≪2011年私の視点≫

■ ポピリズムに導かれる危険な循環        荒木 重雄

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 9.11から10年を迎える。この間に世界には宗教的・民族的・文化的な不寛容が
定着し、著しく危険が増した。それらは、
(1)米国のアフガニスタンおよびイラクへの攻撃とそれに反発したイスラム側の
  「対米聖戦」の拡大・拡散、
(2)反米勢力を「テロリスト」呼ばわりする米国に倣った中国やロシア、イン
ド・スリランカなどでの政府による反政府勢力弾圧とそれに対する抵抗、
(3)経済危機も背景に加えた欧米諸国での反移民・反イスラム感情の昂まりとそ
  れに対する反発、などであり、これに、
(4)60年を超えるパレスチナ問題がからむ。

 かつては近代化で宗教や民族にかかわる感情や価値観は衰退し社会の世俗化が
すすむと考えられ、また、民族や宗教の問題は「階級」の問題に収斂されるべき
ものとされた。宗教や民族は無視あるいは等閑視できる些末なことと考えられた
のだ。ところが冷戦終結の頃から「文明の衝突」的な発想が人口に膾炙し、民族
や宗教による対立・紛争は避けがたいもののように論じられるに至っている。
 
  民族や宗教を軽視するのも間違いだが、民族や宗教が異なれば対立・紛争は不
可避と考えるのも誤りである。 多くの事例が示す事の本質はこうである。

 社会を揺るがすような宗教あるいは民族対立の背後にはかならずエリート層の
経済的利害の対立や政治的思惑が潜んでいる。エリート層が自らの経済的利益や
政治的野望を達成するため、大衆動員の目的で、大衆のアイデンティティ(民族
・宗教感情)に火をつけ煽り立てるのだ。アイデンティティ・レベルの情念を刺
激された大衆は合理性を超えた行動に衝き動かされる。インドのヒンドゥー教徒
とイスラム教徒の紛争、スリランカの仏教徒シンハラ人とヒンドゥー教徒タミル
人の紛争、ミャンマーの仏教徒ビルマ族とキリスト教徒少数民族(たとえばカレ
ン族)の紛争などにこの構造は顕著だが、もっと大きな枠組みの紛争でもこの構
図はみてとれる。
 
  たとえばイラク戦争。大量破壊兵器の保有と国際テロ組織との繋がりを口実に
しながらその事実は存在しなかった米国のイラク攻撃には、米国のエネルギー産
業や軍需産業の思惑が指摘されるし、イスラエルのパレスチナ支配容認には米国
のエネルギー産業や軍需産業の思惑に加えて米国における強力なユダヤ・ロビー
の影響が公然の事実として認識されている。

 筆者が最も懸念するのは、こうした状況のなかで欧米諸国の一般社会のなかに
宗教的・民族的・文化的な不寛容が浸透し、経済不況や失業、格差拡大による大
衆の不満を背景にそれが肥大化しつつあることである。米国はいうにおよばず、
ハンガリーで、オーストリアで、チェコで、スロバキアで、スウェーデンで、ド
イツで、フランスで、ベルギーで、イスラム系移民の排斥を訴える右翼政党が党
勢を拡大し、モスクの建設禁止やイスラム教徒の女性がかぶるスカーフへの課税
や禁止、さらにはモスクの破壊さえ主張されたり実施されたりしている。

 いずれも大衆の不満や不安に便乗しおもねる政治家や政治勢力のポピュリズム
(大衆迎合主義)に起因するものだが、その点からはわが日本社会においてもけ
っして縁なしとはされない。小泉・安倍両政権の頃から両首相をはじめ政界やマ
スメディアにおいて大衆迎合的に偏狭なナショナリズムを鼓舞する言説が目立ち
はじめ、世間一般に中国や北朝鮮、在日韓国・朝鮮人、在日中国人などへの反感
や嫌悪感、あるいは攻撃などが顕在化してきている。
 
  最近の尖閣諸島や「北方領土」をめぐる中国やロシアに対する外交の「不手
際」も、前原や岡田をはじめ民主党の政治家の外交手腕の未熟さとして指摘され
るが、じつは彼らの言動を呪縛しているのは、この有権者の民族主義的な感情へ
の迎合主義的な思い込みではないだろうか。
 
  大衆迎合主義的な政治家やマスメディアが大衆のナショナリズムを煽り、その
大衆のナショナリズムにさらに政治家やマスメディアが迎合していく危険なスパ
イラルにいま日本社会は陥りつつあるのではないか、そんな不安がよぎるのであ
る。

 筆者が本誌のコラム「宗教・民族からみた同時代世界」に拙文を寄稿しあえて
読者諸氏のお目汚しを願っているのは、上のような状況への危機感から、宗教・
民族と政治をめぐる諸事例の構造を分析し、また、宗教や民族感情が人々の思考
や暮らしにおよぼす正負両面の影響を観察し、合理性や論理性だけで収まらない
「人」というものに思いを及ぼして、この「人」でどうするのかを問いたいから
にほかならない。

              (筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会長)

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