【コラム】
1960年に青春だった!(2)

ジャズ(下) 米国南部の彼ら彼女らはなぜかくも熱演するのだろうか

鈴木 康之

♪ セカンド・ラインの遺産

 たかが65年ほど前のことなのに記憶どおりの記録がなくて歯がゆい。
 JATP(Jazz At The Philharmonic)なるジャズ一座が1953年11月に来日した。私は中学2年生でジャズの熱病に初期感染中。参考書代だと嘘をついて東京・日劇の券を買い、聴きに行った。オスカー・ピーターソン、ジーン・クルーパー、チャーリー・シェヴァース、ロイ・エルドリッジ、ベン・ウェブスター、ベニー・カーター、エラ・フィッツジェラルド…と諳んじている。ネット上にもその通り記されていて、記憶と記録が合致している。

 歯がゆいのはシネラマIIだ。JATPと同時期にシネラマという大ワイド画面映画が日本にやってきた。その第二弾シネラマIIはオムニバス映画で、映像の一つにニューオーリンズのジャズ・フューネラルのシーンがあると聞いた。前述の手口で金を用立てて観に行った。映画館は帝国劇場かテアトル銀座だった。思わず首を回してしまったほどの大ワイド映像の迫力と自分が世界のど真ん中にいると思わせられる全方位スピーカーの音響が、少年には強烈でこと細かく記憶に刻まれた。その詳細の記録がネット検索できないわけなのだ。

 鈍く苦々しいブラスバンドの葬送行進曲が聴こえてくる。スクリーンの右端から遺族、棺を運ぶ関係者たちの重い足どりの隊列と、続いてブラスバンド、つまりセカンド・ラインが現れる。共同墓地で棺が埋葬され、牧師の祈祷。黒人たちは重い足どりのまま墓地を出て、来た道を帰る。セカンド・ラインの楽曲は未だ気だるくスローだ。カメラが黒人たちの長い脚や高い腰つきをアップで捉える。それらがヒクッ、ヒクッと動き始める。すると、ブラスが黙り、スネアドラムのローリングが数小節あって、ブラスがアップテンポで“WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN”を始める。
 黒人たちは手拍子を打ち、体を捩って踊りだす。「悲しみも苦しみももう真っ平だ。街へ持ち帰るのはご免だぜ。あいつは死んじまいやがって、羨ましいや。天国行きだ。さあ祝おうぜ」と前を向くのだ。

 「シオンに住む者よ、叫び声をあげ、喜び歌え。」(イザヤ書12)
 「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。」(同書61)

 黒人たちは17世紀の奴隷貿易で世界の果てのアフリカから売られてきて、世界の果ての米国南部の下流域へ、虐げられ、蔑まされて、流れ着いた。不条理な人種差別の過酷に加えて、ミシシッピー下流域は湿地帯であり、昔から黄熱病や天然痘といった伝染病の絶えない地でもあった。黒人たちに残された生き方の支柱は、福音(ゴスペル)と相互愛(アガペー)と、そして自己解放(ラプチュア)のトラスだった。だから死に対して極めて積極的で気がいい。

 「さあ、酒を手に入れよう。強い酒を浴びるように飲もう。明日も今日と同じこと。いや、もっとすばらしいにちがいない。」(同書56)

 “WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN”は多くのポピュラーなゴスペルと同様、作者不詳の黒人霊歌だ。ジャズの定番楽曲として定着させたのは、トロンボーン奏者でバンドリーダーのエドワード・キッド・オーリー(1973年87歳昇天)か、トランペット奏者のルイ・アームストロング(1971年70歳昇天)など当時の人気者の名をあげるジャズ史家も少なくない。
 しかし真説はローカルなコミュニティー社会にあったはずではないだろうか。ニューオーリンズにはアフリカ系黒人コミュニティーに根ざしたソシアル・エイド&プレジャー・クラブという生活支援組織が存在していた。それは南部バプテスト系教会と基盤を共有していて、葬儀の情報が伝えられるとその組織が棺の用意やブラスバンドの手配などを仕切り、セカンド・ラインの伝統様式を守護してきた。そのミュージシャン・グループが“WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN”を定着させたというのが史実だろう。

 因みにこの曲に「聖者が街(MARCH)へやってくる」という地口の邦訳題がつけられたのは、さほど昔のことではないはずなのに日本人名の記録がない。第二次世界大戦前にもジャズバンドはあった。なになにデキシーランドジャズ・バンドという呼称もあったが楽器の編成上の意味であり、演奏するナンバーはいずれもダンス音楽だった。

