フランス・パリ便り(その6)

フランスの老人ホーム事情   鈴木 宏昌

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 多くの先進国と同様に、フランスは人口の高齢化が進み、高齢者福祉のあり方
は大きな社会問題となっている。まず、フランスの高齢化をいくつかの指標で見
ておこう。たとえば、平均寿命を見ると、2005-2010年(平均)で、フランスは
81歳(男性77.2歳、女性84.3歳)であり、日本の82.7歳(男子79.3歳、女性86.1
歳)には及ばないまでも、先進国の中でもトップ集団の一角にある。

 人口全体に占める65歳以上の人の比率(老年人口)は2010年に16.8%(日本は
22.7)だが、2050年には24.9%になることが予測されている。したがって、今後、
医療の発達、健康への配慮から高齢化が進み、社会全体として、高齢者、とくに
加齢による障害を持つ高齢者の福祉をどうするかは大きな問題である。在宅介護
を充実させるのか、あるいは老人ホームなどの施設を拡大させるのかは、財源問
題とも絡み、難しい選択となる。

 ところで、今回の報告は国の白書的な一般論ではなく、まったくの個人的なフ
ランスの老人ホーム事情である。実は、4年前から私の家内の母親(94歳)はパ
リ郊外の老人ホームに入っている。家内は母親のところへは週2回ほど顔を出し、
私も時々家内に付き添い、母親を訪問している。また、昨年暮れには、その施設
の責任者と入居者家族との懇談会があり、参加した。様々な苦情が出され、非常
に興味深かった。

 日本であまり老人ホームの施設に行ったことがない私なので、日本との比較は
難しいが、多少とも内側から見たフランスの老人ホームの状況を報告して見たい。
私が実際に何回か見た老人ホームは、母親のいる施設ともうひとつ、家内の知り
合いが入居しているパリの老人ホームと老人住宅だけなので、その点は容赦して
いただきたい。

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◇1フランスの高齢者福祉制度の概況

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 フランスには、ドイツや日本のように、障害を持つ高齢者を対象とした介護保
険制度はないが、類似の制度は存在する。その中心になっているのは、2002年に
創設されたAPA(個別自律手当)と呼ばれる仕組みである。APAは、それま
で、様々な扶助制度に分かれていた制度を統合し、利用者にとって使い易くした
もので、現在では、その利用者数は百万人を越えるまでになっている。

 制度の管轄は県が主体(1980年代からの地方分権政策により、相当の財源も州、
県単位に分権化された)で、現在、APA受給者の6割は在宅介護で、残りの4割
が施設利用者である。APAは支援が必要と認定された高齢者すべてを対象とす
る。要介護の度合いは、4ランクに分けられ、まったく自律できないレベルのG
IR1から一応自律できるが支援の必要なGIR3および4までとなる。

 フランス社会省のホームページを見ると、この個別自律手当ての上限額はGI
R1の1288ユーロ(月額:14万8千円相当)からGIR4の552ユーロまでである。
ただし、これはあくまで理論上の上限額で、実際には所得に応じて自己負担率が
高くなる(減額)される上に、支援の必要度も考慮されるので、実際に払われる額
は相当に低く抑えられている。

 少々古くなるが、2006年末の状況では、実際に払われたAPAの額は、在宅介
護の平均で490ユーロ、これに対し、施設利用者の場合は406ユーロであった。ま
た、私の住む県(ヴァル・ド・マルヌ県)の新着の広報誌によると、県内のAP
A受給者の平均額は、在宅介護で、376ユーロ、施設利用で357ユーロとあるので、
上限額からは程遠い数字となっている。

 手当ての財源は租税が中心で、県の一般財源、社会保険一般拠出金(CGS)
や年金基金などからとなっている。このAPAの対象のサービスは日本の介護保
険と同様で、要介護のレベルに応じて定められ、市町村、あるいは県などが提供
している。なお、高齢者の医療に関して、特別の制度はなく、一般的な医療保険
制度がカバーしている。老人ホームなどの施設の場合、社会保障金庫と包括契約
を行い、高齢者医療にかかる負担は一括して施設に振り込まれる。

