【コラム】
技術者の視点(9)

スタ五の響き ―ショスタコヴィッチ―

荒川 文生

 ショスタコヴィッチ作曲の交響曲第五番(スタ五)をお聴きになって、皆さんはどの様な想いを巡らされるでしょうか?
 荘重に奏でられるその響きに、ロシア革命が人類に齎した大きな意義と重い負担とが感じられます。伝統的な作曲手法に准じながら、現代音楽に通じる心の苦しみを訴える曲としての構成と旋律は、音楽史における古典から現代への移り行きを反映すると共に、政治的な背景を色濃く映し出すものとも言えましょう。

画像の説明

 革命の実践を芸術にも求めたソヴィエット連邦政府の文化政策は、ショスタコヴィッチの作品に就いても厳しい批判を向けておりましたが、此の交響曲第五番を以って その名誉が回復されたと言われます。この歴史的事実は、充分な検証に値します。

◆ 1.人間の技(わざ)や術(すべ)としての音楽

 人間がその生活を便利で豊かにしてきた営みの技(わざ)や術(すべ)は、一方で目に見える実用的なもの、例えば家庭電化製品などが在りますが、他方で抽象的な音楽などの芸術作品も在ります。つまり技術の本質は、芸術に通じるものが在ると言う訳です。

 一般に科学は真理を追究し、技術は実利を追求すると言われています。その所為か、科学者より技術者の方が倫理観に乏しいとも言われます。しかし技術の本質が人間の生活を含むその在り方を追求するものであるとすれば、技術倫理も人間生活に立脚する極めて 現実的課題と為り、技術者倫理は日常的な人間生活の中で常に問われていると言うべきでしょう。そのように技術が人間生活の在り方を追及する過程で造り出される製品が、人間生活を便利で豊かにしている訳です。いっぽう、芸術が人間における真善美を追究し、その過程で生み出される作品が人間生活をより正しくより善くより美しくすると言う事は、技術とその本質の共通性を有することと為ります。

◆ 2.理性と感性の統合

 何事にも良い面と悪い面がある様に、芸術にも技術にも、人間生活をより豊かにする面とそれを破滅に導く面とが有ります。ある芸術作品や技術的成果が、その何れの面を齎すかは、その時代の価値観や社会的背景に拠る所では在りますが、人類の来し方行く末を見渡す中で、その評価を試みることが肝要ではないでしょうか。その基本が倫理と言うものでしょう。

 作曲家・三枝成彰が、「現代音楽」から距離を置くようになった理由を「音楽とは音を楽しむもので、自分の苦しみを訴えるものでは無いのではないかと思った。」と言うのを聴いたことがあります。所謂「平和」な2000年代の日本では、三枝成彰の言うところに共感するところもありますが、所謂「革命」最中の1930年代のロシアでは、ショスタコヴィッチの悩みを理解しない訳には行きません。芸術作品の評価が分かれる所以です。自然科学の分野で言えば、経済成長が人々の生活を豊かにすると信じ、技術革新がそれを促進すると努力した結果が、産業公害や原発事故のような自然と人間生活の破壊であったという事実に遭遇すると、技術的成果の齎す両面に就いてどのように対応すべきか、単純な結論は危険であり妥当性も欠いていることが判ります。

 この様な状況に直面して「現実」に対応する人間としての倫理的根拠は、理性と感性を統合した判断と実践ではないでしょうか? 具体的には、人類の来し方行く末(歴史)を事実に基づき合理的に判断する理性(左脳)と真・善・美を受け止める感性(右脳)とを脳幹を通じて的確に統合した判断と実践を試みることです。さもないと、如何なる理想も花と散るばかりでしょう。

  革命かスタ五の響き花と散る  (青史)

 (地球技術研究所代表)


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