■【談話室】

モスクワの旅から             石郷岡 建(日本大学教授)

                          編集部 加藤 宣幸
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【加藤宣幸】先にモスクワで開かれた「日露学術・報道専門家会議」や、最近の
ロシア事情などについてお聞きしたいと思います。

【石郷岡建】この組織は元々、マスコミ関係者がソ連時代から向こうの招待で定
期的に行く文化交流ですが、ソ連が崩れたあと、法政大学の下斗米さんなどと相
談し、学者も含めて日露シンポジウムを開き国際交流基金から支援を受ける組織
にしたものです。

 会議では日露関係だけでなく日米・日中関係などについても議論され、その分
野の専門家も参加しています。ヒモ付きにならないために国際交流基金を除いて
すべて自費負担です。こういう形になって10回目です。最近、参加者による自
己責任・自己負担という完全ボランテイア組織になり、今年は3回目となりま
す。日本人だけでなく、日本にいる韓国や中国の専門家も参加しています。

 今年は東北大地震で活躍した五百旗頭元防衛大学学長、崔相龍元駐日韓国大使
河合正弘アジア開発銀行研究所長らが特別参加しました。日本から行くのは毎回
10数人ですが現地で朝日や共同などの特派員や研究者なども加わります。向こ
う側は国際関係大学・モスクワ大学など大学教授や研究者のほか外務省関係者や
マスコミ関係者です。また、モスクワ滞在中に、シンポジウムとは別にロシア側
の専門家や有力人物などとも会見を重ねております。

【加藤】今回の討議の主としたテーマは何でしたか。

【石郷岡】交流基金に出している3年間のテーマは東アジアの統合で、今年はA
SEANの予定でしたが、シンポジウムが始まると、東アジアの経済統合、安全
保障、新しいリーダー、朝鮮半島情勢から放射能被害などと多岐にわたり、話題
が広がり過ぎた感じになりました。安全保障よりも尖閣・竹島、そしてAPEC
首脳会議開催を通じてのロシアのアジア進出問題というほうに焦点が移りました。
中国問題が大きく台頭してきたという印象です。来年のテーマは、「日中米露の
四大国関係」を予定しています。

 ただし、そこでなんかの結論を出すのではなく、毎年、自由に話し合いを重ね
ることで、それなりにいろんなものが見えてくるという感じです。今回も前面に
出てきたのは中国で、中国のことがあっちでもこっちでも話になる状態でした。

 中国の進出というよりも中国の力が大きくなることで、アジアのバランスが崩
れ始めているというか。バランスが変わっている。それについて、「そんなの関
係ない」という人たちと、「これは大変なことだ」という人たちに分かれまし
た。そして中国についていくべきか、それとも、対抗すべきなのか、ロシア側に
もいろんな意見が出てきて大変でした。

 例えば、ロシア外交アカデミーの所長が「中露関係は今最高で中国と良好な関
係を作るべきだ」という。ところがモスクワの高等経済学院のアジア担当学部長
は「中国は脅威で、ついていくべきではない」と真二つに分かれます。元々中国
をやっている古い人たちは「今こそ時が来た」という感じで、若い人たちは「そ
んなことないだろう」という雰囲気でした。

 昔、外交関係者ではほぼ全員が日本勤務を望んでいたのが今は、外交アカデミ
ーや高等経済学院でも、入ってくる新しい人たちはほとんど中国をやりたいとい
う。駐日大使も外務省のアジア関係者もほとんど中国派になり日本を専攻した者
はどこかに消えてしまった。

 それとは別に「アジアは関係ない」と、全く冷たいヨーロッパ派の人たちもい
ます。しかしプーチン大統領はアジアについて非常に関心を持ち、ユーラシアと
いう言い方しています。中国と喧嘩する必要はないが、一緒について行っては駄
目だという考え方です。どっちかというと、今一番元気な高等経済学院の考え方
に近いです。

