【オルタの視点】
インドに原発売るな。どこにも売るな。
<一>
国内外のメディアは、9月末に「11月中旬、モディー印首相来日、日印原子力協定調印へ」と舫報じた。
2010年6月末の菅政権による交渉開始以来、5年以上を経て、いよいよ「日印原子力協力協定(以下、「協定」)は最終段階を迎えた。しかしこれは、「交渉中止」への最終段階であり、断固として調印・締結は阻止しなければならない。
すでに全国のNGO・市民団体・個人などは、「日印原子力協定阻止キャンペーン2016」を結成し、10月10日には「共同反対アピール」を発表、日印両国総理大臣、政府関係機関などへ送付した。この件については、10月13日付けの『東京新聞:朝刊』の「こちら特報部」において紹介され、キャンペーンは大いに盛り上がっている。全国における原発反対運動、被ばく者による運動、核廃絶のための運動など、各種の原発・核兵器に関する運動に参加する人びとたちから、「日本はインドへ原発を売るな! 世界のどこにも売るな!」との怒りの声が高まっている。
<二>
昨年12月に訪印した安倍晋三総理は、モディー首相との首脳会談後、「共同声明」と「覚書」を締結して発表した。原子力協力に関する「覚書」は、わずかに本文5行のものであり、「両政府は、協定が、必要な国内手続に関するものを含む技術的な詳細が完成した後に署名されることを確認する。」でしかない。しかし政府は、これを「原則合意」としてメディアに報じさせ、あたかも日印両国の間で「本協定」が決着したかのような印象を与えた。
しかし、上記の通りに「交渉後の早期の調印」で合意したに過ぎず、まだ日印間では原子力協力は決定していない。その後、両首脳による会談、外務省高官同士の会談などでの交渉が続いてきたが、締結の見通しは厳しい。
日印間では、両国首脳が毎年相手国首都を訪問して首脳会談を行うとの取り決めがあり、昨年の安倍総理訪印が行われ、今年はモディー首相の来日の番である。12月に最重要外交課題とされるプーチン露大統領の訪日案件があることから、メディアが報じる「11月中旬」が有力である。
<三>
1947年に英領統治からパキスタンと分離独立したインドは、独立前より核エネルギー政策を立案していた。そして、独自に研究開発を進め、さらには民生用協力をアメリカ、カナダから得て、小規模な原子炉を保有した。
インドの外交方針は、「独立の維持、すなわち外国に支配されないこと」であり、その方針により1950年初期に結実したのがバンドン会議などおける「非同盟主義」路線の確立であった。その一方でインドは、隣国パキスタンとカシミール地方の帰属をめぐり対立、また、旧東パキスタンからバングラデシュへの独立運動などへの支援から、3度の戦争を闘った。こうしたなか、インドは核兵器の開発へ進め、「核保有国となることでの大国化」をめざしていた。
そうしたインドは、NPT(核拡散防止条約)を、「核兵器を持てる国、持てない国を不平等に扱う」、「核兵器を持つ権利はいかなる国も有する」として、加盟(締約)を拒否した。さらに1974年にインディラ・ガンディー首相のもと第一回の核実験を強行、事実上の「核保有国」となり、世界を驚かせた。
この核実験においてインドは、アメリカとカナダからの協力により供与された原子力関係施設や燃料などの「秘密の軍事転用」を行い、使用済み核燃料の再処理を経て、核兵器製造を成功させた。
当時の冷戦時代においてインドは、旧ソ連側に位置し、この核実験はアメリカを激怒させた。対抗措置としてアメリカは、西側諸国を中心として「対印原子力貿易制裁措置」を厳格に実行した。これによりインドは、世界の原子力貿易や原発増産などから取り残され、原子力関連資材や技術の輸入は一切停止された。つまり、インドが「NPTの枠外にあるこから、世界の原子力貿易からはじき出された」のである。この結果、総発電量における原発の割合は、わずか3%程度に過ぎず、原発や原子炉も非常に小型である。またインドは良質な国産ウランが少なく、燃料の安定供給にも苦心していた。
こうしたなか、1998年にインド人民党(BJP)のバジパイ政権は、第二回の核実験を強行した。この実験は、冷戦後の安全保障環境において、「唯一の核超大国であるアメリカ」との友好関係を築きたいとするインド側が、「アメリカにインドの存在を知らせるため」の実験であった。だが、インドの核実験は、敵対するパキスタンの2週間後の核実験での対抗を招き、南アジアにおける核戦争の脅威は極度に高まった。
<四>
第二回核実験に対してアメリカ、日本などは、厳しい経済制裁を課した。だが、米印対話が進み、アメリカは「巨大人口による市場の出現、中国の台頭に対抗する地域大国インド」の存在を見いだしたのである。
そして、インド側が熱望した「原子力貿易制裁の撤廃」にブッシュ政権は同意し、2008年に「米印原子力協力協定」が締結された。この協定締結に関しては、核兵器を保有する日米など48か国が参加して原子力技術・機器輸出を管理する「原子力供給国グループ(NSG)」がインドへの核関連物質・技術の移転を認め、さらに国際原子力機関(IAEA)との間で一部(民生用のみ)の原子力施設を保障措置(査察)のもとに置く協定を結んだ。
経済成長を続けるインドは、巨大な原発市場として出現し、インドは「原子力貿易の容認」と引換に、原発輸入促進を認めた。そして、アメリカ、フランス、ロシアなどの原発売り込み合戦が過熱し、日本企業も東芝がウェスティングハウス、日立がGE、三菱重工業がフランスのアレバと提携し、インド原発市場への参入を狙いはじめた。
