■国際情報短評  

オーストラリア紙に見る「慰安婦問題」  西村 徹

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 しばしばオルタにも寄稿されているメルボルン在住の入江さんからThe
AustralianとThe Ageの二紙が送られてき、編集部の方針に従い私がコメント
を書くことになった。一つはThe Australian掲載の日豪パクトに関するもので、
これに立ち入ることは私の力量を超えると判断、しかるべき人を待つこととして、
ここでは残念ながら割愛する。
 もうひとつは2月15日米下院での公聴会において李容洙、金君子、ジャン・
ラフ・オハーンの三氏が証言を行ったその前日The Age2月14日号一面トップ
の半分を占めるオ・ハーン氏の肖像と第13ページ全面を埋める特集記事である。
他にもその後3月4日安倍総理の「狭義の強制はなかった」発言に伴うNYタイ
ムス記事が大きく転載されていて、「慰安婦問題」はアメリカのみならずカナダ、
オーストラリアなどでも日本と比較にならないほど大きな関心事であることが
窺われる。ここではこれに集中する。
 さしあたり記事内容そのものより、記事が紙面に占める割合、扱いの比重に注
目が必要であろう。オ・ハーン(以下敬称略)の証言は1992年来日時の証言
と変わりないが、さほど日本では事実認識が浸透していないので、まずあらまし
を繰り返しておく。
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■「正義への長い道のり」


 THE LONG ROAD TO JUSTICE という特大の大見出しで、「19歳のとき
オ・ハーンはジャワで投獄。1944年、3ヶ月以上にわたり日本軍により連続
強姦された。明日米国議会における彼女の正義を求める戦いは開始される」とい
う小見出し。
 1942年オ・ハーンは捕虜として収容された父と分断され、母と二人の妹と
もども日本軍に捕えられ抑留された。44年トラック一杯の日本軍将校がキャン
プに到着、若い女性囚は一列に並ばされた。容姿によって10人が引き抜かれ2
1歳のオ・ハーンもその中の一人であった。「私たちは母から家族から引き裂か
れてトラックに投げ込まれ、一時間ほど走って中央ジャワの首府スマランに運ば
れた。そこは軍用娼館(brothel)であった」.とオ・ハーンは語る。
 オ・ハーンは恐怖と猜疑にさいなまれたが、性についてまったく無知な、今と
違い清純世代に属していた。苦界に沈む最初の夜、軍刀を帯びた太身の将校を相
手に英語、インドネシア語、オランダ語を使って無理やり強制連行されてきたこ
とを告げ慈悲を乞ったが、たけり狂った将校は抜刀して脅迫、「いっそ殺して」
と叫んだが有無を言わさずベッドに引きずり込まれた。
 その後、どの将校にも抵抗したが、毎回強姦された。絶望のあまり髪を切った
が、坊主頭の女性はかえって好奇の的になった。軍医も検疫のたび強姦した。妊
娠した女は堕胎を強いられ、性病に罹った女は殺された。ある日突如荷物をまと
めて封印列車に乗せられ母たちのいるキャンプに戻されたが、慰安婦であったこ
とを口外すると家族全員の命はないと脅された。
 まだ綿々と続くが、三度来日し、その都度証言していることでもあるから、こ
れで十分であろう。オ・ハーンは「日本人を赦すが私は忘れない」と言っている
こと、謝罪決議はアメリカ議会のみならずカナダ議会でも出されていることも心
に留めておくべきであろう。


●二つのこと


 このことから言えることはいくつかあろうが、そのうち日本人の陥っている自
己矛盾について二つのことをあげておきたい。
 一つは、安倍の「狭義の強制性はなかった」は三百代言の屁理屈にもならない
ことがオ・ハーンの一例だけではっきりしたということである。広義にも狭義に
もオ・ハーンは拉致されたのであり、強制されたのである。オ・ハーン一人にと
どまらないことも明らかだが、オ・ハーン一人にせよ一例あれば狭義の強制はあ
ったのであって、「なかった」はゼッタイに成立しない。安倍は当然オ・ハーン
の証言を熟知していたのだから中山成彬らともども真っ赤なウソをついたので
ある。明々白々のウソでもなんども繰り返すと本当のように聞こえてくるから、
それはウソだということも繰り返し言わなければならないだろう。
 そもそも捕虜の生体解剖が捕虜の合意のうえで行われたとはだれも言うまい。
生体解剖が行われて慰安婦の拉致が、強制連行が、組織強姦が行われなかったな
どと誰が信じえようか。

