【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ホロコーストを逃れた人々が、なぜナクバをしかけるのか

荒木 重雄

 去る3月10日、オランダの首都アムステルダムで、ユダヤ人の迫害の歴史を伝えるホロコースト博物館の開館式が行われた。オランダは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに占領され、その間に、10万人を超えるユダヤ人が強制収容所に送られるなどで犠牲になったとされている。
 物議をかもしたのは、そこに、イスラエルのヘルツォグ大統領が出席したことである。イスラエル軍のガザ侵攻で、220万人の無辜の市民が悲惨な人道危機に叩き込まれ、犠牲者も、子ども1万3千人を含む3万人を超えたことが明らかになった、そのときにである。
 大統領は、この非道な状況を一顧だにすることもなく言い放った。「憎しみと反ユダヤ主義が世界中で広がっている。われわれはともに闘わなければならない」。

 当然、会場周辺では抗議の声が上がった。「ジェノサイドをやめろ」「今すぐ停戦を」などと書かれたプラカードを掲げた2千人を超える市民が会場を取り囲んだ。デモの参加者の中には、即時停戦を求めるユダヤ人のグループもあった。
 抗議活動の参加者がメディアに語っている。「いま、まさに戦争犯罪を犯しているイスラエルの大統領が、この博物館の開館式にくるなんておかしい。ガザ地区での犠牲者と、第二次世界大戦で亡くなったユダヤ人、両方に対する侮辱だ」。「不正義(ホロコースト)はもう二度と繰り返してはならないと、大きな声で言わなければいけません。それは《誰に対しても》です」。

 そう。ホロコーストはまさに、《誰に対しても》許されない。無論、パレスチナ人に対しても、である。

◆すべてはナクバ(大惨事)から始まった

 今日のガザの状況に至った、パレスチナの歴史を確認しておこう。
 古来、パレスチナ人が住んでいた地中海東岸の一画に、19世紀末から、とりわけ第二次大戦期を通じて、欧州での迫害を逃れたユダヤ人が、ここを「故地」と主張して入植してきた。戦後、発足した国連は、この地をユダヤ国家、パレスチナ(アラブ)国家、国連管理地区に三分割する案を採択し、これまで居住してきたパレスチナ人は理不尽な思いを抱きながらも、ユダヤ人とパレスチナ人が民主的に共同経営する国家を提案するが、ユダヤ人側は1948年5月、突如、一方的に、イスラエルの建国を宣言する。
 これを認めない周辺アラブ諸国と戦闘が始まるが、欧米の支援を受け、最新鋭の兵器を備えたイスラエル軍はアラブ側を圧倒し、パレスチナ人が住む町々や村々を破壊して占領した。数万人のパレスチナ人が死傷し、75万人余りが難民となって故郷を追われた。アラビア語で「ナクバ(大惨事)」と呼ばれる、パレスチナ問題のそもそもの発端である。
 この史実は、決して忘れてはなるまい。
 
 故郷を追われた難民が身を寄せたのが、ヨルダン川西岸と、ガザであった。だが、この地も、67年の第三次中東戦争でイスラエルに占領される。

 難民の間からは、故郷への帰還と民族独立を求める運動が起こり、パレスチナ解放機構(PLO)が結成され、活動を進めるが、国際政治に翻弄されるなど成果を上げられない中で、87年、占領地の人々が、イスラエル軍の戦車に投石で立ち向かう「インティファーダ(民衆蜂起)」が起きる。この抵抗運動の中で生まれたのがハマス(イスラム抵抗運動)であった。

 93年、イスラエルとPLOの間でオスロ合意が結ばれ、ヨルダン川西岸とガザを将来のパレスチナ国家とする、イスラエルとの二国家共存の構想が打ち出されたが、進展はなく、イスラエルは、ヨルダン川西岸にユダヤ人入植地を広げ、ガザは、分離壁で囲われた《天井のない巨大監獄》状態とされた。
 両地域のパレスチナ住民は、日頃、イスラエル側から理不尽な抑圧や暴力を受けてきたが、とりわけハマスが政権を保持するガザは、2009年以来、4度に亙って、イスラエル軍の大規模な攻撃を受け、4千人を超える市民が殺害された。

 こうした閉塞状況で爆発したのが、昨年10月のハマスによるイスラエル越境攻撃であった。
 そして、それに対して、今日展開されている、イスラエル軍による、目を覆うばかりに、非対称で、過剰で、残酷な報復は、まさに「第二のナクバ(大惨事)」と呼ばれるべき状況である。

◆変わる国際社会のまなざし

 ジェノサイド(民族浄化、集団殺戮)を逃れてきた民(およびその子孫)の国が、なぜ、他の民族に、このようなジェノサイドをしかけるのか。しかけられるのか。

 イスラエルはパレスチナへの強硬姿勢を、自らのホロコースト(大虐殺)の経験とそれ故の安全保障観念で正当化を図っているが、その自家撞着は、いまや誰の目にも明らかとなっている。

 事実、ナチスが犯した歴史への負い目から、「イスラエルとその国民の安全に責任をもつのが、我が国の《国是》」とし、「イスラエルには自衛の権利がある」と主張してきたドイツでも、各地で、イスラエルに停戦を呼びかけるデモや集会が開かれるようになり、《国是》じたいを、「イスラエルを無条件に支持することなのか、それとも、歴史の責任を踏まえて正義と民主主義を追求することなのか」と問い直す動きが広がりつつある。

 また、国民の4分の1を占めるとされるキリスト教福音派の勢力と、ユダヤ・ロビーの強大な影響力から、イスラエル支持が強固な米国においても、若い世代を中心に、イスラエルへの嫌悪とパレスチナへの共感が広がっていると伝えられている。3月25日の国連安保理での停戦決議に、米国がはじめて、これまでの拒否権発動から棄権に転じたのも、そうした背景があってのことだろう。

 これまでのような力任せ一辺倒の政策では、イスラエルは逆に、「安全」への大局を見誤まることを、知るべきである。

(2024.4.20)
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