 戦後の「軽音楽」混在コンサートの時代、ステージのエンディングは旧来的にはもっぱらデキシーランド・バンドが主導する「聖者が街へやってくる」だった。ベニー・グッドマン(1986年77歳昇天)楽団などをコピーするフルバンド・ジャズが盛んになると、エンディング・ナンバーは“SWING SWING SWING”が定番となった。しかしこれは派手なドラミングで盛り上げようという意図のアイデアに過ぎない。そして時代変わってJATP(Jazz At The Philharmonic)スタイルの7~9 人編成によるオールスターズ時代になると、エンディングは単純なフレーズをリフレインする“PERDIDO”が定番となった。“PERDIDO”はスペイン語のペルディードの英訳語、「迷う」「夢中になる」という意味があるらしく、南部ジャズ魂の祈祷の響きを感じられなくもない。また、わが国ではステージのファイナルを盛り上げるためだけに「聖者」を賑々しく演奏する演出が多く聴かれるが、南部ジャズ魂の本分にそぐわない。ステージのストーリーに苦難、悲痛、祈祷を覚える表現が先にないことにはジャズにならないからだ。

 ⬇︎ YOUTUBE ぜひともイヤホンで低音部も拾ってお聴きいただきたい。
  “WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN”の YOUTUBE は聴き慣れたものばかりで、
  推奨するものが見当たらない。楽曲は違うがいま実力・人気ともにトップをいく
  マルサリス・クインテットのものを添える。セカンド・ラインの正統スタイルを
  満たしている。
   Second Line (Joe Avery's Blues) - Wynton Marsalis Quintet featuring
   Mark O'Connor and Frank Vignola 14’49”
   https://youtu.be/0RqWGuWIM_g

 ※なお「ニューオーリンズのジャズ葬」と題して武田尚子氏が「オルタ」84号(2010.
  12.20)に拙稿より詳しいルポを載せておられるのでご一読いただければ幸い。

♪ ゴスペル歌手プレスリー

 エルヴィス・アーロン・プレスリー(1977年42歳昇天)は、ミシシッピー州テュピロで生まれたが、13歳のとき親がテネシー州メンフィスに引っ越し、以来そこで育った。両親ともに敬虔なプロテスタントの信者で、アーロンを教会に連れて行った。9歳で洗礼を受けた。貧しい黒人労働者階級が多い街だった。自らエリス公会堂のゴスペル・ショーにも通った。この街で黒人の音楽ゴスペルやデルタ・ブルースに惹かれた。のちのアーロンのあらゆる歌唱の音楽性は教会の聖歌隊で身についたものらしい。

 スーパースターになってからも、アーロン自身はチャラチャラした衣装で甘ったるいポピュラー・ソングを歌うのではなく、1曲でも多くゴスペルを、1曲でも多くブルースやワーク・ソングを歌いたかった。現実は辣腕マネージャー、トム・パーカーの商業主義の圧力に差配されたが、そんな中でも3盤以上のゴスペル名唱集を残している。グラミー賞を2度受賞しているが、67年の「偉大なるかな神」、72年の「至上の愛」、どちらもゴスペル曲である。
 心から歌いたいのはゴスペル(祈り)であり、歌っているのがポピュラー・ソングであってもこれもゴスペル(福音)なのだと意図して歌っているように聴こえる。伝統的なゴスペルの地では音楽分類上は何ソングであれ、何ミュージックであれ、この地ではゴスペルになる。ポピュラー・ソングというものはそういう意味である。

 伝統的な、と書いたが、この地の音楽文化にはたった1世紀半ほどの歴史しかない(血の源流を遡れば当然もっと長いけれども)。エルヴィス・アーロン・プレスリーの生涯はその中でたった40年余。歌手生命はわずか30年。短命の定め。だからこそすべての歌唱をゴスペルとしてあのように濃厚に喉から練り出さなければならなかったのだろう。

 ⬇︎ YOUTUBE
   ELVIS IN CONCERT77 ♡ 偉大なるかな神(宗教歌・ゴスペル)3’49”
   https://youtu.be/u7e8XDmmZBQ

♪ '70ニューポート・ジャズ

 1970年のニューポート・ジャズ・フェスティバルは偉大なるルイ・アームストロング70歳のトリビュート・イベントとなった。全米からジャズ・ミュージシャンが集り、次々とステージに上がって寿いだ。トリをとったのはマヘリア・ジャクソンだった。

 2人は同じニューオーリンズ生まれ。ルイは貧しい居住区に生まれ、ピストルを発砲して少年院に入る。そこのブラスバンドでコルネットに出会い、見様見真似で吹いて人気者になり、ジャズマンの道が開けた。マヘリアは子ども時代に街のバプテスト教会に通うことができ、そこの聖歌隊で歌唱力を磨き上げ、若くしてゴスペル・グループに抜擢された。
 2人はそれぞれに神の大いなる御業に恵まれた。
 ルイは類い稀な高い音楽性とサービス精神横溢するエンターテイメント性でジャズ史を彩った。そのことに関するリアリティのある証言がある。こんにちそのジャズ音楽性はルイの高みに最も近いとされているトランペッター、ウィントン・マルサリスが曰く、「大方のトランペット奏者の良いところを盗むことができた。しかしルイだけは未だ盗めない。今後も盗めない。凄すぎるから」。

