【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ミャンマー:民主化運動のデモの隊列から消えた僧侶たちは、いまどこに

荒木 重雄

 昨年2月のクーデター以来混迷が続くミャンマーで、気になることの一つが、仏教僧の動向が見えぬことである。
 クーデター直後の、街頭での抗議活動が盛り上がっていた時期には、テレビに映し出されたデモの隊列の一角に柿色の僧衣の一団を見かけたが、民主化運動への弾圧が過酷になり情報が規制されるなかで、僧侶の動きについての情報も途絶えている。
 ここでは、これまでの民主化運動のなかでの僧侶の動きや影響力を振り返りながら、新たな情報を待つことにしよう。

 ◆ 民主化運動に僧侶が登場!

 僧侶の民主化運動へのかかわりが、とりわけ注目されたのは、1988年からであった。この年3月のラングーン工科大学での、学生と治安部隊との衝突から始まった学生たちの反軍政運動は、8月、広範な市民・労働者・公務員・知識人を巻き込んだゼネストに発展し、首都ヤンゴンの路上は数十万人のデモの隊列で溢れた。そのなかで一大勢力として登場し人目を惹いたのが若い僧侶の隊列であった。ミャンマーは僧侶に篤い尊敬と信頼を寄せる社会。そこでの隊列を組んだ僧侶の登場が人々に大きな勇気を与えたことはいうまでもない。

 だが、9月に入ると、軍政は民主化運動に仮借ない弾圧を開始し、数千人の犠牲者を出した。運動の先頭に立った学生と僧侶に犠牲者が多かった。国境近くの少数民族地域に逃れて闘争拠点を築いた活動家、学生たちの間に、僧侶も少なくなかった。

 若手僧侶たちはその後も、軍人やその家族が営む宗教儀礼で読経することを拒否したり、彼らから布施や托鉢を受けることを拒否する「覆鉢戦術」で抵抗を続けた。ミャンマーの仏教徒にとって托鉢に応えることを拒否されることは、功徳を積んで後生を願ったり祖先を供養することを拒まれることだから、その心理的痛手は大きいのである。

 ◆ 血に染まったサフラン革命

 次に青年僧たちが運動の前面に立ったのは2007年のことであった。8月、市民生活を痛撃する燃料価格の大幅値上げをきっかけに、軍政に抗議するデモが、元学生運動家など民主化勢力によって散発的にはじめられた。しかし、反政府運動への過酷な弾圧の過去を知る市民の立ち上がりは鈍かった。そこに再び登場してきたのが若い僧侶たちであった。

 9月に起こった、その僧たちのデモに軍が発砲し、殴打、拘束した事件は、僧侶たちの自尊心を著しく傷つけ、全国の僧侶たちに反軍政の大きなうねりを呼び起こした。僧侶たちの奮起に促された市民が、そのうねりを包むさらに大きなうねりをつくることになった。この運動は、僧衣の色に因んで「サフラン革命」と呼ばれている。

 そうしたなかで一部の若手僧侶たちが、反軍政の象徴的存在であった軟禁中のアウンサンスーチー氏に連帯を示し、市民に「軍政打倒」を呼びかけるにおよんで、軍事政権との対立はぬきさしならぬところにまで至った。連日、数千人の僧侶を含む数万人のデモがヤンゴンで繰り広げられ、僧侶だけでも数百人が逮捕され、数十人が死傷した。日本人ジャーナリストの長井健司氏が軍の銃撃で死亡したのもこの騒乱の中でであった。

 ◆ 僧に受け継がれた闘う伝統

 英国が植民地支配していた間、反英独立運動を推し進めたのは、「仏教の護持」を掲げた青年仏教徒連盟やタキン僧侶団など、僧侶を中心とした仏教勢力であった。1930年代、英国統治を揺るがせた大規模な農民一揆の指導者も、自らを「転輪聖王」に譬えた僧侶であった。
 こうした流れに乗って仏教徒ビルマ人を日本軍が組織し、植民地ビルマに進攻させ、英国軍ついで日本軍と戦って、遂に独立を勝ち取った軍が、現在に至る国軍である。

 さらに独立後、仏教勢力は政府に「仏教の国教化」を求めて圧力をかけ、政情を混乱させ、その混乱に乗じてネウィン将軍が62年にクーデターを起こしたのが、ミャンマーの長い軍政のはじまりである。ネウィンは「仏教精神に基づく社会主義」を標榜して仏教界の懐柔を図ったりもしたが、仏教国教化を封じ、仏教勢力を政治から排除したことから、軍事政権への仏教界の反発は続いていた。

 アジアでは一般的に僧侶は知識人であり社会の指導者との矜持をもつが、とりわけミャンマーの仏教界には、このような闘う伝統や国家権力との葛藤が脈々と流れているのである。

 ◆ 仏教界は一枚岩ではない、しかし

 だがミャンマーの仏教界が全体として民主化支持なわけではない。88年や07年の民主化運動のさなかには、軍政が組織した国家僧侶委員会の高僧たちは、全国の僧侶に政治活動にかかわらぬよう指示する通達を出したり、また、若手僧侶たちが軍関係者からの寄進を拒否するなかで、軍幹部から多額の寄進を受け取る高僧の姿をことさら国営テレビで流すなどして、運動にかかわる若手僧侶たちの反発を買っていた。

 ロヒンギャ族難民の苦境がしばしば国際社会に伝えられるが、この少数民族イスラム教徒の排斥・迫害を先導したのは仏教僧であった。スリランカの仏教過激派と連携し、イスラム教徒への過激なヘイトスピーチを競っている名高い高僧たちもいる。90年代、軍政の追及を逃れた仏教僧を含む民主化運動活動家が身を寄せた少数民族カレン族の拠点を、軍政の教唆に乗って攻撃したのは同じカレン族のなかの仏教グループであった。

 仏教界は体制としては、むしろ国軍寄りであろう。仏教界と国軍の上層部どうしの癒着の噂は珍しくもない。しかし、自らの生存をその布施に頼る庶民の暮らしに思いを寄せ、民衆の状況や未来に責任の一端でも担おうとする若い僧侶たちが存在する限り、彼らが社会運動の一角に姿を現わす日がなくなることはあるまい。

 (元桜美林大学教授)

(2022.2.20)
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