【コラム】
大原雄の『流儀』

オンライン会議体験は、オンライン社会のためのエチュード

大原 雄

日本学術会議が推薦した会員候補6人を菅義偉首相が任命しなかった、いわゆる「学問の自由への政治介入」に私は抗議する。菅首相は、それぞれの専門分野で業績著しい6人の学者を直ちに任命し直すべきである。「学問の自由」を包括する「言論の自由」と「表現の自由」を私は尊重し、これを守る。

菅首相の政治介入問題は、国際的にもビッグニュースになっているが、発足した直後の菅政権の支持率が65パーセントを超えている、という。新政権へのご祝儀や今後の政権運営への期待感なども加えて上がっていると思うが、こういうことを繰り返していると、日本の政治は、なかなか、質的転換ができないだろう。

菅政権の重鎮たちは、コロナ禍対応も何処(どこ)へやら、一気に解散・総選挙で「政治空白をつくり、大好きな選挙へ走ろうと、虎視眈々らしい(コロナ禍対策も、行き詰っているので、この際とばかりに、棚上げ・放置か)」。高い支持率をバックに菅政権の任期を現在の1年未満(安倍政権の残り)から4年(菅政権の本格化)までに延長し、「本格政権」を狙いたいのではないか。

菅政権は、本格政権になった暁には、安倍「継承」政権という着ぐるみを脱ぎ捨てて、安倍「脱皮」政権へと、早替りをしたいのかもしれない。政権の基本像を国民に示さずに、ゲリラ的に、水面下で派閥の談合政治を進め、成立した政権は、選挙の洗礼を受けるという儀式を経て、本格化したいのだろう。しかし、それを国民が許すだろうか。

今回の自民党総裁選挙結果を一応記録しておこう。9月14日、菅官房長官(当時)が、国会議員票の7割余、地方票の6割余を集めて、377票と、岸田(89票)、石破(68票)の両候補に圧倒的な差をつけた。

菅官房長官は、公式に総裁選挙への立候補を表明したのは投・開票日の10日ほど前に過ぎなかったが、水面下では、安倍総裁・首相の退陣表明よりかなり以前から、立候補を前提に動き回っていたらしい。水面下の隠密行動を得意とする寝業師たちの作戦。菅官房長官、二階幹事長ら軸になった老獪政治家にとっては、二人とも寝業師らしい、お得意の電光石火の作戦だったのだろう。

実際、それが功を奏して、菅官房長官は、総裁・首相へと「横滑り」に成功した。安倍政権の総辞職を受けて、16日に召集された臨時国会で、菅官房長官は、第99代首相に選ばれた。こりゃー、驚き。宙乗りの白狐ではないのか。歌舞伎なら、澤瀉屋得意の早替りの舞台、という辺りだろう。まるで、戦国時代の武将の隠密行動ぶりではないか。

それにしても、総裁選挙の議員票で、浮き彫りにされたのは、自民党の派閥政治の復活ぶりだ。いっときは派閥解消が叫ばれ、派閥の方でも、派閥隠しが流行していた時代を知っている身には、今回の大派閥の領袖たち(細田派、麻生派、竹下派)が3人も揃い踏みで共同記者会見を堂々と開いている光景にびっくりしたのは、私たちのような高齢者だけなのだろうか。案の定、記者会見では、若い現役の記者たちからは、派閥問題を厳しく問いただす場面は、なかった。テレビ報道された限りでは、なかったのではないか。政治部の新聞記者たちは、頑張っているのか。

さらに、石破候補が期待していた地方票も、菅候補という勝ち馬に乗る傾向に寄り添っていて、前回のような石破個人票から離れて派閥色をいちだんと強めていた、と思われる。自民党は、以前には、政治家らしい生活の知恵でいろいろバランスをとる「装置」が党内にあったと思うが、最近は、そういうものが、どんどんなくなって来ているように思える。

★ 菅政権の課題は、何だろう。どういうものが考えられるか

菅政治を判断するメルクマールのために。
5つのポイントを挙げてみる。

*国民の生命と暮らし:新型コロナウイルス感染拡大防止対策。これが、国民にとって、今は、何より最優先されるべき課題だろう。菅政権は、これを最優先として施策を進めているか。
*経済:経済・財政運営の中長期的な対策を通して、経済復活(雇用の回復)を実現できるか。
*外交1):大統領選挙(11月)後のアメリカ政権と、どう向き合うか。向き合うべき相手は、トランプか、バイデンか。どういうスタンスで対峙する気か。
*外交2):日々、厳しさを増す米中対立に、日本は、どういう立ち位置で、どう対処するのか。
*オリンピック開催:東京オリンピック・パラリンピック開催是非の判断は、いつ行うのか。開催するなら、コロナ禍対策をどうするのか。

