【追悼・西村徹先生】

エッセイスト、オクシモロン(臆子妄論)八十翁の誕生(4)
―身近に接した西村徹先生(大阪女子大学名誉教授、英文学)―

木村 寛


● 五、音楽マニア ― 多重性の世界

 西村先生は本当に本がお好きなだけでなく、音楽もお好きだったんだと思う。自分の部屋で好きな音楽を聴きながら本を読んでいる時間は正に戦時下では考えられない平和な充電時間であったのだろう。旧制中学の時に金管楽器チューバ(重さ10kg)を吹いておられたと聞いた。伴奏楽器である。

 西村先生は二階南面の書斎ではイギリス製の金属ベリリウム(原子番号第三目の最初の金属元素)のスピーカーで音楽を聴いておられた。金属ベリリウムと金属マグネシウムの密度はたいして違わないから、どこまで両者は違うのか、金属マグネシウムのスピーカーもあるのかないのかよくわからない。
 音楽は再生する過程で生の演奏からいろんなものが欠け落ちる気がするし、もともとアナログなものをデジタルに変換しているわけだから、真空管アンプだけの問題ではないと思う。私の小さなオーディオに対しては、精一杯頑張っていると言われた。私は、もらった安物のスピーカーを四種類ほど並列につないだところ、音の広がりが生まれたと感じたが、西村先生には全く及ばない。
 私のCDに入っていた女性シャンソン歌手、ミッシェル・アルノーの玄人好みの歌がいいと言われてCDを買おうとされたが、半年ほどかかると言われてあきらめられた。今から思うと残念であった。

 音楽の素材は音だから、音楽を作り出すのに必要な音はそんなにたくさんの音があるわけではない。一オクターブで半音も入れて11音である。ドから始めれば長調、ラから始めれば短調の音階となる。長調ははずんだ気分、短調は沈んだ気分であり、なぜか不思議に人間の持つ二つの感情に寄り添うものである。音階のほかに拍子もあるので、いわば二重性の世界が構成されるわけである。

 歴史上の面白い実例として、ドイツ人の父親とイタリヤ人の母親を持った作曲家ヴォルフ・フェラーリがいる。彼はドイツで作曲を学んだのだが、彼の有名な『マドンナの宝石』間奏曲ではメロディが2/4拍子、伴奏曲は6/8拍子という二重性を持ち、しかもメロディの短調部分に時折、まるで救いのような長調部分が現れる。いわば二重性が拍子と階調とで重なりあって、更に二重性として現れるのである。メロディは揺れ動く恋心と言われるのだが、それがこころのゆらぎを表現するのとして、失望と希望の織りなす微妙な動きを最高に表現している気がする。伴奏曲はナポリの風景と言われている。
 小説の世界では、トーマス・マンの短編『トニオ・クレーゲル』がある。情熱的なイタリヤ人の母と、沈静さを保つドイツ人の父との間で揺れ動く主人公を描いている。

 音楽は頭を休める意味で、ふだんはバックグラウンドミュージックとして聞いておられたと思う。わが家には西村先生が録音されたテープやVHSのビデオテープがたくさん箱に入って残っている。先生の情報量の豊かさ(広さと深さ)には驚く。私は必要なものにしか関心を示さないから、狭い世界の住民でしかない。ある時はスイスの独立時計職人のCDをいただいたし、バンヤンの『天路歴程』の英語朗読のCDもいただいた。
 この本の訳者竹友藻風が大学の先生だったと聞いたことがある。なんでも戦後、仁川にあった竹友の家は進駐軍によって接収されていたとか。大学時代は国鉄の関西線に乗って伊賀上野の家から毎日大学に通われていたので、最終授業は出席できなかったらしい。五音階(ドレミソラ)の音楽は民謡で有名であるが、これを聞いてドライブしているとなぜか眠くなる。

 西洋の音楽はいろんな楽器のハーモニー(和音)を目指したので、難問に直面することになったらしい。ピタゴラス・コンマと言われる問題で、例えばドの音を半音あげた音と、レの音を半音下げた音とが厳密には一致しないという問題である。そこから平均律という妥協音が作られたそうである。弦楽四重奏は正に多重性の世界であると思うし、オーケストラになると、もっとすごい多重性の世界が展開する。

 音楽に不案内な人間にとっても、ハワード・グッドール『音楽史を変えた五つの発明』(松村哲哉/訳、白水社、2011)は面白い話題に満ちた本である。この本には、作曲する時に天からインスピレーションか何かが降りてくる話があり、グルノーブルのアンブランという村で聞いたいくつかの教会の鐘の音のハーモニーから作曲できたという著者の感動話が紹介されている。なお音楽史における五つの発明とは、一、細い赤い線―グイード・ダレッツオと記譜法、二、革命を引き起こした音楽―オペラ、三、偶然の産物―平均律、四、音量を調整できる鍵盤楽器―バルトロメオ・クリストフォリとピアノ、五、メリーさんの羊―トーマス・エジソンと録音技術である。

 文章を書くのも同様だと思うが、何かにつき動かされてできたものが素晴らしいということはありうるのだと思う。西村先生も昔自分の書いた文章に驚くことがあると言われていたことがある。私が冒頭(連載第1回)に引用したホロウィツの力作『帝国主義と革命の時代』の訳者あとがきなどはそれだろうと思う。
 西村先生からいただいた『マーラーの交響曲全集』8巻(テンシュテット指揮)はまだ一度も聞いていない。そのうち聞いてみようと思っている。

 (堺市在住・理学博士)

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