【加藤】高等経済学院はソ連時代にはなかった組織ですね。

【石郷岡】モスクワ大学、国際関係大学、極東研究所など、あの辺はもう古くて
どうしようもない感じです。モスクワ大学なんか元々共産党系の強い組織で、今
はもっとも古い保守主義者の拠点みたいになっています。それに極東研究所もよ
く似ていて、中に入った瞬間にわかります。ここ10年、何も変わっていない感
じです。高等経済学院に行くと、もう欧米のビジネスライクな研究所という感じ
で全然雰囲気が違います。資金の規模も違うのだと思います。今、ロシアでは、
新しく関わる人と古くからの人が中国問題でぶつかり合っていて、中国を支援す
るのはどちらかというと古い人たちが多いようです。

 高等経済学院は昔のマルクス主義経済学などはもはや相手にはしない。米国ハ
ーバード大学のようなビジネススクールみたいなことをやっていたのですが、最
近変わり始め、アジアを学ぶことが必要だというので東アジアのことを始めたと
いう感じです。ものすごい人気で、入学試験は400点満点で390点以上とい
うような人たちが来るところになっています。そこの学部長は、「あと10年ぐ
らいたてば、うちの卒業生たちが日本に出没するでしょう」と言っていました。
ですから、中ソ論争を超えてきたような古い人たちの時代が終わって、どのよう
な人たちがロシアに現れてくるのか興味深いです。

 これに比べて日本は元気ない。日本の大学のロシア語科とかロシア研究という
講座には学生が来ないので、どんどん潰されていっている。日本の大学は底が浅
いです。とは言っても、それなりにアジアの他の国に比べれば日本の大学はまだ
研究分野では頑張っている。

 以前、一緒に日露会議に参加した朱建栄さん(東洋学園大学教授)は、彼が会
長をしている在日中国人研究者の組織は日本全国の大学に勤める人が約600人
から700人いると説明しました。これにはロシア側も驚き、ざわめきが起きま
した。もっとも、この話は中国人研究者の話で、ロシア研究の日本人の話ではあ
りません。

 日本には多くの中国人研究者がやってきていますが、日本人でロシアの現地に
住みこんで研究をしている人は数えるほどしかいない。中国から日本へ来る人た
ちは日本に住み込んで日本語べらべらの人が多くいますが、日本からロシアへ行
くというのは非常に少ない。 私の感じでは日本は、ちょっと英語がしゃべれれ
ば学者と見なされる。アメリカの学校に行きさえすればいいというのが多い。

 日本の学会の関係者は「グロバリゼーション」とか言って、まだ一つの価値観
で全部見ていくという感じなので一時代遅れている。世界は全然違う潮流に変わ
っていて「グロバリゼーション」の時代ではない。ロシアや中国では、世界はす
でに多極化し、様々な価値観がぶつかり合っていて、世界全体が新しい価値観を
求める時代に入っているという。私もそう思います。

 日本では、英語圏を中心として「グロバリゼーション」を強調する人が多すぎ
る。英語をしゃべれるにこしたことはないが、それだけでは世界を理解できな
い。ロシア語なり中国語なり、モンゴル語なり、様々な言語を学ばないと駄目だ
と思います。第3外国語が全然駄目な現状はよくない。

 安全保障問題で日米同盟を言う人は多いが、これはもう古いと思います。それ
は保身というか保守で現状維持にすぎない。これからどうするのかと考えた時、
単に「日米同盟維持」を繰り返すだけでは意味がない。

 そして独り立ちしなくてはいけないということで、防衛をどうするのか。アメ
リカの核の傘をどうするのかとなるが、そこで議論が止まってしまう。最近は右
と左がアメリカ依存から出て独り立ちするため、自らの軍隊を強化すべきだとい
っている。僕はある意味ではそれは当然の主張の流れだと思います。

 ところが尖閣問題が起きると、それはちょっとまずいという感じになる。日本
が軍事的に直接中国とぶつかるわけは行かない。それで日米同盟のほうへ戻った
のです。しかし、私は日米同盟に戻る人たちに、アメリカはいつまでもいると思
うなと言いたいと思います。明らかに、アジア地域からアメリカが撤退をすると
いうか、重さがバランス的に小さくなっているのです。