日本全国に蔓延しているコロナ禍。秋から冬にかけて、インフルエンザとコロナのダブル感染拡大が懸念されている。そうした中で、マスメディア、特にテレビの報道は、コロナ禍をどう伝えてきたのか。

マスメデイアのコロナ報道について、インターネットを通じて、私の手元に定期的に送られてくるリポートに「放送を語る会」報告がある。拡散自由という条件付きで、送信されてきたメディア批判報告「放送を語る会『コロナ報道モニター報告』」なので、NHK、民放の報道番組批判の一部(抜粋)だが、皆さんにお知らせしたい。原文は、「放送を語る会『コロナ報道モニター報告』」で自由に読むことができるので、関心のある読者は、検索して、そちらもお読みください(「放送を語る会」報告の原題は、「“Go To トラベル”開始から1週間 ~テレビは新型コロナの『感染防止と経済再生』問題をどう伝えたか」(2020年8月24日)となっている)。

★ 「放送を語る会」コロナ報道批判報告を読んで

日本政府が、未だに十分にやっていない重要なコロナ予防対策として、私の脳裏にすぐに思い浮かぶのは、ウイルス感染の実相解明に役立つような検査の実施である。中でも、未だに足りないと思われるのが、大規模なPCR検査だろう、と思う。無症状の陽性患者を見つけ出し、彼らを社会から一時的に隔離することで、陰性の非感染者たちとの交点を無くす。ウイルスは、潜伏期間の2週間ほどを無事にやり過ごせば、非感染者は、そのまま解除されるという施策である。

贅言;PCR検査とは。ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction)の略で、ウイルスの遺伝子を増幅させて、ウイルスを検出する方法。
鼻や咽頭をぬぐって細胞を採取して検査を行う。PCR検査は新型コロナウイルス感染症の確定診断に用いられている。この検査で陽性判定が出た場合には、その時点で新型コロナウイルスに感染しているということになる。

これについて、特にテレビは、どういう問題提起をしてきたか。「放送を語る会『コロナ報道モニター報告』」では、次のように指摘する。要領よくまとめているので、少し長いが、そのまま引用したい。

以下、「放送を語る会『コロナ報道モニター報告』」から、9ページから10ページ部分を引用した。

<この問題は、新型コロナウィルスによる感染が確認された当初からいわれ続けてきた。一見数字だけ見れば、4月当時の検査数より現在の方が数ははるかに増えている。しかし、東京大学先端技術研究センターの児玉龍彦名誉教授によると、人口100万人当たりのPCR検査数の世界比較では、日本はウガンダやセネガルに抜かれ、159位に位置しているという。
7月16日国会の閉会中審査に参考人として出席した児玉教授は、「感染が持続的に増え続けている今の日本では、PCR検査の数を大規模に増やし、徹底的に感染地域を叩かないと、近々目を覆うような惨状を呈するであろう」と警鐘を鳴らしていた(7月29日「NEWS23」)。

(これについては、私も、ニュース編集の素材となる国会中継をリアルタイムで見ていたので、印象に残っている。児玉名誉教授は、涙を浮かべながら、自説を主張されていた。 ―引用者)

国立国際医療研究センターの忽那賢志医師も「感染者を減らすには、検査をしっかりと大規模にやって患者を隔離し、感染を広げないようにすること、感染対策は検査に尽きる」と断言している(7月28日「報道ステーション」)。

経済学者として新型コロナウィルス感染症対策分科会に参加している小林慶一郎氏は、かねがね「経済活動を円滑にするためには、大規模な検査を行い、陽性者を隔離して、陰性と認定された人たちが安心して経済活動に参加でるようにすることが基本」と主張してきた。だが、彼の眼には、検査数の増加は非常にゆっくりとしか進んでいないように映っていた(7月31日「ニュースウオッチ9」)。

こうした状況に国はどう対処しようとしていたのか。7月31日「ニュースウオッチ9」の有馬キャスターのインタビューに、西村経済再生大臣は「PCR検査を広げていくのは間違いない。さらに加速して進めていかなくてはならない」と述べている。PCR検査に関するやり取りはこれだけである。大臣の発言は、PCR検査についての常套句でしかないにも関わらず、有馬氏は政府が具体的にどんな策を講じようとしているのか、掘り下げてきこうとしていない。

