【北から南から】
中国・吉林便り(29)

ラオレン・ハオ(老人好)

今村 隆一


 7月7日は盧溝橋事件(1937年)発生の日、中国各地で式典が行われた事を TvNews が報道しました。毎年どこも老若男女、多くの青少年参加のもと「屈辱を忘れるな!」との決意を新たにする活動が全国で展開されます。中国ではこれを「七七事変」と呼び、「柳条湖事変(九一八事変1931年)」と共に、中国が日本軍国主義侵略を受けたきっかけを国民に銘記してもらう歴史教育の日にもなっています。
 今年は同じ日に西日本一帯で発生した豪雨による大災害が発生し、その状況も翌日から実況付き TvNews で即刻報道しました。あまりにリアルな映像に私が動転、驚愕したのは、2011年の3・11東日本大地震以来でありました。

 私は、その国の民主主義成熟度は災害復旧復興に表れるといつも思っています。災害発生からライフラインの復旧は日本はとても早いが、破壊された街の再建復興速度は、2008年5月の中国四川地震後の復旧を3年後の2011年8月現地に行って見て、私は中国の国挙げての復旧は極めて早いと思いました。ただ早い遅いの時間だけを価値基準にするのは一面的に過ぎず、そこに住む人々の意思と意向が復興にどのように反映されるかが、民主主義の基本にあると考えています。その視点では公害、原子力発電、米軍基地問題など解決、復旧復興における日本政府の現状は民主主義とは真逆にあると言わざるを得ません。

 中国人の面子(メンツ)については趙先生が「中国単信(57)中国人の思考方法 ―― 恥と面子」で詳しく書いておられます。吉林で私が感じた中国人のメンツの重要度は、自分のメンツが第一、第二は家族、第三は所属団体と関係者、第四は地域、第五は地方と範囲が広がるのは、程度の差はあれ韓国人や日本人も同様だと感じています。「偉大な中華民族」と人民日報や中国中央Tvが表現する自画自賛が私にはうぬぼれと映るのは私の偏見かも知れませんが、これも面子でもあると思っています。
 また中国人は老人と子供を大切にする、と聞いていますが、それは表面的にはと私は注釈を入れたい。吉林に住んでいて行政施策が老人や子供を「本当に大切にしているなぁ」、と感じたことはこれまで無く、大切に思っている或は思い入れが強いと感じたのは親族に対してでした。日本語学習の私の教え子の多くもお爺さんとお婆さんや両親に対する思いが大変強く感じ、偏見かも知れませんが、面子と相まって中国人共通の国民性のように私には思え、偏愛とさえ思えて久しいものです。

 最近吉林市の乗り合いバス(公交車:ゴンジャオチャーは公共交通自動車の略)の変化で気付いたことが二つあります。その一つは、乗り合いバスの老人に対するサービス(漢語で「服務」と表記)精神です。吉林市では圧倒的に公営バスが多く私営はごくわずかです。

 公営バスは乗る時運転席側、つまり進行方向に向かって前方から乗り、降車は後方となっています。バス乗車と同時に料金の1元(約18円)を料金箱に投入するか、その上部に日本のスイカ(Suica)のような非接触型ICカードを掲げ、応答を確認し車内に進みます。ICカードの応答が老人の乗車時では老人好「ラオレン・ハオ」に変わったのです。つまりこれまでは「老人カード」と単に応えていたのが「ラオレン・ハオ」と応えるようになったことが、私にはとてもうれしく感激的でした。

 その意味するところは「ラオレン・ハオ(老人好)」とは「こんにちは、ご老人」若しくは「ようこそ、ご老人」と言う意味で、乗車した人を“老人”だと知らせることでは以前と同じでも、老人に対するエチケット、つまり老人を敬う中国文化の伝統を「ラオレン・ハオ(老人好)」と呼ぶことで老人へのサービス精神の表れを具体化するようになったと私には映ったのでした。

 なぜ感激的なのか? 春節明けの大連駅員のサービスにとても感激したことは“吉林便り(26)大連駅での体験”で報告したとおりで、これまで中国での働く人の不特定多数の人へのサービス精神は日本と比べてはるかに足りないと私は感じてきたからです。商店、銀行、郵便局、駅のほか、私のいる北華大学でもサービス精神不足を感じておりましたので、公共バスの「ラオレン・ハオ」は服務向上と私は前向きに評価するのです。
 また7月4日から8日までの短期間でしたが天津市の小旅行をし、毎日公共バスを利用して移動しました。天津市は中国国内に4つある中国政府直轄市(北京、上海、重慶、天津)の一市で、大都市ですがバスは「ラオレン・ハオ」ではありませんでした。