 オバマ大統領とクリントン国務長官が「そうじゃないよ」と、太平洋戦略とい
うのを打ち出したのですが、及び腰だという感じです。唯一それらしいことをや
ったのはオーストラリアのダーウィンの基地に海兵隊を送ったことです。そして
東南アジア諸国に頑張れよという話をするのです。ロシアはアメリカがおかしく
なるという感じを持っていて、覇権国というか、リーディング・カントリーとし
ての力量がもう限界にきていると見ています。

 限界にきているというと、みんなは、いやアメリカはまだ強いといいます。私
はアメリカが弱っているといっているのではなく、アメリカがすべてこの地球を
コントロールする時代は終わりつつあると言っているのです。これは全然楽しい
話ではなく非常に混乱する時代が来るということなのです。

 その混乱の時代の思想をどうするのか。一番簡単なのは軍事力を強めて、もし
くは軍事同盟を作って、敵になろうとする国をとにかく潰すということです。し
かし、それでは戦争の可能性が強くなる。そういう意味では日本の平和憲法をど
うしていくのか。持っていますよというだけでなく、もっとそれを全面に出した
思想というか、世界戦略というものを打ち出すべきです。そういう主張の人たち
が日本の主流にならなくても、少なくともそういう意見とそれから軍備を強めろ
という意見が対立して、まともな議論をするような社会にならないと、僕は日本
もやっぱり混乱すると思います。

 最近本屋に行って驚いたのはファシズムの本がやたらと多いことです。ロシア
ではスターリンでした。みんな不安と恐怖におそわれると、そういうものに任し
てしまおうというのが現れて、平和なんていうと「お前は馬鹿だ」みたいな感じ
がある。左派という言い方は、もう古いかもしれないですが、リベラルという呼
び方ででも、やっぱり左派の人は頑張ってもらわないと駄目です。

 たぶん、これから10年後には中国の経済力はアメリカに追いつきます。いま
軍事力では断然アメリカですが、アメリカは向こう5年間、軍事費を伸ばさない
どころか減らすとも言っています。5年どころかもう永久に伸ばさないと思いま
す。

 アメリカの場合には一つの大陸ですからモンロー主義で他の国には行かないで
やっていけます。しかし、中国をどうするのかという問題は残っている気がして
います。そこでロシアの言うようにこの周辺地域が多国間協議を通じて誰かが暴
走することがないようにする枠組みを作るべきです。アメリカはそういうのを嫌
がるのですが、そこにアメリカが参加するのが望ましいと思います。

 僕の心配の一つは中国がどこかで息切れしたときに、中国内部で混乱があっ
て、それがきっかけで、その混乱が外へ噴出したりすると大変なことになると思
うのです。たぶんそれをアメリカは抑えられると思っている。逆に言うと、
ひょっとするとアメリカはそういう国内的な反乱を助長するような戦術というか
戦略を取るかも知れない。

 アメリカは、中国が世界をコントロールするような力はないと思っている。僕
は一昨年ノーベル平和賞が出たときにお前たちの国はやっぱりそういう国じゃな
いのだぞというメッセージを欧米が送ったとの感じを非常に強く受けました。な
ぜ受けたかというとノーベル平和賞の発表では、ノーベル賞もらった人のことを
ほとんど書いてなくて、書いてあったのは中国がいかに人権で間違ったことをや
っているかということをいっぱい書いていたからです。

 中国政府か、もしくは中国の活動家なのか、どっちがノーベル賞受けているのかというような感じの書き方です。中国の一番弱いところをどんどん攻めて世界
全体をそのスタンダードに引っ張っていこうとしている。このぶつかり合いのあ
と、中国がそれでも崩れないで、乗り越えたりすると、それこそ本当にアメリカ
が覇権から降りていく国になる可能性が出てくる。