 凄すぎる功績の一例にスキャットの創造をあげて考えよう。「ダバダバ」「ドゥビドゥビ」のような言語性のない発声を続ける即興的な歌唱法だ。ルイがある楽曲の録音中、歌詞を失念して、意味のない発声でごまかしてしまった。このNGテイクがスタジオ内で大受けとなり、プレスにかけられた。インストゥルメントと同様にヴォーカルもまたインプロヴィゼーションでよしとされ、理にかなっていたために、この歌唱法は瞬く間にジャズ界に広がり、一つのジャンルとなった。エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンらが名をあげたのもルイのごまかし芸のおかげだ。

 ルイがジャズ分野以外の様々な音楽をレパートリーに取り入れたのに対して、マヘリアは頑なにゴスペル一筋を貫いた。教会音楽で育まれた者のストイシズムに徹した。教会ステージだけのコンサート活動が実るにつれ、その並みの声域の豊かさ、賛美の表情力、豊満な体躯にファンが惹きつけられ、30歳代後半からソロのレコードが商業ベースにのり、揺るぎないトップの座を得た。J.F.ケネディ大統領の就任式でも、親交の深かったM.L.キング牧師の告別式でも賛美を捧げている。
 マヘリアはこう語っている、「歌っていると、わたくしの胸の中は次第に空っぽなになっていって、わたくしではない誰かが歌い出す」と。ストイシズムと忘我の熱唱。信仰の極致なのだろう。

 70年のニューポート・ジャズではうってつけの楽曲“JUST A CLOSER WALK WITH THEE”でルイの生涯を賛美、当時のスタンドマイクの集音領域を外れるまでしてステージ上で熱演した。拍手は鳴り止まず、主役ルイが登場してともに歌い、やがてデキシーのメンバーが登場、セカンド・ラインとして“WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN”を始めた。
 このステージもまたジャズ史上の遺産となった。
 8ヶ月後ルイ・アームストロングが70歳で、あとを追うように16ヶ月後にマヘリアが61歳で、天に召されていった。

 ⬇︎ YOUTUBE
   Louis & Mahalia - Just A Closer Walk With Thee – 1970(Official)12’56”
   https://youtu.be/3wX-YWOr8RQ

♪ レディ・ルイ

 いまニューオーリンズ・フレンチクォーターでとりわけ人気の高いストリート・ミュージシャン・バンドが二つある。
 一つは女性トランペッター、シェイ・コーンがリーダーのチューバ・スキーニー。7、8人の巧者揃いで、各パートのソロに拍手が起こる。
 かたや女性クラリネット奏者、ドリーン・ケッチェンズ率いるドリーンズ・ジャズ・ニューオーリンズ。こちらはカルテットやトリオ、都合のつく者の日替わりコンボ。ファンのお目当てはもっぱらドリーンおばさんだ。66年生まれだからおばさんと呼んでも失礼にならないだろう。通りすがりに耳で惹きつけられたものの、ルイ・アームストロングの妹かのごとき丸顔、マヘリアに近づきつつある豊満なボディ、着古したティシャツ、ジーパンで、椅子に45度仰向けのままのポーズ、これらのビジュアル・ショックで立ちすくむ観光客が少なくない。

 彼女こそはいまや"クラリネット女王"とも"ミズ・ニューオーリンズ"とも称され、そして"レディ・ルイ(アームストロング)"の尊称までも授けられ、ジャズ人の最高位の座にいる。
 そのことを強烈に知らされるのが、ドリーンがルイジアナ・フィルハーモニック・オーケストラのコンサートに招かれた大ホールでの熱演である。ストリート・ミュージシャンとしての質素で頑なな生活自然体のドリーンを見慣れたファンは、この晴れの舞台でのお洒落な主役ぶりに思わず微笑み、思い入れたっぷりな序奏に続くパフォーマンスには感涙さえ覚えてしまう。

 ドリーンもまたルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。フレンチクォーターでのパフォーマンスを毎週欠かさない。一方、求められて音楽教育者であり、求められずともキリスト教の奉仕者でもある。そして、ジミー・カーター、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、両ジョージ・ブッシュ、(多分オバマも、)米国歴代大統領の就任式典やパーテイに呼ばれて演奏もしている。「私の音楽奉仕に政党は関係ないの、捧げたいのは平和の祈り、平等と慈愛の福音なの」とさらりと言ってのけている。

 ある音楽家は「ドリーンは賛美歌をクラリネットで歌っている」と評し、ある人は「耳にしなさい、神のみがあなたに与えられたクラリネットの音色をした聖書の交読文であり朗読文である」と称え、またある者は「父なる神がおそらく彼の鼻孔に甘い匂いを浮かべて笑っているのを知っている」と賞賛が止まらない。

 ⬇︎ YOUTUBE
   Doreen Ketchens Performance with Louisiana Philharmonic Orchestra 8'41”
   https://youtu.be/EC8_zcGEZjc

 (元コピーライター)

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