そうしたなか、自治体が独自でPCR検査拡充に取り組もうという動きが出て来た。「世田谷モデル」とよばれる東京・世田谷区独自のPCR検査対策である。「誰でもいつでも何度でも」という標語を掲げて感染者ゼロを達成したニューヨーク市に倣って、世田谷区では、同様のシステムをつくりあげようとしている。「3番組」ではモニター期間中、その取り組みは紹介されていないが、参考までに「羽鳥慎一モーニングショー」から「世田谷モデル」構想について触れた部分を引用・紹介しておく。

それによると、◆検査件数を1日3000件とする ◆濃厚接触者とその周辺に限定されている現在のPCR検査を、検査が必要な介護、保育、学校の教師に飛躍的に増やし、「社会的検査」を定期的におこなう ◆症状の有無にかかわらず、陽性者を隔離する、などの内容である。世田谷区長の保坂展人氏は「世田谷モデル」について「いまは布マスクでもGo Toトラベルでもなく、PCR検査を一挙に拡大し、検査のハードルを思いきり下げることが必要だ」と強調していた(7月30日「羽鳥慎一モーニングショー」)。

こうした説得力のある取り組みが、何故一自治体でできて国にはできないのか。誰もが疑問に思う点である。有馬キャスターが西村大臣にインタビューした際、「世田谷モデル」の話が何故でなかったのか疑問に思う。>(以上、引用終わり)

この批評子の指摘は、頷ける。コロナ禍問題は、パンデミックに襲われた各国・各地域の国民・住民にとって、まっすぐ、命に関わる問題である。それなのに、日本の経済再生担当の西村大臣の発言は、いつも感じるのだが、抽象的で、内容がない。例えば、上記にあったように、経済活動と感染拡大予防対策について、両立論を立てた「ふり」をしながらも、ポーズだけに終わってしまう。概説的には、一見経済と感染拡大予防を同等においているように聞かせながら、その実は、経済再生優先で、感染拡大予防は、既に捨てていて、顧みようとしない。なぜ、日本のマスメディアからは、こういう点をきちんと指摘した報道が出てこないのか。

「放送を語る会『コロナ報道モニター報告』」の「まとめにかえて」でも、同じ疑問を提起している。以下、引用。

<有馬キャスターが西村経済再生大臣に直接インタビューした例でも、それは言える。有馬氏が「感染対策と経済再生の両立」について西村大臣に質問した場面である。

有馬「国民の間に、ブレーキを踏むのかアクセルを踏むのか、政府はどっちを推奨しようとしているのかわからない、という声がなお聞かれる」。西村「悩んでいるが、感染防止と経済社会活動をやっていく、両立を図るのが何よりも大切だと思う」(7月31日「ニュースウオッチ9」)。質問も答えもこれがすべてである。西村大臣は「悩んでいる」と発言した。だが何に悩んでいるのか、有馬キャスターはきこうともしなかったのだ。>(以上引用、終わり)

★ 大臣とキャスターは、国民と向き合っているか

西村大臣の場合。国民の命が、経済再生より優先されなければならない。経済と感染防止の二兎を追えば、二兎とも追えなくなる。国民の命を守りきることができれば、その後で、経済再生にも取り組める。しかし、国民の命を守りきれなければ、そこには、経済も何も、ないだろう。その時、日本という国は、地球上に存在するのだろうか。なぜ、そのような自明の理が、灘高校から東京大学に進学し、官僚を経て、政治家になった、この男には、判らないのだろうか。

有馬キャスターの場合。国民の命の存続が危ぶまれる時、ジャーナリストは、己の命をかけて、何をこそ国民に伝えるべきなのか。記者が、政権の要人などを相手に、会見で質問する際に必要なのは、制限時間の中で、一問か、二問を問いかけ、要人が、答えをはぐらかしたり、ごまかしたりする、要人に都合の良い「答え」を言われっ放しで、引っ込むというのではない。国民に成り代わって権力者に問いかけ、国民の「知る権利」を行使するというジャーナリストの職業倫理にも悖ることになるだろう。そういうキャスターは、ジャーナリスト失格、と言われるのではないか。大臣もキャスターも、国民と向き合っていないのか。