 ロシアや日本にとっては、中国とアメリカがぶつかり合って、戦争ギリギリな
ことになるのが一番困るのです。今回の尖閣でも戦争やむを得なしなんていう石
原前東京知事の声もありましたけれど、大多数の日本人はあんな島で戦争する意
味はないと思っているのが本音だと思います。その本音は正しいと思うので、そ
の考え方を保ちながらアジアの混乱を避けるにはどうしたらいいか、考えること
だと思います。

 今回の尖閣問題で非常に面白いのは右翼が全然騒がなかったことです。それか
らネット右翼というか2ちゃんねるとか、ああいうところの人たちがあんまり騒
がなかった。少なくとも、中国のように暴動騒ぎには発展しなかった。日本のマ
スコミでは、石原前都知事の発言を含め、非常に右翼的な言動に焦点にあてた記
事が多かったと思いますが、なぜ右翼が騒がなかったのか、その分析をすべきだ
ったと思います。

 中国ではものすごい暴動騒ぎになったにも関わらず日本はそれに対抗するよう
な暴動騒ぎを起こさなかった。これはやっぱりすごいことだと思います。英国の
「エコノミスト」がそんな小さな尖閣みたいなことで中国と日本は本当に戦争す
るのかというような論調を張ったのですが、そんなこと言われないでも、日本は
戦争なんかするつもりまったくない。戦争が起きるようなことを言ったのは一部
の政治家と週刊誌と一部のマスコミです。これはすごく反省すべき材料であっ
て、一般の人たちは戦争しようなんて思っていない。もう戦争なんかしても仕方
がないですよという感じです。

 面子がどうのこうのと古い考え方で煽れば、みんなついてくるかと思ったらつ
いてこない。無責任に煽った政治家やマスコミは大いに反省すべきです。この話
をあちこちでするのですが、今、私が感じるのは、それでも、日本は成熟した国
家になったなという感想です。金持ち喧嘩せずという言葉がありますが、喧嘩す
れば損害が多いからしたくない。そして、成熟した日本と発展途上にある中国と
ナショナリズムの違いが出たのです。

 あるところで、今の中国の暴動というのは、日露戦争のあとの「日比谷焼き討
ち事件」ですよ、と言ったら、日本と中国のナショナリズムを比べると、日本の
100年前のことを今中国がやっているという話になった。

 つまり、日本は国家としてもうピークを越して下降線をたどっている国で、中
国は今ピークに向かって上がっている国です。上がっている国ではナショナリズ
ムを煽ることはプラスでしょうが、下がっている国ではナショナリズムを煽って
もどうしようもない。 煽らないというところが成熟というカッコいい言葉で言
える。どっちが危険かと言ったら上がっていくナショナリズムを煽る国です。

 成熟した国は戦争なんかしない。そういう意味では、多分、日本の人たちは気
が付いていないと思うのですが、日本の、このなんかじっと耐えているような、
この何もしないという政策について、無策という人が多いのですが、これはこれ
で、中国と韓国の社会は虚を衝かれたと思います。「あれっ、日本はそういう反
応するのか」、という感じがあった。その結果アジア諸国は日本を見直した。ほ
っとしたという部分があって無策かも知れないが、大人の対応だったということ
で非常に株が上がったと思います。

 逆に言うと、今後なんかあった場合に日本と一緒にやったほうがいい。中国と
一緒だと「どうなるかわからないぞ」という感じがある。ここでも外交とか政治
ではないが日本社会の株は上がった。こういうことを日本人はもう少し見極める
必要がある。アジア全体の国家と話をして、平和・安全について手を携えて10
年、20年後の混乱を抑えるような積極的な姿勢を示すべきです。今の日本だっ
たら、結構みんなが受け入れてくれる。

 もう一つ、今度は中国ですが、今回の暴動で「ひどい、ひどい」という話にな
りますが、今回の暴動には学生が出ていない。出ているのは労働者で農村戸籍の
都市に住んでいない人たちが多い。この人たちが乱暴に騒いで自動車を壊した
り、レストランを壊したり、スーパーを略奪したりしたのですが、これについて
中国の都市の中間層は、非常に驚いたというか、これはまずいと思ったと思います。