 高齢者を対象とした施設は、いわゆる民間の有料老人ホーム、自律できる人を
対象とした老人住宅(Foyer-logement pour personnes agees)、支援を必要と
する人を対象とした医療つき老人ホームに大別される。民間の有料老人ホームは
一般的に余裕のある人が入る施設なので、サービス・料金の設定は自由である。

 老人住宅は、食事や掃除などのサービスを提供するが、夜の見回りや介護は行
わない老人向けの施設で、家賃は一般の家賃を多少上回る程度でしかない。家内
の知り合いが住むパリの老人住宅は、普通のステュジオ形式(キッチンが小さい)
だが、医療つきの老人ホームのとなりにあった。同じ経営らしく、数年前に知り
合いの奥さん(現在98歳)が要介護と認定されると、その奥さんは医療つきの施
設に移っていった。

 医療付きの老人ホーム(maison de retraite medicalisee)は要介護に認定さ
れた人のみを対象とする。経営は民間(NPO)だが、県および国の医療機関
(社会保障当局の出先機関)と契約(3者契約と呼ばれる)を結び、運営を行っ
ている。この契約により、提供するサービスの内容、安全基準、料金、看護師お
よびヘルパーの給与なども規制されることになる。

 老人ホームの数は相当あり、私の住んでいる町(人口5万人くらい)でも、6施
設あり、県レベル(人口120万人)で60ほどあると聞いた。サイズは平均的には、
入居者数70-80人くらいが多い。事例として紹介する老人ホームは比較的規模が
大きく200人ほどが入居している。

 老人ホームの料金は、地域とサービスの内容により大きく異なり、月1500ユー
ロ(地方)から2900ユーロ(パリ市内)までと差があるが、平均的には2200ユー
ロくらいと見られる。家内が3年前に近くの老人ホームを4つほど見たところ、料
金は月2800ユーロから2200ユーロまでの差があったという。平均的に、年金生活
者の月々の年金は1122ユーロでしかないので、准民間の老人ホームでも相当な金
額で、かなりの部分は利用者の家族が負担していると見られる。

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◇2 事例紹介

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 今回紹介する事例は私の家内の母親が入居している老人ホームである。まず、
家内の母親がここに落ち着いた経過から始めたい。

 家内の父親は、1920年生まれ、家が貧しく高等教育を受けることはできず、首
都公団(メトロ)の養成学校出身、ドイツに強制労働者として働いた期間を除く
と、半世紀近く首都公団(バス部門)に勤め、63歳で管理職レベルで退職した。
大変に職人気質の人で、気位が高く、退職後は一切外での付き合いを拒み、パリ
近郊の自宅で、趣味の機械いじり、庭仕事、音楽、散歩をして過ごした。

 母親は専業主婦で1918年生まれ。週に2、3回に街の中心の市場に買い物に行く
のと料理が好きだった。大きな家には、テレビはなく(大変なマスコミ嫌い)、
晴耕雨読の規則正しい質素な生活を営んでいた。この二人が80歳を超える頃から、
父親は前立腺の手術そして母親は心臓の疾患などで時に入院したりしていた。

 一人娘の家内が心配し、市の高齢者用のサービスを受け入れることを提案する
が、まったく聞く耳を持たず、相変わらず、二人だけで生活を続けた(他人が自
宅に入るのを極端に嫌う)。家は古くなり、暖房も十分でなくなっていた。冬の
間、母親は風邪を引くことが多く、買い物もできない期間もあった模様(父親は
買い物嫌い)。

 事態が急変するのは、2009年の3月の寒い日で、父親は地下室で暖房器具の故
障を直そうとしていたらしい。何かの異変(脳血栓?)があり、意識不明の状態
となったらしい。母親が異変に気がついたのはその夜のことで、早速救急車を呼
び、救急病院に運び込む(長い間地下室にいたため体温が低下、瀕死の状態だっ
た模様)。翌日には母親も軽い狭心症で救急病院に運ばれる。病院からの連絡で、
慌てて家内はフランスへ出発した。

