■  【横丁茶話】                  西村 徹

ジャン・ジャック・ルソーと脱税

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■実践上役に立つ唯一の格言


 ジャン・ジャック・ルソーの『告白』のなかに、「その優しい心と正しい行い
をよく知っている」父の態度からルソーが引き出した一つの道徳上の大格言とい
うものが記されている。

 「おそらくこれは実践上役に立つ唯一の格言だが、それは、我々の義務と利害
が矛盾するような立場、そして他人の禍の中に自分の利益を見出すような立場に
身を置くことを避けよ、ということだ。」(岩波文庫・上81ページ)

 二つの立場が併記されているが、「我々の義務と利害が矛盾するような立場」
なるものと「他人の禍の中に自分の利益を見出すような立場」とではヴェクトル
がちがうように思えて戸惑う。どうにも、すんなりとは結びつかなくて困った。
しかし次の段落で「他人の利益に反してわたしに利益をあたえる立場、したがっ
てその人に害のあることを無意識にでもねがいたくなるような立場を、わたしは
極力さけたのだ。」とあるのを読んで、いったん「我々の義務と利害が矛盾する
ような立場」のほうを棚に上げて読み進むことにした。

 「他人の禍の中に自分の利益を見出すような立場に身を置くことを避けよ」の
方は、消極的ではあるが今日でも十分に格言とするに足るものであろう。他人を
犠牲にしてまで利をむさぼるような我利我利亡者にはなるまい、ということだろ
う。さらに現代的な文脈に置くならば、多数民衆を奈落に陥れることによって、
狡知に長けた自分たちだけが肥え太ろうとする新自由主義の金融工学を、避ける
べきものとして斥けているということにもなる。ルソーの時代には、今日のよう
な強欲資本主義はまだ育っていなかったろうが、萌芽的にせよ人の心に巣食う、
隣人の不幸を我が喜びとする類の、マンモニズムの卑しさをルソーは鋭く嗅ぎ当
てていたといえる。


■ルソーの教訓と鳩山兄弟


  では棚に上げた方の文章はどう理解すればよいのか。
  仮に「我々の義務と他人の利害が矛盾するような立場」なら、不十分ながらな
んとか分かる。たとえば石頭の小役人がやたらと義務に忠実なために人々が迷惑
することもありうる。もし自分が小役人だったとする。そのときは杓子定規なこ
とをして民をいたずらに苦しめるようなことはすまい、ということならわかる。

 しかし原文を見ると「義務」も「利害」も「我々の」(nos)がついている。原
文では「我々の義務」は当然nos devoirsであるが、「利害」もnos interetsつ
まり「我が方の利益」である。訳者がinteretsの訳語として「利益」でなく「利
害」を用いたのは、それに続く「他人の禍(mal・不幸)の中に自分の利益(bien・
幸福)を見出すような立場」のbienに、なぜか「幸福」でなくて「利益」という
訳語を当てたくて、interetsもおなじ「利益」では間が悪いので、ヴァリアント
として「利害」に変えただけのことだろう。要するに「利益」だ。次の段落では
自分のも他人のも、いずれもinteretは「利益」で通している。だから「自分の
義務を果たせば自分の利益にならないような、つまり自分が損するような立場」
と読むしかない。

 すると、たとえば鳩山由紀夫、邦夫の両氏は、それぞれ母親からもらった約12
億円ずつに対して贈与税納入の義務を果たせば、たちどころに約6億円ずつを失
う。そういう自分の損になる立場を避ける、つまり脱税することを、ルソーは実
践上選ぶべきだとしているのである。義務には常になんらかの自己犠牲、なんら
かの損失が伴うから、義務の履行を避けよとルソーは言っていることになる。実
に鳩山兄弟はルソーの格言に忠実に従ったというわけである。

 これは現代市民社会のルールには抵触する。日本では憲法30条違反になるので
実践上の格言とするに適当ではない。しかし政府を信用しない市民の感覚をもっ
てすれば大いに頷けるところである。総務大臣をしていた邦夫氏も、総理大臣を
している由紀夫氏も、あえて憲法30条に違反しようとしたのだから、よくよく政
府を信用してはいないらしい。政府は信用できないことを身をもって知っていた
からにちがいない。


■大革命前のフランスと今日の日本国


  鳩山兄弟の一件は新聞がほじくって脱税が発覚し、時効にかかった分を除いて
7年分を修正申告することで脱税ではなくなってしまった。どうして脱税が発覚
すると脱税が脱税でなくなるのか、摩訶不思議のからくりはいまだに私の理解を
超えるが、とにかくそれをきっかけに、ルソーが「我々の義務と利害が矛盾する
ような立場」を避けよということの意味は氷解した。現代においてさえかくのご
くであるとすれば、ルソーの生きた18世紀フランスはどんなであったかは容易に
想像できる。

 『告白』(岩波文庫・下巻)巻末の解説に「大革命前、農村の窮乏のため、故
郷を捨てて流浪する人民の数はかなりの数にのぼったという。ルソーは、そうし
た流浪の民のひとりであった。しかも、心は社会正義に飢えている」と記されて
いる。おそらく鳩山兄弟もルソーにおとらず心は社会正義に飢えているのである
にちがいない。

 『告白』上巻の234~235ページには上記解説に符合する事柄がしるされている。
ルソーはリヨンへの旅の途中、「飢えと渇きに死にそうになって」一軒の農家
に入り「金をはらうから食事をさせてくれとたのんだ。うすい牛乳と大麦のパン
を出して、これしかないという」。ところが、やがて「あんたは正直そうな若者
で、裏切りをするためにやって来た人間じゃなさそうだ」と言い、上等小麦の黒
パンと、ハムとワイン一本に、分厚いオムレツまで出された。

 金をはらう段になると、またもやびくびくした様子になり不思議なほどそわそ
わして金はいらぬという。理解しかねていると、ようやく百姓は身ぶるいしなが
ら、「役人」とか「酒倉ねずみ」といった恐ろしい言葉をいい出した。彼は、*補
助税を恐れて酒をかくし、人頭税を恐れてパンをかくしているのだということ、
餓死しかかってはいないと疑われたが最後、もう破滅だということを、私に説明
した。」とある。
  (*補助税aidesは、フランス史;「貢租:間接税の前身である御用金」と辞
書にある以上を知らない。お教えを請う。)

 こんなことはジュネーブやスイスではなかったことだ、とも書いているから、
大革命前のフランスはよくよく酷かったもののようである。そしてこのページま
で読みすすめば鳩山兄弟を待つまでもなく最初の疑問は氷解したのではあるが、
鳩山兄弟の一件によって我らは日本国政府の信用状態がいかなるものであるか、
ルソーの時代のフランスとさほどに変わらないものだということを知りえたとい
うわけである。

 日本のNPOに対する寄付人口が極端に少ないこともこれに照応しているかもし
れない。2010年2月27日の朝日新聞(大阪)によると、寄付する個人の割合と総
額は日本が納税者の2.2%、0.26兆円。米国が納税者の30%, 20.4兆円。英国が
成人人口の54%、1.5兆円。NPOの数も日本は極端に少ないがNPOですら、いわん
や政府は、はるかに遠いお上であって自分たちのものという意識が希薄だからで
あろう。鎮守の祭りや町の運動会に寄付するような身近なものに寄付する気分に
はならないからであろう。特高まがいの検察のビヘイビアを見ても、日本はポス
トモダンどころか、まだプレモダンなのであるらしい。

                     (筆者は堺市在住)

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