【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ロシアのウクライナ侵攻で改めて注目されるロシア正教会とは何か

荒木 重雄

 ロシアのウクライナ侵攻が続いているなかで、このコラムとしては、ロシア正教会について触れぬわけにはいくまい。

 ロシア正教会の最高位キリル総主教が首座を務める救世主ハリストス大聖堂の黄金のドームは、プーチン大統領が君臨するクレムリン宮殿の赤い城壁に隣接し、首都モスクワの中心部で、両権力の強大さと互いの密接ぶりを誇っている。
 
 プーチン大統領とキリル総主教との蜜月関係はつとに知られたところだが、このたびのウクライナ侵攻に際してのキリル総主教の全面支援は改めて世界の耳目をひいた。

 プーチン大統領とキリル総主教を結ぶきずなは、「ルースキー・ミール(ロシア的世界)」というビジョンの共有だという。「ルースキー・ミール」とは、旧ソ連領だった地域に対する領土回復と精神的統合の悲願・野望とされる。

 だが、もったいづけるまでもなく、両者の利害一致はわかりやすい。「大ロシア主義」の復興をめざすプーチンにとってロシア正教会はその精神的基盤を提供するものだし、国民の7割以上を占める信徒の支持は、政権の維持や政策実現に欠かせない。教会側にとってはむろん、政治的な後ろ盾を得て勢力拡大が期待できる。
 
 しかしそれらのことは措いて、まずはロシア正教会とは何かを紐解こう。

◆権力争いから東西教会が分裂

 そもそも、東方正教会、ギリシャ正教会ともよばれる正教会とは何か、からはじめよう。

 ローマ帝国が4世紀にキリスト教を公認して以来、キリスト教はローマ、コンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの五大総主教区のもとで発展してきた。
 西ローマ帝国の滅亡(5世紀末)後、ギリシャ文明を引き継ぐコンスタンティノポリスに遅れをとってきたローマだが、神聖ローマ帝国のもとで西ヨーロッパ世界が力をつけてくるにしたがい、ローマ教皇が絶対的権威を主張しだし、それを認めないコンスタンティノポリスと9世紀頃から対立が深まる。聖霊をめぐる教義解釈の違いもからみ、さらに、コンスタンティノポリス教会内部の争いにローマ教皇が介入するにおよんで、1054年、コンスタンティノポリス総主教とローマ教皇が互いに相手を破門しあうに至る。

 ここでローマは、カトリック(普遍性)の名を掲げて、五大総主教区体制から離脱し、東西に教会が分裂した。コンスタンティノポリスを中心とする東側は、自らを、使徒以来のキリスト教信仰を厳格に守り継承する正統な教会、すなわち「正教会」と主張した。

 東西分裂以前からコンスタンティノポリスの教会はバルカン半島、東欧、スラブ地域(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)への布教を進めていたが、東西分裂以後、これらの地域が正教会の版図となった。
 19世紀以降、正教会は国や民族の名を冠した組織となり、総本山はもたないが、信仰と伝統を共有する緩やかな連合体を形成している。
 国別正教会で最大規模を誇るのが、オスマン勢力によるコンスタンティノポリス陥落(1453年)後、その継承者を自称したモスクワの伝統を引くロシア正教会である。

 ロシアへの布教は、9世紀、コンスタンティノポリスから派遣されたギリシャ人宣教師の兄弟が無文字言語であったスラブ語のために文字を考案し、聖書や祈祷書をスラブ語に翻訳したことにはじまるとされる。スラブ語の文字をキリル文字というが、これはその兄弟の一人の名、キュリロスに由来する。
 10世紀にはキエフ大公国のウラジミール一世が正教を国教と定め、以来、正教会の信仰と典礼は、モンゴル帝国やオスマン帝国との対峙を通じて、スラブ民族の民族的自覚と結束に大きな役割をはたした。一方、その民衆支配の効力に目をつけた歴代ロシア皇帝は正教会への介入を強め、18世紀には皇帝直属の聖務会院が教会を管理するに至った。

 ロシア革命(1917年)後のソビエト政府は、旧勢力を支えた「宗教」は「麻薬」として、教会・修道院の破壊、聖職者の処刑など苛烈な教会弾圧を展開したが、教会側はスターリン政権への協力や第二次大戦中の祖国防衛への貢献などにより、かろうじて命脈を保ってきた。

◆プーチン政権と手を携えて

 ソ連崩壊後、息を吹き返したロシア正教会は、とりわけ2000年からのプーチン政権時代に入ると、政権の庇護を受けつつ急拡大をはたして、いまや、信徒は国民の7割を超える。

 隆盛の背景には、教会側からの二つの方向での活動があった。一つは、民衆への手厚い奉仕である。社会主義からグローバル資本主義へと急激な転換をとげたロシアでは、原油高騰や政権との癒着から極端な富裕層がうまれた反面、200万人の失業者をかかえ6人に1人が最低水準以下の暮らしという、超格差社会をかたちづくった。教会は、信徒の地域共同体組織オプシーナを基盤に、ホームレスや貧しい年金生活者に食や生活必需品を与え、また、急激な価値観と生活環境の変化からアルコール・麻薬依存や孤独に陥った人々をオプシーナに受け容れることで、癒しや再生の機会を提供した。

 もう一つは、国家権力との結びつきの強化である。教会は、子どもたちの愛国精神を育てる「軍事愛国団」を設け、祈りに加え、元特殊部隊員の指導による射撃や突撃などの軍事訓練をプログラムに組み込んだ。チェチェン紛争やグルジア紛争に際しては司祭が現地に赴き、兵士たちに祈りを捧げて士気を高めることもした。教会では日々政権への支持を説き、選挙では集票マシーンの役割を果たし、また、さまざまな国事・式典をつうじてプーチンの荘厳・聖化に努めてきた。

◆自壊する「大ロシア主義」
 
 キリル総主教のウクライナ侵攻への高らかな祝福は、だが、当然ながら、東西両教会からの批判・非難を招いた。ロシア国内の教会では締め付けが効いているが、オランダ・アムステルダムの聖ニコラス正教会をはじめ、世界各地に展開するモスクワ総主教座に連なる教会からの反発は厳しい。
 ウクライナの主流を占めるロシア正教会系の教会では、すでに2014年のクリミア併合にともなう反発から、モスクワ総主教庁と距離を取る教会が大半を占めていたが、とどまっていた教会も、このたびの事態で、ついに絶縁を宣言するに至った。

 皮肉なことに、ロシアのウクライナ侵攻は、開戦の正当化に主張した周辺国のNATO加盟阻止に逆効果をもたらしたように、プーチン大統領とキリル総主教が野心に抱く「ルースキー・ミール」実現の精神的基盤を、自らの手で突き崩すことになったのである。

(元桜美林大学教授)

(2022.7.20)
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