 フランスに戻った家内は、早速、市役所で近くの老人ホームのリストをもらい、
4つほどの老人ホームを訪問した。幸いにも、母親は軽症で、10日後に退院。も
はや一人で古い家に住むのをあきらめ、最初の老人ホームへ入居する。施設は隣
町の中心部にあり、4階建てのビルで、あてがわれたのは4階の1室だった。しか
し、ひとり部屋しか空いていないこと、また母親はエレベーターに乗るのが大嫌
い(閉所恐怖症)なので、その老人ホームを1月であきらめる。

 次に、現在入っているマルヌ河沿いの老人ホーム(母親が子供の頃住んでいた
町)に空きができたので、そちらに移る。この老人ホームは100年以上の歴史を
持ち、広い庭園の中にいくつもの建物がある大型の老人ホームで、アルツハイマ
ー専門の階もあると聞いている。母親が入った部屋は小さな建物の2階(12室と
食堂)にあり、部屋は優に30平米はある。ベッド以外に家具はほとんどなく、ト
イレとシャワー室が一角にあるのみ。ここに、父親用のベッドを置いてもらうこ
とになった。

 父親は、ようやく2ヵ月後に退院、母親と一緒に2年間ほど住むことになる。衰
えが見え始めた父親は、2011年3月に肺炎をこじらせ、近くの病院で亡くなる。
母親は、今も割りと元気で、同じ部屋で生活している。

 外から見ると、広い庭、大きな部屋で、問題は少ないようだが、母親の話や入
居者家族との懇談会で出た意見などを勘案すると、実に様々な問題があることが
分かる。

 まず、第一は介護の実践部隊であるヘルパー(准介護士)の数と提供される介
護サービスの内容である。フランスの准介護士は1年間の教育・訓練を要する国
家資格だが、医療関連の職種ではもっとも低い資格とランクされている。給与水
準は低く、看護師などの他の資格を得ない限り、昇給の見込みはない。ネットの
情報で見ると、ヘルパーの給与相場は最高で1600ユーロとあるので、わずかに最
低賃金(1430ユーロ)を上回る程度でしかない。そのため、外国人や海外領(カ
リブ海の島やレユニオン)出身者が多いのが実態の様である。

 さて、入居者の家族からの苦情は、食事の際、障害の厳しい入居者の中には、
日によってはヘルパーの手が回らず、食事も満足に取れない人もいるというもの
であった。つまり、自分で食事できない人が数人もいると、ヘルパーの数が足り
ず、手が回らないという。この施設では、食事は各階にある小規模なレストラン
で取る。母親のところ(原則的に、自律可能な人)では、入居者12人に対しヘル
パー1人で対応している。多分、より障害の重い棟では、ヘルパーの数が増える
と思われるが、手一杯の状況にあることは間違いない。

 食事の手配、食事の手助け、車椅子への乗り降りの手伝いなどヘルパーの仕事
が食事時間に重なることになる。母親は、何回となく、100歳を超えた隣の入居
者が、食事後、ヘルパーが車椅子に乗せに来るまで、長い時間待たされていたと
証言している(この人は昨年亡くなった)。

 これらの苦情に対し、施設責任者は、施設の料金との兼ね合いと説明していた。
総額管理のシステムなので、ヘルパーの数を増やせば、何らかのサービス(洗濯、
薬の配布など)を減らすか、料金を引き上げるしかないという。事実、この施設
の料金は、家内が調べた4つの施設の中では一番低かった。

 ちなみにこの施設の料金体系を紹介すると、要介護1と2のランクでひとり部屋
の場合、食事、宿泊が1日64ユーロ、このうち、医療費として、医療保険から
27.01ユーロ、APAから19.75ユーロが支出され、それに付属経費7.27ユーロが
各入居者料金に加算される。すなわち、1ヵ月の料金は2209ユーロだが、これら
の重い障害者の場合、そのうち65%が補助金という計算である。