 無産階級と中産階級というか、有産階級との差が非常に強く現れた。有産階級
は下層階級が騒ぐと俺たちの財産が危うくなるということを見せつけられた。今
回の暴動は中国社会にとっては大変なことで、「どうにかしなくてはいけない」
という感じが都市の知識人や中産階級の間で広がったと思う。今は報道も抑制さ
れているので、はっきり分からなくても、「これはなんかおかしい」という感じ
を持ったと思います。

 それ以上に彼らが衝撃を受けたのは、そのデモ隊の一部が毛沢東の肖像画を掲
げたことです。都市の中産階級が反日デモをしても絶対に毛沢東を掲げることは
ない。だから「共産主義に戻れ」みたいな毛沢東の肖像画を掲げたということは
大変な衝撃で、政権にとっても大きな衝撃だったと思う。

 毛沢東を持ち出して現指導部を批判するというデモが出て来てしまった。指導
者もいないような大衆デモなのに、あちこちで毛沢東の肖像画が出たということ
は、下層労働者階級の間でそういう考え方が非常に強まっていると思われます。
逆に言うと暴れたのは壊されたレストランやスーパーに行けない人たちだった。

 もう一つ非常に僕の印象に残ったのはテレビで、群衆がスーパーに石を投げて
いる中で一人の青年が立ち上がってそれを止めさせようとしたのです。こういう
ことは日本ではないと思います。彼が掲げた紙に書かれたスローガンは、「理性
反日」、「文明中国」でした。こういうものが出てくる中国はすごいと思った。

 プラカードを掲げた彼は石やビン、ペットボトルなどを目茶目茶に投げられる
のです。それでもそのスローガンを頭に掲げて動かない。あれは天安門事件で戦
車の前に立ち上がった青年と同じような人が出たわけです。これを見て中国はす
ごい国だなと思いました。

 今回のデモで、ああいうものが出てくるところに、社会が急激に変わっていく
中国の問題点がいろいろ出たことが分かる。しかし、そういうことについて日本
はあまりにも考えていない。そういう国と付き合っていくことは非常に大変なこ
とだということだけは肝に銘じたい。

 日本社会は「戦争しよう」と煽られても、そうかと聞き流す大人の対応ができ
るのだから、異なる国の事件なのだと考えれば、少しくらい我慢できる。日本社
会は平和な生活、隠居生活という感じで、老人になったみたいで、さみしいけれ
ど、今の中国のデモはこれからドンドン先鋭化して、いろいろなことが起きてい
くと思います。

 私は、昔はフランスなど欧米社会がモデルだと思っていたけど、日本が世界で
トップを走る成熟した良い国のモデルになる可能性がある。3人に2人は老人と
いう国に世界で初めてなるのだから、成熟した国はどう生きるのかというモデル
になる。

 この前話しましたが、今年の3月パリとモスクワに行って、パリを見たら目茶
目茶な落書きです。日本は落書き一つない。パリは人心が荒れているとしかいい
ようがない。今外国人が日本に来ると、一応に、「全然ゴミが落ちてない」と
か、みんな日本に来てホッとすると言っている。

 今回、サンクトペトルブルグにも行きましたが、格差が非常に大きい。サンク
トペトルブルグでコーヒー・ショップに入ったら日本よりも、びっくりするほど
洒落ていて、脱ソ連というか、ちょっと見るとロシアというよりも北欧という感
じで、馬鹿にしている間にどんどんロシアも発展しているのが分かる。その一方
で、街のメインストリートで、若い美しい女性から近づいてきて小金を恵んで欲
しいと頼まれた。思わず、ポケットにあった小銭全部を彼女の手に入れてしまい
ました。

