【アフリカ大湖地域の雑草たち】(36)

クーデター未遂がゴシップに

大賀 敏子
 
 I 亡命政府大統領
 
 銃撃戦

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 2024年5月19日、日曜日早朝、コンゴ民主共和国(以下、本稿で「コンゴ」、地図参照)の首都キンシャサで銃撃戦があった。武装強盗の類だろうと思ったが、実は、クーデター未遂だった。
 コンゴは1960年にベルギーから独立し、2024年6月30日に64歳となる。しかし、いまのところ、民主主義が隅々まで根づいた国であるとは言いがたい。民主的方法、つまり、選挙で大統領が就任したのは2006年、選挙で政権交代したのは2019年、いずれも最近のことである(註1)。
 
 政権打倒をSNSで
 
 事件の概要はこうだ。武装した50人ほどが、午前4時30分ころ副首相・経済相邸宅、6時ころ大統領府をそれぞれ襲撃し、銃撃戦の末、リーダーであったクリスチャン・マランガ(41歳)を含め、6人が命を落とし(襲撃者と政府側合わせて)、多数が逮捕された。逮捕者の中にはアメリカ国籍者を含む数人の外国人がいた。

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 マランガは、いっとき占領した大統領府で、チセケディ現政権打倒の趣旨を英語で演説し、その様子をSNSで配信した(写真1*)。逮捕されたアメリカ人のうち2人は、息子のMercelマランガ(21歳)と、その友人Thompson(21歳)である。
 マランガはアメリカに亡命したコンゴ難民だ。子供のとき両親に連れられ、スワジランド、その後、米国ユタ州で暮らした。2000年代帰国しコンゴ国軍で働き、2010年政党UPCを結成、2011年の国政選挙に立候補した。その後コンゴを離れたが政治活動を続け、自らをニュー・ザイール亡命政府(government in exile)大統領と呼んでいた。
 
 II急上昇、急降下
 
 テンション上がる
 
 キンシャサはにぎやかな街だ。普段なら渋滞で身動きできない。しかしこの日は大通りに装甲車が配備され、テンションは一挙に上がった。
 2023年12月選挙を受け、2024年1月にチセケディ大統領が再任され(オルタ広場2024年1月拙稿)、次いで4月に首相指名がされたが、おりしも組閣と国会議長指名に向けた調整が続いていたときだ。
 ほどなくマランガの血染めの遺体がSNSに流れると同時に、アメリカCIA関与のうわささえ聞かれた。
 
 下がる
 
 ところが2、3日たつと、計画はずさんで、事件はマランガの独り舞台だったらしいと伝えられた。

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 すると熱はすとんと下がり、関心は逮捕されたアメリカ人に向かった。コンゴ兵に向かって手を合わせ、命ごいをする写真(写真2*)が流れ、これらの若者のそれぞれの留守宅が取材された。初めての海外旅行、行先は南アと聞いていた、まさかコンゴでこんなことをするとは、などと言って、母親がさめざめと涙を流す動画が流れた。ゴシップである。
 テンションの急上昇と急降下は、次のイギリス紙のタイトルが典型的だ。
 5月19日、事件当日「反対派のリーダー殺害される、コンゴ国軍が鎮圧 - 数十年にわたる不安定と紛争に耐えてきた旧ベルギー植民地で混乱が続く中、米国国民が巻き込まれた可能性があるとの報道」(“Opposition leader ‘killed’ as coup in DR Congo foiled - Reports that US citizens may have been involved as turmoil continues in the former Belgian colony, which has endured decades of instability and conflict”, the Times, Sunday, 19 May 2024)
 3日後の5月22日「米国中古車販売人が率いたコンゴの‘バカげた’作戦の内幕 - 雑多な一軍の逃走は、どこにいるかも知らずに閣僚らを捕まえようとした後、自称「亡命大統領」の死で終わる」(“Insider the ‘stupid’ Congolese coup plot led by US used car dealer - Motley crew’s escapades end in death for self-styled ‘president in exile’ after they set out to seize ministers despite not seeming to know where they lived”, the Times, Wednesday, 22 May 2024)
 一件落着、めでたし、めでたしという印象を受ける。
 
 III忘れられた疑問
 
 メチャクチャで大混乱
 
 上述したように、2023年12月、総選挙が実施された。大勢の人が投票した。しかし同時に、さまざまなロジの問題があった。選挙機材の不具合・故障、有権者リストや投票用紙の紛失、道路事情が悪くて準備ができない、間に合わず投票期間延長を余儀なくされた、投票所によっては結局開かなかった、などである。
 すると、海外メディアの多くは、こぞって「chaotic」、「messy」、メチャクチャで大混乱な選挙だと、人目を引きやすくわかりやすい、かつ、主観的な言葉を多用した。ロジ問題は結果の信ぴょう性に影響を与えるためだが、ならば「contested」、「disputed」、「questionable」といった表現があるにもかかわらず。
 ロジにフォーカスすればするほど、中身、つまり政策の焦点には関心が届きにくくなる。
 