 これに対し、母親の属する要介護3と4の場合、合計金額は同じく2209ユーロだ
が、補助金の割合が38%に減る(医療費として17.14ユーロ、APA9.87ユーロ)
(懇談会のときに配布された2013年の料金体系)。

 この料金体系を見ると、軽症の入居者は自己負担率が高く、料金の引き上げに
は反対する者が多いと予想される。多様なニーズの要介護者を抱える施設にとっ
て、サービス向上を優先するのかあるいは料金を優先させるのかは大変に難しい
選択なのだろう。

 つぎに問題になったのは、食事の質であった。確かに、母親の苦情の多くは食
事のことが多い。3年前に、一度施設で家内の両親と一緒に食事したが、これは
酷かった。のこぎりで切ったようなきゅうりのサラダ、味のない肉、わずかにチ
ーズとデザートがまともだった。

 施設責任者の話では、食事は近くの工場で調理されたものを、各棟ヘルパーが
温めて出しているという。その際、ヘルパーが暖めるのに指定された温度や時間
を守らず、出してしまうケースがあることは認めていた。ヘルパーに指示通り温
めるように指導すると答えていたが、母親の話では、あまり成果は上がっていな
いようだ。まあ、1日3食の予算は10ユーロに抑えられているので、その中でバリ
エーションをつけるのが非常に難しいことは分かる。

 3つ目の苦情(これは母親からのもの)は、入居者のプライバシーが守られな
いこととヘルパーの態度である。母親は、ヘルパーは「大声で話し、口のきき方
を知らない」「夜遅く、あるいは朝早くドアーもノックしないで、バターンと来
る」などとその態度に対する不満は強い。もっとも、何十年となく、二人だけの
静かな生活をしていた家内の両親のような場合、集団生活そのものへの適応が難
しい部分も大きいのだろう。

 また、ヘルパーによっては、かなりぞんざいな扱い方(シャンプーやシャワー
の際)もあるのは事実だろう。しかし、ヘルパーの動機付けは簡単ではない。ヘ
ルパーの給与は、まったくの職務給で、公務員表に沿って適用される。施設責任
者の話しでは、勤続20年後でも、勤続手当は月に数千円程度でしかないという。
したがって、特別なケースを除くと、長いこと勤務しているヘルパーに仕事のや
り方の改善を求めるのは難しいと施設責任者は話していた。

 以上、懇談会などの苦情に基づき、問題点を紹介したが、バランスを取るため
に、良い面も紹介しておこう。まず、何と言っても、老人ホームの数が多く、日
本のように途方もない入居料を請求することはない(数ヶ月のウエイティングリ
ストは存在する)。

 料金も、フランス人の所得と比べると安いとはいえないが、少なくとも事例
(NPO)の場合は、良心的な様に思われる。部屋の広さも日本と比べると相当
に広い。医療行為に関しては、専属の医師、看護婦がいるので安心できる。また、
施設内に美容室などのサービスがあるようだ。また、家族の訪問は自由なので、
週末には多くの家族が来る。さらに、事前許可を得れば、外出もできるので、日
曜日には家族の家で過ごす入居者もいる。

 こうして私が垣間見たフランスの老人ホームは、理想からは程遠いが、まあ水
準を保っているように思える。やはり、施設の料金の問題(補助金の問題でもあ
る)とヘルパーの質の改善(待遇の改善)が大きな課題のように思われる。

 付記:最近、今年のカンヌ映画祭で最優秀作品賞を得たハネケ監督の「Amour」
という映画を見た。「Hiroshima, mon amour」で有名になった Emmanuelle Riva
が自宅で次第に衰えてゆく老婦人を実に見事に演じきっていた。彼女が余りにリ
アルに老化する画像に家内はすっかり滅入っていた。どこの国でも、高齢者の介
護、そして自宅あるいは施設の選択は難しい問題であり、98歳の母親を持つ私に
は、深刻な映画だった。

          (筆者はパリ在住・早稲田大学名誉教授)

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