【コラム】
槿と桜(81)

チキンとコーヒー

延 恩株

 ここで言うチキンとは唐揚げチキンのことです。コーヒーとは喫茶店(カフェ)で提供するコーヒーのことです。
 韓国へ行って、ソウルなど大都市はもちろん中小の都市でもチキン店と喫茶店(カフェ)の看板の多さに驚く日本の方は多いようです。そして、たいていなぜこんなにも多いのかと疑問に思うようです。資本主義の原則に従えば需要と供給の関係で、それだけ求める人が多いから、ということになるのでしょう。

 確かに韓国人はチキン店でさまざまな味付けのチキンを買ってよく食べます。私も韓国にいた時はよく食べました。でも日本に住み始めてからは、ケンタッキー・フライド・チキンなどへわざわざ買いに行くなどということはまずありません。最近では日本でも唐揚げチキンを売り物にするチェーン店や個人商店が増えていますが、私はいつも素通りです。このような私自身の嗜好から考えてみますと、韓国人はチキンが好きだからと単純には済まされないでしょう。

 そもそも韓国では鶏肉は高価な食べ物でした。その代表的な料理が「参鶏湯(サㇺゲタン 삼계탕)」で、かつては庶民にはめったに食べられない薬膳料理でした。1960年代初めにソウルのレストランににわとりの丸焼きが登場しましたが、やはり高級な食べ物でした。ところが1970年代、朴正煕(パㇰ・チョンヒ 박정희)第5代大統領によって進められた経済政策は「漢江の奇跡(한강의 기적)」と呼ばれ、大きな経済成長を遂げ、国民の所得が驚異的に伸びました。

 にわとりの飼育方法も各農家での少数飼育から養鶏場飼育へと変わり、鶏肉が安価で手に入りやすくなると、1977年に韓国で最初のチキン専門店「リㇺスチキン(림스치킨)」が出現しました。そして1982年に「ペリカナチキン(페리카나치킨)」が売り出した、塩、胡椒、ハーブではなく甘辛いタレをかけた「ヤンニョㇺチキン(양념치킨)」が爆発的に売れ、韓国人とチキンとの親近性が一気に高まりました。それに拍車をかけたのが1984年のケンタッキー・フライド・チキン(캔터키 후라이드 치킨 KFC)の韓国進出と言えます。
 つまり韓国人がチキンを好んで食べるようになったのは、せいぜい40年ほど前からなのです。ではコーヒーは?

 韓国人とコーヒー(커피)の親近性はチキンよりもさらに歴史は浅く、カフェが急激に増えたのは20年ほど前に過ぎません。それまでは、現在、日本で親しまれているコーヒー豆をひいてドリップ式で飲むものもありましたが、喫茶店(タバン 다방 茶房)のコーヒーにはミルクたっぷりの甘い飲み物もありました。そのためか、韓国人がコーヒーを甘くして飲む嗜好は現在も受け継がれています。
 そして現在のようにコーヒーチェーン店が増えてからは、なぜかブラックコーヒーより最も親しまれているのが「アメリカーノ」と呼ばれるコーヒーで、日本の「アメリカン」よりさらにうすいものです。

 韓国でコーヒーが大衆化していくきっかけは、1999年にスターバックスが韓国に進出したことが大きかったと言われています(ちなみに日本では1996年にスターバックス1号店が銀座にオープン)。もちろんそれ以前に、韓国の家庭にインスタントコーヒーが一定程度、浸透していたという状況があったことも、コーヒーが大衆化していく素地を作ったのだと思います。このインスタントコーヒーは朝鮮戦争後、韓国に駐留したアメリカ軍によって持ち込まれました。

 このようにインスタントコーヒーに慣れ親しんでいた韓国人にとって、スターバックスのような本格的な良質のコーヒーが飲める専門店の登場はブランド嗜好を刺激し、コーヒーブームを引き起こしました。ただ当時、昼食代が300円~500円程度でしたが、コーヒー代はそれより高い飲み物でした。
 その後、ロッテ(롯데)などの韓国ブランドが市場に参入し、韓国人とコーヒーのつながりが深まり、日本とは異なるカフェ文化が生まれていきました。

 現在、韓国のコーヒー代は日本とほぼ同じです。ただ韓国の方がカップのサイズがやや大きいので、たっぷりという感じです。韓国には「コピス族(코피스족)」という言葉があります。コーヒーとオフィスを結びつけた造語で、カフェで仕事する人たちを指します。こうした言葉が生まれることからもわかりますが、韓国のカフェには座席のそばにコンセントが常備され、Wi‐Fiも自由に使えます。日本ではあまり考えられませんが、カフェが仕事場であったり、学生の勉強部屋であったり、さらには会議までしたりと、とにかく長居することができます。

 日本では最近、コンビニで100円コーヒーが販売され人気がありますが、韓国では100円ほどの価格帯でコーヒーが飲めるカフェもあります。また食べ物、特にスイーツが種類豊富なのも韓国のカフェの特色です。そして、韓国ではうすい、甘いコーヒーが好まれていて、私もコーヒーはあまりブラッックでは飲みません。

 さて、このチキンとコーヒー、韓国では共通点があります。その一つは、すでに述べましたが、どちらも韓国人がとても好む食べ物であり、飲み物だということです。
 たとえばビールを飲むときにはチキン、チキンを食べるときにはビールと言われるように「チメㇰ(치맥)」という言葉があるほどです。これはチキン(치킨)とメッチュ(맥주 ビール)を結びつけた造語で、日本では考えられないほどに一体化しています。
 また甘いコーヒーが好まれるのは、私自身の嗜好から言うと、食後の口直しに適しているからでしょう。実際に、多くの食堂ではお客さんに食後のインスタントコーヒーを無料で提供しています。

 そして、もう一つの共通点は、個人で起業を考えたときに韓国人の食生活に浸透し、市場的にも成長株で、しかも初期投資が比較的少額で済むことです。独立志向の強い人にはうってつけの事業というわけです。
 ただし理由はそれだけではありません。ここにはよく言われていますが、韓国の経済事情が大きく関わっています。

 韓国は日本よりも学歴社会で正社員になれる若者の割合は低く、景気は低迷したままです。企業の経営努力は従業員の人減らしや賃金カットとして跳ね返ってきます。雇用形態が不安定で、いつ解雇されるかわからない状況で働いている人が多くいます。
 日本では定年年齢を60歳から65歳に引き上げ、さらに70歳まで働ける仕組みを作ろうとしていますが、韓国では定年以前に退職を迫られる人も少なくなく、いったん退職すると再就職は難しいのが現状です。

 そこで注目されるのが、チキン店、あるいはカフェ店ということになります。多額の資金を必要としないで自己資金だけでも店を持ち、自分がオーナーになれるということで、若者からお年寄りまでが開店を目指すようになりました。私の母の知り合いの女性がカフェ開業のための講習を受けて自分の店を持ったという話なども決して珍しくはありません。

 こうして韓国の就職難が起業を促し、なかでもチキンとカフェの人気に目をつける人が次々に店を持ったことが韓国でのチキン店とカフェ店の看板の多さにつながっているのです。自分の店の特色を出そうとさまざまな商品を創り出している韓国のチキン店やカフェ店だけに観光スポットにもなるような店も多くあります。しかしその一方で、過当競争気味のなかで経営に失敗して閉店に追い込まれてしまう人たちもいます。これも競争社会の厳しい一面ですが、韓国のチキン文化、カフェ文化がさらに深化し、起業したオーナーがいつまでもオーナーとしていられることを願わずにはいられません。

 (大妻女子大学准教授)

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