【コラム】宗教・民族から見た同時代世界
スリランカとミャンマーに出現した仏教過激派連合を問う
奇妙な情報を聞いた。イスラム過激派「イスラム国」の台頭に刺激されてか、スリランカの仏教過激派がミャンマーの仏教過激派と国際連携に動き出したというのである。
スリランカ側の中心人物は、仏教国粋団体「ボドゥ・バラ・セナ(BBS)」のグナナサラ幹事長。相手は「ビルマのビンラディン」と呼ばれ、イスラム教徒へのあまりにも過激なヘイトスピーチ(憎悪表現)で名を売った高僧アシン・ウイラトゥー師。スリランカで会合し、「イスラム過激派による強制改宗と共に戦う」ことで合意したという(『選択』2014年11月号)
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◇◇ イスラム教徒は社会の脅威か
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奇妙というのは、両国とも、イスラム教徒は絶対的な少数派で、しかも、むしろ多数派仏教徒から迫害を受けている被害者だからである。
スリランカのイスラム教徒は同国人口の約7%。主に、9世紀以降、インド洋貿易を担ったアラブ系の交易民の子孫や、17世紀以降、オランダ統治時代にマレーやジャワから、英国統治時代に北インドから、それぞれ移住してきた者の子孫である。
マレー系の農・漁民を除いては、商業に携わる者が多く、近年は宝石商として活躍する者も増えて、独自のコミュニティーをつくっているが、屠殺などを専業とする低いカーストとして仏教徒シンハラ人社会に組み込まれている集団もある。
裕福な宝石商などは、暴動などの際には真っ先に略奪や放火の対象とされている。
一方、ミャンマーのイスラム教徒は人口の僅か4%。15世紀以降、傭兵や商人として定住したベンガル系移民の子孫や、19世紀末の英国による植民地支配に伴ってインドから流入した移民の末裔である。
1980年代、アウンサンスーチーらの民主化運動を支持したことも一因で、軍政によって「不法移民」として国籍を剥奪されたり、財産没収や強制労働などの弾圧を受けるようになったが、尻馬に乗る仏教徒ビルマ人大衆の攻撃がエスカレートして、2000年代に入ってからは、集落が襲撃されて焼かれたり、数千人の避難民が小舟で海上に逃れて、そのうち数百人が漂流したまま行方不明になるなどの悲劇が、繰り返されている。
スリランカでもミャンマーでも、どう見ても、イスラム教徒が多数派仏教徒の脅威になるような状況ではないのだ。
とすれば、別の原因を捜さねばならない。
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◇◇ 偏狭ナショナリズムに歴史あり
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スリランカには、上記7%のイスラム教徒の他に、70%を占めるシンハラ人仏教徒と20%弱のタミル人ヒンドゥー教徒がいる。1950年代、バンダラナヤカ率いるスリランカ自由党は、多数派シンハラ人におもねる「シンハラ仏教ナショナリズム」を掲げ、仏教の国教化とシンハラ語の公用語化を押し進めた。
タミル語を話すヒンドゥー教徒のタミル人は社会的に疎外される窮地に陥り、反政府組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」を結成して分離独立運動を開始する。
83年、コロンボ市内で、4千人余りのタミル人がシンハラ人に虐殺された暴動事件が起こり、これを契機に本格的な内戦に突入。以来、25年の長きに亙って7万人を超える犠牲者をうんだ民族紛争が続き、2009年にようやく、「敗北」を宣言したLTTEを政府軍が包囲・殲滅するという非道な形で紛争は終結した。
83年の暴動で目立ったのは大衆を扇動する仏教僧の姿だったといわれているが、この内戦を通じて、仏教界の一部に過激化した僧侶集団が育ち、その一派が冒頭に述べたBBSである。タミル勢力がもはやシンハラ人社会に対抗するものでなくなったいま、仏教ナショナリズムの鉾先がイスラム教徒に向けられたのである。
ミャンマーでも同様に、仏教徒とイスラム教徒の関係は、この国の民族・宗教対立の主要なテーマではない。
独立当時、英国植民地支配下でキリスト教徒となった者も多いカレン族、カチン族、チン族などをはじめとする少数民族は、ビルマ族仏教徒が主導する国造りに異を唱え、武装組織を創設してビルマ族に迫り、一時はビルマ族中央政府は当時の首都ラングーンを統治するのが精一杯の状況にまで追い詰められた。
第2次大戦中、キリスト教徒少数民族を傭兵とした英植民地軍と、仏教徒ビルマ族を兵力に用いた日本軍が戦った、その前史を含め、この過程で、仏教徒ビルマ族ナショナリズムはいやがうえにも肥大化・先鋭化したのだ。
内戦は、紆余曲折を経ながらも、軍政が各少数民族武装勢力を下して、現在、全面的な停戦合意に到達しつつある。こうして、侮れない武装勢力をもつ有力な少数民族との緊張が薄れたなかで、いま、理不尽な近現代史で育まれた仏教ナショナリズムの刃が、弱小で、民族としての政治的自立性を主張したこともないイスラム教徒に向けられようとしているのである。
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◇◇ 仏教徒にとって弱い者いじめは恥である
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ナショナリズムとは本来、抑圧された少数派が権利を主張し、自らを鼓舞する叫びであった。だが、いつの間にか、多数派が少数派を排斥し抑圧するスローガン、ときには、体制による権力維持の暴力装置にさえ、変わり果ててしまった。
それは、これら両国にのみ認められることでなく、他のアジア諸国にも、また、近年とみに、欧米諸国における移民排斥や、我が国でのヘイトスピーチにも見られるところである。
だが、そのような偏狭で攻撃的な自文化至上主義は、「生きとし生けるすべてのものへの差別なき大悲」を旨とする仏教者にとっては、本来、最も退けるべきものであり、闘うべき対象であるはずではないのか。
(筆者は元桜美林大学教授)