を自由奔放に操る彼が、横棒ばかりの素材で果たしていかなる書画にしてくれるのだろうか。期待半分と野次馬半分の気持ちがボクにありました。

 数ヶ月後に作品となって届きました。
 つぎの個展にも何通りかの筆のものが出展されました。
画像の説明
  書/今岡忠篤

 さてさて、オックスブリッジ流と煽てられ自惚れながら、広告コピーを主流、ゴルフマナーを傍流の、二股仕事で走ってきました。どちらもほかの人と同じことはしたくないという天邪鬼。人が気を抜くボディコピーに傾注。それを本にしたらロングセラーに。コピーの殿堂入りを期に次世代の老害にならないよう業界から退きました。

 ゴルフのほうもスコアや飛距離の通俗には関心が薄く、元来のマッチプレー、友情の交歓。そこを要とする倶楽部も創設。国内外のコースを旅し、友だちもできました。本は10冊。
 脊柱管を痛めてプレーは不能になりましたが、未練はありません。ゴルフの時間をほかのことに向けることができるようになったのは神様の恵みかもと思っています。

 新聞の死亡記事欄の享年に目がいきます。「勝った」「負けた」の毎朝です。
 モーレツ仕事の時代にはよもやと思っていた八十路半ばの峠を越えました。多くの先輩、同輩たちが越せなかった峠です。「よくまあこんな奥まで来られたものだ」の感慨があります。

 嬉しいことに金蘭の友たちも皆揃って生存確認ができています。
 いちばん仲がいいのは同道八十路入りした伴侶。あちらもそう思ってくれているようで…。
 而して、至福感に満ちた「 一 二 三 三 二 一 」。どうも相すみません。

 (元コピーライター)

(2022.2.20)
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