★ コロナ専門家会議の限界 ~専門家と政治家の「親和力」

この辺りになると、国民の命が日々失われている、というニュースが、連日のようにマスメディアなどを通じて伝えられているというのに、専門家や官庁サイド、政治家たちは、国民の命を「弾除け」に利用しながら、己の「保身」を平気でチラつかせている。厚顔無恥にも自己主張のみを前面に押し出しているように見えるのは、私だけだろうか。国民の間からは、こういう政権、こういう政治家、こういう官僚、こういう専門家、こういう財界などの、それぞれの自己保身の犠牲になって、殺されたくはない、という声さえ、上がっている。

「こういう専門家」という言葉が、唐突に出てきたと、訝る人もいるかもしれないが、このところの「大原雄の『流儀』」で、再三使ってきているので、ここでは、行政学の専門家で、千葉大学名誉教授の新藤宗幸さんの言葉を引用することで、その責を務めておこう。

「専門家会議を立ち上げて未知のウイルスに対する科学的な助言を求めたのは常道ですが、委員の顔ぶれを見ると、政権が科学的助言を本当に求めていたのか疑問です。座長を務めた脇田隆字氏は国立感染症研究所の所長ですし、副座長を務め、その後にできた分科会の会長となった尾身茂氏も元厚生官僚です。私には、政権と親和性の高い専門家を集めて助言機関の体裁を整えたように見えます」(朝日新聞、8・21、朝刊)。

筆者の私にも、「専門家」たちの実像は、新藤さんと同じように見える。こういう事態の中でも、政治家は、政界での己自身の出世を目論み続け、国民の命をないがしろにし続けている、ではないか。ルール無き専門家会議、と言わざるを得ない。しかし、こういうレベルの専門家会議であっても、安倍政権には、煙たかったらしく、突然廃止され、分科会に「格下げ」されてしまった。コロナ禍の最中に、戦術の知恵袋でもある専門家会議を廃止してしまうという政治感覚には、疑問を覚える。

当初、医師など感染症の専門家で構成する専門家会議は、「政府に先んじ、国民にメッセージを発信した」ような効果があり、マスメディアの受け手の一人として、私には、新鮮に映ったことは確かである。ただし、安倍政権を含め、政府与党側には、「誰が政策を決めているのか分からない」という不満や不協和音が広がって行ったように思う。

専門家会議側に政権との距離の取り方に精通した政治的なセンスのある専門家がいれば、うまく対応できたかもしれないが、専門家会議には、そういう「政治家」的な専門家はいなかったのだろう。それゆえ、その後、専門家会議は、コロナ禍対策の最中なのに、事実上廃止され、感染症の専門家だけでなく、経済の専門家などを交えて、政権の対策本部「分科会」などという意味不鮮明の組織に改悪されてしまった。専門家会議のメンバーを分科会の責任者にしたり、メンバーを残留させたりする小細工を施しながら……。

このように政権の定見のなさ(混迷)が、専門家会議を粉砕し、自治体や、医療現場へと混乱を広げた。その結果、コロナ禍は、第2波、第3波(?)として、繰り返し日本列島を襲ってきた。

前置きが長くなったが、以下が今回の本題。いわば、第二部のテーマは、「ルール無き」。「ルール無き」は、2020年のキーワードになるのではないか、という問題意識である。既に述べたように、2020年念頭では、想像さえしなかった事態が今、世界を席巻してしまっている。コロナ禍のヒトへの急襲ぶりは、ルールを確定せずに始まったものの最たるものであろう。しかし、実は、今ここで取り上げたいのは、このコラムでも何回も書いているコロナ禍ではない。唐突かもしれないが、それは、「オンライン会議」である。「ルール無き」から、新しい「ルール構築」を求めて。

★ 極私的「オンライン会議」体験記

極私的「オンライン会議」体験記とでも、タイトルをつけて、書き始めようか。実は、毎回、このコラムの末尾に明記しているように、私は、記者現役時代は、NHKの報道局社会部記者・デスクを始め、「ニュース7部」(当時)デスクなど報道現場の仕事を長年務めてきた。その後、NHKを定年退職したが、定年後は、縁があって一般社団法人「日本ペンクラブ」の理事になった。ペンクラブでは、理事は全員無給(ボランティア)なので、私も役割分担の一翼を担ってボランティア活動を続けている。