 一つは、オ・ハーンはオランダ人、すなわち白人であるということ。慰安所で
は原則として兵には現地人、下士官には朝鮮人(準日本人として)、将校には日
本人それぞれの女性が配当された。八紘一宇、諸族協和などといいながら歴然た
る人種差別があった。そして白人は兵でも下士官でもなく将校にのみ専属的に配
当された。「皮膚の色とは関係ない自由で平等な世界を達成するため」(遊就館図
録まえがき)といいながら、それとは裏腹に白人はアジア人より高級なものとし
て扱われた。
 ここにはまぎれもない日本人の潜在意識、白人に対する抜きがたい劣等感が、
きわめて皮肉な、反転した形で露呈している。白人をアジア人より高級と受けと
るのは、ある意味では当然の、嘉永六年以来の歴史の所産で、中国大陸を侵略し
たのも、一足も二足もおくれてではあるが白人列強の帝国主義侵略を模倣したも
のだったのだから。これについてはヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』(9
5年・アイネックス。なおジョン・ダワー『人種偏見』もこの書に言及している)
がおもしろいが今は触れない。

 日本人男女の白人願望はいじらしいまでに強い。たいして魅力的とも見えない
白人に血道をあげる男女を少なからず目にする。かつて日本人はバナナ、皮は黄
色いが中身は白いといわれたりした。生物的レベルにとどまらず論壇人の間にも
ある。西洋にあこがれ、はねかえって国粋に走る例は多い。それゆえ国粋に傾い
ても反米になる例はほとんどない。

 藤田嗣二に「神兵の救出到る」という絵がある。場面はインドネシアであろう。
いましがたまでの酒池肉林の痕跡を残して白人の逃げ去った室内に銃剣を構え
た日本兵が突入する。あとには召使のインドネシア人女性が後ろ手に縛られ繋が
れている。それを発見した兵士の大きく見開いた目。プリーモ レーヴィが書い
ていた、ナチが撤退したあとのアウシュヴィッツだったかに入ったソ連兵の、あ
まりの惨状を目の当たりにして悲しみに沈んで声もない姿にそれは重なってい
た。オ・ハーンが逮捕された場面は、ちょうどこの絵の裏返しである。オランダ
人画家ならそれを描いて「暴戻倭賊の乱逆」とでも名づけよう。
 いずれも正しいであろう。藤田の「神兵」も、架空オランダ人画家の「乱逆」
も決して虚偽でなく真実を描いているだろう。アウシュヴィッツの惨状に絶句し
たソ連兵も、満州に乱入して日本人婦女子に暴虐の振る舞いがあったソ連兵も、
ともに虚偽でなく真実であろう。
 片方を否定して片方を主張することはできない。慰安婦の強制を否定して北の
拉致を言うことはできない。大量破壊兵器は存在しないという事実を否定して存
在しない戦争の大義を主張することはできない。美しくない政治の現実を否定し
て「美しい国」の妄想を主張することはできない。
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●追記――オ・ハーン受難は今村均司令官更迭以後


 藤田の「神兵」が真実であったろうことを裏付けるものとして今村均大将の善
政が挙げられる。今村は第16軍司令官としてジャワ島攻略戦を指揮、わずか9
日間で10万のオランダ、イギリス軍を降伏させて後、オランダ軍によって拘留
されていたインドネシア独立運動の指導者、スカルノとハッタら政治犯を直ちに
釈放(マッカーサー司令部が日本占領直後共産党員ら政治犯を釈放したのとまっ
たく同じく)、敵が破壊した石油精製施設を復旧して石油価格をオランダ統治時
代の半額とし、略奪等を厳禁して治安の維持に努めるなど、大宅壮一をして「こ
れぞまさしく大東亜共栄圏」と感激させた。
 その後も綿布不足に悩む日本政府からの調達要求をはねつけてインドネシア
民生を護った。ために杉山参謀総長ら腐った大本営の忌むところとなり、今村は
更迭、ラバウルに配転されたのが42年。オ・ハーンの受難は今村更迭以後に生
じたものであることにも注目しておくべきであろう。
 自分都合の主張にのみしがみついて一方に目をつむる偏りは、右にかぎらず反
軍平和を主張する人にもある。それに丸乗り鸚鵡のようなスローガン念仏平和主
義の大衆によくある。その種の不毛な自己満足を脱するために、あえてこれを補
記する。
            (筆者は大阪女子大学名誉教授)
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