 吉林市に限らず中国では街中やTvやNSNには広告が溢れていて、その多さに私は辟易して現在に至っていますが、広告を通して中国社会の変化を感じることが少なくありません。
 民間広告と公益広告・政治宣伝の違いはありますが、市政府や公益企業の広告と政治宣伝には市民啓蒙の効果もあるように、バスの利用者に対する応答服務には広告・啓蒙・教育効果があると思えるので、「ラオレン・ハオ」への変化を高齢者サービスの向上と高く評価したいのです。なお、“吉林便り(25)”で『日本語においては、高齢者のことを「シルバー」とも呼ぶが、漢語では銀と高齢を結びつける表現はないようです』と報告しましたが私の勉強不足でした。漢語「銀髪族」はシルバー族や高齢者層をよぶ、と辞書にありました。

 最近のTvの公益広告で印象的なのは、①ゴミの分別、②道路での歩行者への安全配慮、③煙草喫煙があります。①は吉林市では日常生活ゴミの分別は未実施ですが、段ボールや紙の収集と廃棄衣料の収集は実施されています。②吉林市は信号が不足状態ですが、今年から信号のない横断歩道で自動車が停止するようになり始めました。③については受動喫煙防止の宣伝はありますが微々で、吉林市は未だ緒にもついておりません。

 政治宣伝ではフレーズに今年初めに使われた「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」があります。現代中国の政治宣伝ではこの間、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と固有名詞を冠したのは三名の名でしたが、今年の憲法改正で元首に当たる習近平氏の名を盛り込み、1月の全国人民代表大会(全人代)以降その名が広告宣伝に頻繁に出るようになりました。習近平氏の演説をはじめ、指導者層の主張や人民日報の社説はもっともな内容と感じている私ですが、習近平氏の名を敢えて掲げる必要が何故あるの?と思います。吉林市でも天津市でも街中の広告で習近平の名を眼にすることに違和感が禁じ得ません。

 バスでの変化、二つ目は新車が電気自動車(EV)に変わってきたことです。吉林市では昨年の春、電気自動車のバスが出現したことに気付きましたが、今年になって通行路線によっては電気自動車の普及が急ピッチで進んでいるように感じています。私は吉林市では自動車運転をしませんし、知識も少なく、自動車への関心はあまり高くないと自覚していますが、巷に走行する自動車が電気自動車になっていく様子は興味深いものがあります。

 中国内の他都市を旅行して吉林との違いどこか?といつも気にして見る一つに自動車があり、特に一般路線バスです。天津市で利用した公共バスは全て電気自動車でしたし吉林市の公共バスにはないエアコン付きバスでした。またバス料金は2元と吉林市1元の2倍の料金で、この10年以上吉林市の1元(18円)は安いと言えます。たまたま天津市の公共バスで運転手が居眠りしていた幼児に、「危ないから寝ないで」と注意していましたが、良い服務だと思いました。
 技術革新・発展が急速に進む中国で、他都市より都市化が遅いと評価される吉林市でも電気自動車(EV)への変化を実感するように、世界に先駆け中国の電気自動車は既に普及期に入ったと言えるようです。

 中国では、EVや関連産業を育てる政府の奨励策を追い風に、新興EVメーカーが続々と生まれている、と聞きます。構造が複雑なエンジン車で技術蓄積がある欧米勢や日本勢と競うより、国家をあげて、部品点数が少ないEV車の開発に力を入れ、世界の自動車産業をけん引し始めたのが中国だとも言えるようです。

 中国が将来、世界最大の電気自動車市場になり、自動車用リチウムイオン電池も中国を中心に生産されるようになると予想される現在、これまで豊富な電池関連技術を持っていた日本企業が中国市場を狙うのは当然の流れでしょう。5月末、経団連の新会長となった中西宏明氏が、出身の日立など日本企業の売り出しに積極的に動いていることが報道されましたが、原発、鉄道、自動車、電池材料、科学機器の売り込みと資金投入、技術開発と日本の政財界が一帯で、中国を含む外国市場に勢力拡大する現状をどう捉えればよいのでしょう。

 モリカケ、自衛隊日誌、財務省セクハラ等、公文書改ざんと嘘満載の安倍首相はそのままで、長年の右翼路線の嫌中・中国包囲網から「一帯一路」協力と財界の意向に沿った方針転換。
 これからも続く?続けて良いの?安倍政権の支持率が44%、7月9日NHK ←嘘だろう?

 (中国吉林市北華大学漢語留学生・日本語教師)

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