その日本ペンクラブで今年初めて体験したのが、「オンライン会議」であった。
コロナ禍の中でのペンクラブ理事会活動維持のため、必要に迫られて、未体験ながら「オンライン会議」への参加であった。ほとんどの理事が、私同様、初参加のようであった。「オンライン会議」というと、メールマガジン「オルタ広場」の読者諸氏には馴染みがないかもしれないので、今回は、新型コロナウイルス禍が、持ち出した「オンライン会議」について、体験談を書いてみようという試みである。題して、「極私的オンライン会議体験記」。

★ 日本ペンクラブ

まず、日本ペンクラブとは?
日本ペンクラブは、国際ペンクラブ(ロンドンに本部がある「インターナショナル・ペンクラブ」)の日本支部という位置付けで、国際ペン憲章の旗のもとに活動している(以下、「ペンクラブ」と称することにしよう)。

︎ペンクラブの理事会では、現在の理事は、定款によると、定数(定員)が30人。任期2年である。理事は、原則として会員による投票(郵便投票)で選ばれる。定時総会は、年1回。定時理事会は、年間10回は開催されることを目指す。

理事会は、過半数が出席しないと流会になる。やむを得ない理由で、欠席する場合でも、委任状は通用しない。欠席理事などの権限を出席理事に委任することは、できないという決まりなので、理事は、リアルな出席が必要。現在の理事たちは、作家、評論家、研究者、編集者、詩人、ジャーナリストなどが多い。各人とも多忙な人たちなのだが、定数の過半数の出席という条件を満たせなければ、理事会「流会」もありうる、という決まりだ。

2019年度の2月理事会のあと、「コロナ禍」問題が、社会的にクローズアップされたこともあり、「3密」防止対策を徹底させるため、3月理事会が、まず、休会とされた。年度が変わっても、コロナ禍の感染拡大状況は変わらなかったため、続く、4月理事会も休会せざるを得なかった。このままでは、休会続きで理事会の存在も危ぶまれる。そこで、考え出されたのが、理事会への「オンライン出席」を認める、というアイディアであった。「オンライン出席」とは、インターネット(オンライン)上で「リモート(オンライン)会議の理事会」に参加することである。

★ 理事会も委員会もオンライン会議

私が体験したことだけを書くことにする。
私がペンクラブで参加したオンライン会議は、5月理事会以降、それ以前同様に、理事会には毎回参加している。さらに、理事会以外でも、委員会のオンライン会議に参加している。私がメンバーとして参加しているペンクラブの委員会では、獄中作家委員会、電子文藝館委員会、言論表現委員会があるが、目下熱心にオンライン会議開催を進めているのは、私が体験した委員会では、このうちの言論表現委員会である。言論表現委員会では、毎月、通常の委員会スタイルのオンライン会議が開催され、私も参加している。8月の委員会では、二人のゲストを招いて「記者クラブ制度や記者会見のあり方」などというテーマについて、委員会独自の勉強会まで開催した。

ほかの委員会では、まだ一度もオンライン会議が開かれていない委員会もあるが、これは、それぞれの委員会の委員長の考え方次第だろう。ペンクラブの委員会運営は、委員長の個性にもよるが、委員会の自主自立路線と全体の調和のバランスも考慮しながら委員長が運営している傾向が強いと思う。私も、いくつかの委員会の委員長を歴任してきたが、そういう方針で各委員会を運営してきたし、理事会では、委員長として、あるいは、理事として、発言してきた。

このほか、平和委員会では、私は委員会のメンバーではないが、会員ゲストとして、委員長から「招待レター」を戴き、平和委員会独自の勉強会にオンラインで参加させて戴いた。勉強会の講師は、平和委員会の委員で弁護士の方が務めて下さった。

ペンクラブの理事会で、話者が顔を出したまま発言のできる「ズーム」を使って、オンライン会議(「オンライン・ミーティング」、「リモート会議」「テレビ会議」などとも称するが、実質的には、同じ意味である)が、2020年の新年度から始まった。会議に参加するのは、パソコンやスマートホン、アイパッドなどでインターネットへリンクできる環境にありさえすれば、自宅や事務所、出張先からも参加できる。

★ オンライン会議の「通信簿」

オンライン会議なので、「通信(インターネット)」簿と名付けて、オンライン会議の使い勝手、というか、「トリセツ(取扱説明書)」をアト・ランダムに書いてみた。まだ限られた経験だけなので、「極私的」と名付けた次第である。