 スモークスクリーン
 
 Africa Center for Strategic Studiesは、これをこう分析した。
 「広大な国土、脆弱なインフラ、蔓延する暴力を思えば、コンゴで選挙を実施するのは記念碑のような大仕事だ。ところがこれまでの諸政権は、民主的仕組みを思いのままに牛耳るため、これらの課題をスモークスクリーンにしてきた」(Africa.com 2024, “Elections in the Democratic Republic of Congo - a Persistent Crisis of Legitimacy [analysis]”, Story by Africa Center for Strategic Studies Washington, DC Paul Nantulya, 5 January 2024)
 つまり、選挙をすればするほど、民主化が進むどころか、逆にそれが隠れ蓑になり、政権側が思いどおりにするのを許すことになるという趣旨だ。
 
 街に一歩出れば
 
 スマホやPCから目を離し、キンシャサという街を一歩でも歩けば気づくことがある。人が多い、若者が多い、インフォーマルな行商人が多い、ゴミが散乱している、通りを歩きにくい、超満員のミニバスがドアを閉めず走っている、などだ。すると疑問がわいてくる。この人たちに職はあるのだろうか、公衆衛生管理や交通規制はどうしているのだろう、政権はこれらの課題をどうしているのだろう。政治の専門家でなくとも、誰でも抱く素朴な疑問だ。
 ところが、伝えられる特定のイメージにとらわれていると、これらの疑問への回答が見つけにくいどころか、そもそも疑問に気づくことさえ難しくなる。
 
 疑問
 
 今回の未遂事件に関する熱の急降下はこれと似てはいないか。事件直後は問われていたのに、忘れられたかのように、あるいは、あたかもどうでもいいことかのように、語られなくなった疑問がある。
 たとえば、大統領府は警備が固い。ならなぜ侵入を許したのか。マランガは国軍に強力なネットワークを持っていた。なら、国軍はこの動きを知らなかったのだろうか。実は知っていて、マランガは騙され利用されただけなのではないか。首謀者はほかにいるのだろうか。アメリカ人のコンゴ入国にはビザが必要だ。いかにそれが取得できたのか。
 
 なぜクーデターなのか
 
 もっと本質的な問いもある。
 実は、キンシャサ訪問前、筆者はこう聞かされていた。
 「テンションは現実にある。クーデターはいつでもありうる」
 政治的対立はどこでもあるが、それに対処するために選挙があり、デモ、請願、提訴などの方法がある。なのにコンゴでは、今でもクーデターという方法がとられる。体制が内にも外にも盤石であれば、ありえないことだ。なぜ改めてこの点が話題にならないのか。
 6月7日、コンゴ軍事法廷で、西側メディア、外交団が見守るなか、被疑者たちの裁判が始まった。コンゴ人がアメリカ人を裁くということに、つい関心は向くだろう。
 未遂事件が投げかけたさまざまな疑問への回答は、いつ明らかになるのだろう。
 
 IV コンゴから目が離せない
 
 ひとたまりもない
 
 事件のとき、筆者はキンシャサ滞在を終え、空港に向かっていた。日本大使館の人がわざわざ安否確認の連絡をしてくれた。
 武装強盗にもテロにもあいたくはないが、クーデターに遭遇すると、外国人、とりわけ、現地の事情にうとい旅行者はひとたまりもない。戒厳令発動、言論統制がしかれ、道路、空港、通信施設など基幹インフラがコントロールに置かれるだろう。知人や日本大使館と連絡が取れなくなる。出国しようにも、移動できない、フライトがない。腹を据えて沈静化を待つにしても、キャッシュも水・食糧も枯渇する。ひとまず外国人は全員拘束し取り調べる、といった方針が出されることもありうる。
 奇しくも先稿にこう書いた。キンシャサは、よくある、ごちゃごちゃしたアフリカの街だという印象を持ちながら、「戦争とか悪意と言ったものは、おそらくみなそうなのだろう。一見、平和でごく普通の街で、あたり前の都市生活という隠れ蓑をまとった誰かによって、仕組まれ、巧みにコントロールされる。」
 まさに執筆のその最中に、襲撃計画が着々と進められていたわけだ。
 
 震源地
 
 こうしてまた、多くの人にとって、コンゴはますます遠くなるかもしれない。しかし、だからと言って、コンゴが大湖地域の政治と思惑と利権と資金とが動く、その舞台であることにはかわりがない。キンシャサのイメージが下がれば下がるほど、ますます活動の自由度を広げる人たちも確実にいる。
 コンゴは以前からそうであったように、これからも国際政治の震源地になるだろう。コンゴから目を離すことができない。
 
 ナイロビ在住
 
 (註1)モブツ政権後のコンゴ政治略歴
 1997年5月ローラン・カビラが首都制圧・大統領就任、モブツ国外逃亡、ザイールからコンゴ民主共和国へ国名変更
 2001年1月ローラン・カビラ大統領暗殺、息子のジョゼフ・カビラが後継
 2002年プレトリア和平合意、2003年暫定政権成立
 2005月12月憲法草案に対する国民投票、2006年2月新憲法公布
 2006年大統領選挙、2006年12月ジョゼフ・カビラ大統領就任
 2011年12月大統領選挙、ジョセフ・カビラ大統領再選
 2018年12月大統領選挙、2019年1月チセケディ大統領就任
 2023年12月大統領選挙、2024年1月チセケディ大統領再任、4月Judith Suminwa首相指名(初の女性首相)、5月組閣。

*写真1
 Men occupied Kinshasa’s Palace of the Nation, the president’s office
 CHRISTIAN MALANGA/REUTERS

*写真2
 Tyler Thompson was arrested
 The Times
 
(2024.6.20)
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