この新状況のなかでインド政府は、2050年には原発の発電能力を4,700万キロワットと現在の11倍強に増やし、全発電量の4分の1をまかなう方針である。
<五>
2010年には、ウェスティングハウスがグジャラート州のミッティ・ビルディー原発計画、日立・GEがマハラシュートラ州のジャイタプール原発計画、三菱重工業・アレバがアンドラプラデーシュ州のゴダヴァ原発計画を決めた。
だがこれら国際原発メーカーが、インドへの原発建設が進められなかった障害の一つが、原発事故発生時において原発事業者がメーカーへの損害賠償請求を認めたインド原賠法であった。アメリカ、フランス政府はインド政府に対して強い圧力を加え、このインド原賠法の撤廃を求め、原発メーカーは建設契約にも進めることができなかった。
そしてインド原賠法は、2015年1月のオバマ大統領訪印の際、「保険プール制度」の導入にり事実上改悪された。また、日本に続いてインドも、事業者の有限責任と原発メーカーの賠償責任の免罪を規定する「原子力損害の補完的補償に関する条約」(CSC)に加盟した。
国際原発メーカーがインドでの原発建設に着手できない理由は、その建設には日本製の原子炉格納器・蒸気発生器などが必要であり、その入手には「本協定」が不可欠であった。つまり「本協定」がなければ、日本とインドは原発関係の貿易は、一切行うことができない。
2010年の民主党政権による「新しい経済成長戦略」としてのインフラ輸出、そのなかでの「原発輸出」のため、「本協定」交渉が開始された。だが、ヒロシマ・ナガサキの被ばく体験を有する日本の、NPTにも加盟しないまま核実験を行ったインドへの原子力協力には、厳しい反対が燃え上がった。このため訪印した岡田外相(当時)は、「インドが再び核実験を行った場合には、日本は原子力協力を停止する」と明言した。この「再実験での協力停止条件」は、現在の交渉においても最重要課題の一つである。
また、インド側は交渉において、「使用済み核燃料の再処理の容認」を日本に求め続けていた。2015年6月19日の共同通信によれば、「日印原子力協定交渉において日本側は、使用済み核燃料の再処理を容認する予定」と報じられている。原発を輸出するだけでなく、再処理も認める、それはインドが核兵器製造に欠くことができないプルトニウムの製造を進めることとなる。
「本協定」の締結は、「インドに原発と核兵器を増産させる」こととなる。
<六>
国会において安倍総理は、「インドが核実験をすれば協力停止」という立場を「インドは了解した」と答弁している。しかし「協力停止」については、日本側は文書での明文化を主張するが実現は不明である。また、「再処理容認」も公表されていない。
インドの活動家は「パキスタンと核軍拡競争を続けるインドが、核実験を放棄することはあり得ない」と分析する。元来、インドは他国からの安全保障政策への介入や要求を拒否する立場である。
たとえ日本の技術でつくられた原発からのプルトニウムがIAEAや日本政府によって管理されるとしても、インドは国産ウランを用いてプルトニウムを抽出し、核兵器の製造が可能であり、軍事用原子力施設についてIAEAによる保障措置(査察)は行われない。
2016年1月25日の仏印首脳会談では「ジャイタプールの6基の原子炉について、2016年末までの協議完了と2017年前半の着工」が確認。また、「オバマ米大統領は6月7日、インドのモディー首相と会談し、東芝の米子会社ウェスティングハウス(WH)がインドで6基の原子力発電所を建設することで基本合意した。2017年6月までに契約を締結し、30年までの完成を目指す。」と報道された。
インドは、2016年6月23日〜24日のNSG(原子力供給国グループ)会合で、パキスタンとともにNSG入りを申請した。48か国のうち7か国の反対でこの申請は否決されたが、NSG入りはインドが原発輸出国となるとともに、NPTに加盟しておらず、核兵器を有し、核物質を管理されていないインドが核取引のお墨付きを与えられることを意味する。NPT形骸化、核拡散につながることは明らかである。日本は、インドのNSG加盟に関する提案国となった、日本外交の基本方針である「核不拡散体制」を壊すものだ。
2015年12月の安倍訪印、原子力協定調印に際して、日印市民は連帯して反対運動を展開。日本では、官邸前での抗議行動や各地での集会を開催し、広島、長崎市長は交渉中止要請を政府に届けた。インドでは、首都デリーや原発建設予定地を中心に数千名の抗議行動が展開された
11月のモディー首相来日へ向けて、すでに11月4日大阪、7日東京にて現地住民も参加した対政府交渉、大規模な集会を開催予定である。またウェブ署名ではすでに、開始直後から多くの署名が集められている。
東電福島第一原発事故の収束もできず、多くの避難者がいる現在、そして大規模な汚染が続いているいま、私たちが外国に原発を売ることの非倫理性を考えなくてはならないだろう。
インド現地で反対運動を闘う民衆は、「日本はインドへ原発を売るな!と、抗議の声をあげている。いまこそ、私たちが立ち上がり、「協定」阻止のため闘い続けなければならない。
(岐阜女子大学南アジア研究センター長補佐)
「日印原子力協力協定反対キャンペーン2016」
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