○優れている、と思われる点/
*東京で開かれることが多い理事会や委員会には、地方在住会員で理事や委員になっている人は、原則的に交通費自己負担で参加せざるを得ず、従来は、欠席しがちだったが、そういう人も自宅からパソコンなどのデバイス(端末)に向かって顔出しで発言できる、という大きな優れた点がある。
コロナ禍の勢いは抑制的になったようにも見えるが、秋から冬にかけて、インフルエンザとのダブル流行、つまり「第3波」が、懸念されていることも事実である。まだ、東京の都心へ出るのは、不安だ、公共交通機関を利用して、遠出するのは、怖いという人も多いだろう。そういう意味では、外出せず、他人とも会わないですむオンライン会議は、コロナ禍に巻き込まれる危険性は、薄まるという点も、優れているメディアだろう。

○現状への感想/
*オンライン会議は、コロナ感染予防の効果は大きい。「3密」環境を実現する。つまり、密閉にならない、密集しない、密着しない。

○会議の主催・進行は?/
*オンライン会議の主催は、どうなっているかというと、これまでのところ、次のようなやり方をしている。ペンクラブの理事会や委員会のオンライン開催は、東京のペンクラブ会議室を拠点にしながら、そのほかの人たちは、それぞれの自宅や事務所から、参加している。執行部の役員が、会議進行の議長となる。オンラインのシステム維持などのシステム進行は、事務局長か事務局のスタッフが務める。

*システム管理的には、ホスト(日本ペンクラブの場合、事務局がペンクラブの会議室で対応)が、操作する。理事会の進行は、議長役の理事が務める。役割は分担されている。

○画面点検/
*分割画面:参加者は、デバイス(端末)の画面の中に分割されて映し出されている自分の顔を見つけるだろう。複数の分割画面(アップ画像)は、参加者の顔がずらりと並ぶ。また、会議の拠点となる会議室(ロング画像)が映し出される。この分割画面では、発言する自分の顔が映し出されるので、自分の顔に向かって、発言するということになる。慣れないうちは、発言しにくいかもしれない。

*画面背景:自室でのリアルな背景も映し出されるが、自室のリアルな背景(つまり、「室内」実況)が映し出されては困るという向きのためには、ハワイの海岸風景のような場面、書棚や蔵書が立派そうな事務所、綺麗に片付けられた居室など、ありものの背景画面を選ぶことができる。

○発言は?/
*発言は、「糸電話(あるいは、ハンディ・トーキー)方式」になるので、対話というより、とりあえず、一方向的な報告・提案というスタイル。「代わり番こ」に発言することになる。リアルな対面発言と勘違いして、互いにやり合うような議論の場面になると、ほかの参加者には、議論のやりとりが聞き取りにくくなるかもしれない。

○議事進行/
*議長はどこにいるの? 議長役が、会議の部屋に不在で、自宅か、事務所から参加していた場合、議長の議事進行の指示に従って、発言を促された参加者は、議長がどこから指示を出しているのかわからず、戸惑うかもしれない。オンライン会議だと、議長を含めて、皆平等で、発言は自室から自分のパソコンやスマートホンなどに向かって発言をすることになる。
自室から参加できるので、会議の場所にわざわざ出向く必要がないのは、便利だが、議長役は、「拠点」となる会議室などにいて欲しい。参加する発言者が、議長のいる分割画面に向けて、発言できるようにしておくと、発言がスムーズになる。

○改善すべき課題/
*会議開催時間は、一工夫?
会議開催時間は、これまでの通りの理事会タイム、午後3時から5時。あるいは、午後4時から6時、あるいは、午後2時から4時などという変更した開催時間であった。自宅から参加する人が増えるので、これらの時間では、夕食準備の家事など多忙な時間帯に家庭の中に、いわば、外から会議が入り込む形となり、家族などに迷惑をかけることになる恐れがあるのではないか、と思う。

オンライン会議は、午前中とか、午後早めとかの開催に変える必要があるのではないか。9月理事会は、午後2時から始まったが、議論が伯仲すると、30分や1時間延長される場合も出てくる。こういう場合に備えて、自宅なら家族、事務所なら従業員を巻き込まないで済むような工夫やルール化が必要になるだろう。

★ オンライン社会へ

オンライン会議に限らず、「リモート勤務」などのオンライン方式は、コロナ禍予防策と合わせ技で、オンライン社会が本格化すると、一気に増えそうな予感がする。中でも、オンライン会議は、来るべきオンライン社会の在りように、実験的に触れる役割を持たされているように思える。オンライン会議で、オンライン社会への「ルール構築」へ向けて、予行演習をしようではないか。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

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