≪連載≫宗教・民族から見た同時代世界

インドネシアにおけるイスラムパワーの変転

荒木 重雄

 インドネシアで4月、来る7月の大統領選挙の前哨戦と見做される総選挙が行われた。
 結果は、ジャカルタ特別州知事ジョコ・ウィドド氏を大統領候補に擁立する闘争民主党が第一党。次いで、スハルト政権下の翼賛組織ゴルカル党、スハルト氏の元娘婿で元軍人のプラボウォ氏を大統領候補とするグリンドラ党、ユドヨノ現大統領の民主党がこれに続いた。
 闘争民主党の勝利は、独立の父スカルノ初代大統領の長女が党首ながら、首都が抱える諸問題の対策や行政の効率化に手腕を発揮してきたジョコ氏の、庶民的で清新なイメージに大きく負っているといわれている。

 だが、それにしても、これまで重要な位置にあったイスラム政党の影がほとんど見えないのが奇異に映る。

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◇◇ 政治を動かしたイスラムパワー
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 インドネシアの建国に当たって、国是となる五原則(パンチャシラ)の冒頭に掲げたのは「唯一神への信仰」であった。だがこの「神」の解釈が、対オランダ戦をたたかうかたわら、独立に向けての最大の争点であった。インドネシアとなる地域の住民のほぼ9割はイスラム教徒だが、他の宗教の者もいる。熾烈な議論の末、他宗教への配慮から、この「神」にアッラーではなく中立的な意味をもつ「トゥハン」の語を当てることになった。

 イスラム住民の多くは、神の「唯一性」の強調はアッラーを示すと理解して納得した。しかし、これにあきたらぬ者たちは「ダルル・イスラーム(イスラムの大地)」という組織を創設し「インドネシア・イスラム国家」の樹立をめざして武装闘争に入った。
 これが独立以来1960年代半ばまでインドネシアを悩ませるのである。

 因みに、インドネシアでは「無宗教」は許されない。国民はすべて国家が認めるイスラム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー、仏教、儒教のどれかを信奉しなければならず、宗教が身分証に記載される。

 付言すれば「無宗教」の否定は、スカルノ追い落としにつながった「9月30日事件」の黒幕とされ、いまにいたるまで非合法化されている共産党に通ずるからでもある。

 さて、スカルノの後を襲ったスハルト政権は独裁体制で開発路線をひた走るが、すると、それに対する反発がイスラム勢力にうまれ、80年代前半、暴動や銀行・デパートの爆破、ボロブドゥール遺跡の一部破壊など、騒擾事件が頻発する。
 スハルトはそれに対して、インドネシア・ムスリム知識人協会を設立し、公務員はすべてその会員になることを義務づけたり、国内の二大イスラム組織ナフダトゥル・ウラマーとムハマディアの体制内化を図るなど、イスラム住民の取り込みに腐心した。

 90年代末、アジア通貨危機に始まる経済崩壊と民主化を求める運動の盛り上がりの中でスハルト政権は倒れる。この混乱期、イスラム急進派の活動がまた活発になって、このときはマルクやポソでキリスト教徒を襲撃するなど逸脱行為が目立った。
 これは、2000年代に入ってからも、バリ島爆弾テロ事件や、ジャカルタの外資系ホテルやオーストラリア大使館近くでの爆破事件など、外国人や外国施設を狙った事件として、間遠くなりながらも続いている。

 なお、これら急進派には、先に述べたダルル・イスラームからジェマア・イスラミアへと連なる思想的・人的系譜も辿れたが、最近はそうした流れから外れた、爆弾の製造法はネットからというようなてあいの小集団による犯行が多いという。

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◇◇ イスラム政党の伸長と低落
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 急進派のみならず、スハルト後の政治の主流を占めたのも、この時期、イスラム系政党であった。スハルトの後を襲って大統領に就いたのは、先に述べたインドネシア・ムスリム知識人協会の初代会長でスハルトの腹心のユスフ・ハビビであったし、次の大統領は、最大イスラム組織ナフダトゥル・ウラマー元議長のアブドゥルラフマン・ワヒドであった。

 ワヒドについては一言ふれておきたい。スハルトがインドネシア・ムスリム知識人協会を設立しイスラムの政治化・体制内化を図ったとき、ナフダトゥル・ウラマー議長であったワヒドはそれに反対し、世俗的・民主的・多元的国家をめざすべきことを明言して、知識人協会に対抗する「民主主義フォーラム」を設立し、ウラマー(イスラム知識人)を民主化・市民社会勢力の一員として位置づけようとした。
 また、大統領就任中には、共産党の名誉回復と合法化を提案したが、これは各方面から猛反発を受けて、果たせなかった。
 最大イスラム組織を率いる重鎮ながら、このようなリベラルな思想の持ち主でもあったのである。

 スハルト独裁政権下にイスラム系諸政党がまとめられて設立された開発統一党、スハルト後の自由化の中で創設された、上記、ナフダトゥル・ウラマーを母体とする民族覚醒党、第二のイスラム組織ムハマディアを母体とする国民信託党、それに月星党、正義党を加えてイスラム系主要五党というが、スハルト後、前回09年の総選挙まで3回を重ねた総選挙では、これら5党の得票率はつねに3割を超えていた。

 これほどインドネシア政治で大きな位置を占めてきたイスラムパワーであったのだが、それが、今回の選挙では、5党合わせても10%台半ば、大統領レースに独自候補を立てるなどとても及ばぬところまで凋落したのである。

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◇◇ 政治の季節を離れたイスラム
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 だが、社会や日常生活のレベルでは、逆に、とりわけ都市の若年層を中心に、イスラムは求心力を増しているといわれる。

 たとえば、ショーマンシップ豊かなタレント説教師ブームである。高層ビルの数百人のファンが詰めかけた大ホールで、あるいはテレビ番組で、人気説教師が絶叫し、泣き、笑わせ、歌う。
 ポップスを歌い、コーランを朗読し、コメディーをこなし、それを収録したアルバムが跳ぶように売れる。

 スーパーやコンビニでも、イスラム教徒が口にできない成分が混ざっていないことを保障する「ハラル認証」を確かめて商品を買う人が増えた。

 女性の髪や身体の線を露出させないことを求められるイスラムの衣装が逆に、お洒落でカラフルな「イスラム・ファッション」に変身して、国内ばかりか海外でもブティックやオンラインショップで人気を博している。
 といった具合である。

 だが、そのような風俗としてばかりではない。一昨年、インドネシア調査研究所が行った15歳から25歳を対象とした世論調査では、1500人の回答者のうち、半数近くが、自分は「インドネシア国民である以上にイスラム教徒」と答えている。そして、イスラム教で禁じられている婚前交渉は98%が反対。99%が同性愛を拒否し、飲酒も89%が否定した。

 急速な経済成長で中間層が育ち、政治の争点は宗教イデオロギーより政策に移る中、イスラムはまた新たな展開を見せつつあるようである。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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