■宗教・民族から見た同時代世界       荒木 重雄

~カースト差別の軛を解こうと苦闘するインド仏教徒~

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  インドで仏教徒の数は、2001年の国勢調査によると、795万5千人で、総人口の
0.8%を占める。インドの公的統計はあてにならず実数は2千5百万人を超えると
いう説もあるが、詮索は措いておこう。いうまでもなく仏教の故郷はインドだが、
その地で仏教は13世紀には滅亡したとされている。原因としてイスラムの侵入
による僧院の破壊がよくいわれるが、すでにそれ以前に、独自の儀礼を発達させ
ず難解・煩瑣な教理に傾いたがゆえに民衆との接点を失って衰退していたことが
指摘される。いずれにせよ20世紀初頭に存在した仏教徒は東北部に僅かに数百人
とされた。その仏教徒が、11億余の人口に占める割合はまだあまりに少ないとは
いえ、ここまで増えた。この仏教復興のきっかけをつくったのは「被差別カース
ト解放の父」といわれるアンベードカル博士であった。


◇◇50万人の大改宗式


 インドにカースト制度があることはご存知だろう。バラモン、クシャトリア、
ヴァイシャ、シュードラのいわゆる四種姓だが、じつはその下に、「不可触民」
ともよばれる虐げられた民がいる。人口の15%以上を占めると推定される彼らは
、不当にも穢れた存在とされて、ヒンドゥー教徒でありながらヒンドゥーの寺院
に入ることを拒まれ、他の人たちが使う井戸や溜池から水を汲むことも禁じられ
、清掃や動物の死骸の処理などの雑役を担わされて、上位カースト者による暴力
や性的暴力にも曝されつづけてきた。現在、憲法でカースト差別は禁止され、被
差別カーストへの優遇措置もとられているが、状況の抜本的改善はいまだ認めが
たい。

 さて、この被差別カーストの一集団であるマハール・カーストに生まれたB.
R.アンベードカルは、苦難のなかで、天与の才ときわめて稀な僥倖によって米、
英留学をはたし、経済学博士号と弁護士資格を得て「不可触民」解放の闘いの
先頭に立つことになった。インド独立とともに初代法務大臣に就き、憲法起草委
員長として新生インドの憲法にカースト差別撤廃を宣言するのだが、現実の差別
の壁は厚く、差別の根源であるヒンドゥー教の内にあるかぎり「不可触民」の解
放はないとして、1956年10月、ナーグプール市において、約50万人のマハール・
カーストの人びとを率いて仏教への大改宗式を行ったのである。これが現在のイ
ンド仏教徒のはじまりであり、したがって、現代インド仏教徒のほとんどはアン
ベードカル博士が説く仏教と仏教者の道を歩む人びとの集団といって過言ではな
い。

 しかしアンベードカル博士は改宗式から僅か2ヵ月後に急逝し、新たな仏教徒
たちは指導者を失う。にもかかわらず差別からの脱却を願う被差別カーストの人
びとの仏教への改宗はつづいた。こうしたなかから仏教徒たちによる幾つかの社
会運動もうまれてきた。


◇◇改宗しても「不可触民」


 そのひとつは1970年代にマハーラーシュトラ州を中心に活動した知識青年層の
運動体、ダリット・パンサーである。ダリットとは「抑圧された者」の意で、パ
ンサーは豹。当時、アメリカで最も尖鋭な黒人解放運動を行っていたマルコムX
らのブラック・パンサーに因むものである。その名に恥じぬ、差別に対する果敢
な抗議行動とヒンドゥー文化への激しい批判を展開して勇名をはせたが、差別の
現実を訴え差別の根源を問う数多くの文学作品を発表して「ダリット文学」とい
う一ジャンルをつくった。

 また、カンシ・ラムという活動家がともに創設にかかわるBAMCEF(後進
・少数コミュニティ従業員連盟)という被差別階層出身の公務員を主とする啓蒙
運動組織、被差別・抑圧階層を基盤とするウッタル・プラデーシュ州の有力政党
BSP(大衆社会党)などでも仏教徒が活動の主力を担っている。
  もうひとつ注目すべきは、インドの市民権をもつ日本人僧佐々井秀嶺師の活動
であろう。彼は渡印以来40年あまりで100万を超える人びとを仏教に改宗させる
かたわら、ブッダガヤの大菩提寺の管理権を仏教徒に奪還する運動を組織・指導
するなど仏教徒の権利拡張に努め、中央政府マイノリティ・コミッション(少数
社会委員会)委員も務めた。

 ここで付言しなければならないのは、インドで被差別・抑圧状況に置かれてい
るのはいわゆる「不可触民」だけでなくシュードラの大部分、さらにイスラム教
徒やキリスト教徒の大多数ということである。じつは、仏教徒のほとんどが「不
可触」カーストからの改宗者であるように、キリスト教徒、イスラム教徒の大半
もそこから差別を逃れて改宗した者たちである。では改宗によって差別を免れた
かといえば、インド社会ではそのもともとの出自から、依然、「不可触民」とし
て扱われつづけている。

 経典や儀礼に必ずしも詳らかでなく、仏教を平等と友愛による人間解放の思想
と解し、アンベードカルを菩薩と崇敬して「ジャイ・ビーム(アンベードカル万
歳)」と挨拶しあう彼らを、仏教徒といえるかと訝る声もある。しかし、人間の
尊厳を踏みにじる不公正・不正義の現実の只中にある彼らが、魂の救済にもまし
て社会的救済を求めたとして、それを否定することはできないだろう。ともあれ
インド仏教徒は、イスラム教徒やキリスト教徒をも励ましながら、インド社会の
変革に向けて一石を投じる存在である。

              (筆者は社会環境フオーラム21代表)

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