【加藤】ジャーナリストが殺されたりしていて、治安が悪いのではないですか。

【石郷岡】治安は良くなっていますが、それよりも、ジャーナリストが殺された
事件は報道の自由の観点から問題にされています。イスラムのモハメッド風刺問
題など、人権・民主主義・表現の自由などについて、アングロ・サクソン中心の
視点だけでよいのかということもあると思います。ヨーロッパは頑として表現の
自由だといって、追い打ちをかけるように雑誌で風刺画を紹介したりしますが、
ロシアでは、コーランを皮肉り、ムハンマドを風刺したこの映画は一切公開禁止
です。つまり表現の自由を破っている。というか表現の自由に規制を加えている。

 どっちが正しいかということで、コーランだけの話をすると、日本人もちょっ
と困ると思う。日本だったらこんなのアウトで、自粛という形で表現の自由を規
制するはずです。しかし、どんな規制もしないというヨーロッパの考え方もあ
る。それがロシアでは反対の考えにもなる。そのもう一つの例として「プッ
シー・ライオット」という女性のロックグループが、プーチンを批判した件がある。

 このロックグループが、かなりセクショナルな格好で、ロシア正教の総本山で
ある大寺院の中でロックやった。たぶん彼女らはロシア正教なんかどうでもいい
と思っていて、プーチンや、ロシア正教などを批判して捕まった。監獄に4年入
れるとか6年入れるという話になって欧米から表現の自由を冒すとして一斉に批
判された。日本はその影響を受けて、華々しい報道を展開した。個人的には、こ
の事件はそんなに重要な事件なのかと疑問に思いました。表現の自由とか人権が
どれだけ許されるのかということについては、明らかに東西に違いがある。

 すべてを許すというのは、ヨーロッパとくにアングロ・サクソンだけど、根底
にある思想として、それが市場経済と非常に固く結びついている。だから市場経
済は完全に自由でなければいけないという考え方がある。しかしロシアは市場経
済よりも社会の安定秩序のほうが大事で、不安定やバイオレンスが起きるのは困
るから、規制を加えるのは当然だとする社会で、中国もそうです。

 私は、このぶつかり合いが今後どんどんひどくなっていくと思う。日本ではみ
んなが、日本がヨーロッパの側にいるように思っているが、実は、日本はロシア
や中国に近くて、かなり規制をするし、自己規制もする。

 日本では、この女子ロックグループのライオットについて人権問題で非常にひ
どい仕打ちだということになっている。では天皇の行列に石を投げたらどうなる
か。やっぱり捕まる。もし皇居に入ったらどうなるか、大騒ぎになるでしょう。
国によって違うけれど、やはり神聖なもので、これは侵かしてはいけないという
ものはある。天皇はその対象になるかどうかは別の話ですが、そういうことは各
国にある。

 その場合に、いやそれでも個人が大事だという思想の国と、みなさんが敬って
いるのだから侵かしてはいけませんよという国もある。ロシアを見る場合に、み
んなアングロ・サクソンの英米報道から入って、それが当然だと思うけれども、
よくよく考えると日本も似たようなことやっている。どっちが正しいかというの
は問題ではないと思う。

 5年ぐらい前にはアメリカがグロバリゼーションとかグローバル・スタンダー
ドとかやるべきだと言っていた。ところが最近はそれが反対側に回り始めてい
る。中国がその筆頭だが、そっちの国のほうが経済はうまくいっている。中国ス
タンダードの時代が来るかもしれない。

 だから、いったい個人の自由とか尊厳はどこまで守るべきなのか。国家はどう
あるべきなのか。今後どんどん対立が深くなっていくと思いますが、これは、多
極化世界の現れだと思います。日本人は価値観が一つだと思い込み過ぎています
から、価値観は沢山あるのだということについてもっと考えるべきだと思う。

 尖閣について中国がいろいろ言っているが、どういう価値観から言っているの
かということをもう少し考えるぐらいの余裕が成熟した国民にはあってもいいと
思います。

【加藤】そのとおりだと思います。長い時間ありがとうございました。