■コラム                  西村 徹

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 加藤さんから頼まれた仲井富さんから、メールマガジン「オルタ」に毎月コラムを書いて欲しい、今月の締め切りは20日です。こんなメールが来た。

 それを見たのが16日夜、就寝前のこと。翌日は友人のクルマで大和への予定があって、都合三日で入社試験のレポートを書けといわれたようなもの。それで自分は「今週の末から四国遍路に出かけます。来週の末には帰京します」というのだから流石往年の大オルグは強引なもの。

 恐れ入って承るほかないが、左様な次第で脈絡もない薄手の文章でお茶をにごすことになるのはご容赦いただきたい。そもそも私は時評など書ける柄ではない。情報一般にはおよそ一周遅れで辿り着くのがやっと。スポーツ音痴だし、テレビもまず見ない。新刊はほとんど買わない。雑誌は立ち読み。図書館には足がない。駅前の古本屋が頼りだから相当にずれるわけである。アナール派と聞いて当初は「肛門派?なんだそりゃ」と思ったものだ。

  さてこのクルマの主は近くに住む60過ぎの、私からすれば若い友人。高卒の理学博士で、最初に就職したS化学は試用期間が終わると同時にクビになったというから相当な変人。その後は財閥系電機メーカーの研究所で終始したが、ときどきつむじを曲げて午前だけで帰ってきたりしていたから、よくよくその研究所はリベラルなところだったのだろうと思う。なぜか不思議に理学部系には間々そういう寛容度の高いところがあるようである。

 この種の寛容、いわば無用の用を許容するのは文明の証しでもあろうに、今それが大学からも企業からも、そして新聞その他のメディアからも消し去られる勢いにあること、世知辛いというより、この国の先行きからしてお寒いかぎりに思う。

 空前の富を築いて文明の貧困を呼び込んでしまったとは皮肉な話である。この人、大抵何でもdo it yourself で、屋根裏を改造して独特の空間を作ってしまう人だから、クルマで出かけても飲食店には足を向けない。クルマの中で弁当をつかう。

 このたびこの人のクルマで出かけたのは、四月に三輪と長谷寺に行き、その後に保田與重郎の『大和長谷寺』を読み、保田いうところの「なまなまと妖しきもの」を本尊について再確認するのが目的の一つであった。ところが長谷寺への途中に立ち寄った聖林寺で、名ばかり高くて写真からは一向に感じられなかったのに、十一面観音像を実際に目の前にして、体中を慄えが走ってその場を動けなくなり、結局長谷を端折って大きく迂回はしたものの最後は石上神宮から帰路についた。

 聖林寺についても長谷寺の本尊についても、いま少し暖めてからにしたいし、石上神宮については、これを話題にすると司馬遼太郎の焼き直しにしかならぬから、行ったというだけに話を留めるとして、所在地が天理市布留町というのが、いかさま気になる。市制が布かれてからも丹波市町役場を市役所にした。たまたま天理教本部が丹波市町にあって圧倒的な財力を誇っていたというだけで、いきなり天理市とは解せぬことではないか。

 豊田市というのにも同種の違和感を抱かざるを得ないが、いずれも敵対的ではないにせよ私企業あるいは私的団体による公的機関の買収ではないのか。市町村合併に伴う地名変更も歴史の変造抹殺になりかねないところがあって遣り切れぬことではあるが、それ以上に天理市とか豊田市の場合、直接に今日民営化と訳して使われている privatization なる語を思い出してしまう。

Privatization とは本来が「収奪」「私物化」を意味する言葉ではないか。

 Privatizeの用語としての初出はたかだか1969年のはず。民すなわちpublic なものを私物化することを、よくもぬけぬけと民営化などと言ったものだと、これは言葉の詐略ではないかと、巨大な天理教本部の横に立つ比較の上でちっぽけな市役所を眺めながら考えた。こうやって公共の持ち物を私物化してゆけば、このたびのJR西日本の惨事はこれで終わるはずはなかろうとも考えた。

                  (筆者は大阪女子大学名誉教授)