【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界
インドで国民登録をめぐって国家権力と市民運動が激突
昨年12月、安倍首相が訪印して開催されるはずだった日印首脳会談が、開催予定地アッサム州グワハティの治安悪化を理由に中止された報道は、ご記憶の読者がおいでだろう。
しかし、その治安悪化の原因や、その後インド全土に広がった騒乱、そして2月のデリー首都圏議会選挙で国政与党インド人民党(BJP)が敗北したことなどについては、日本国内ではほとんど報じられていない。
そこで、その経緯を振り返ることで、現在のインドの位相を見ておこう。
◆ イスラム教徒排除を企んだ国民登録
ことの発端は、昨年12月半ば、国籍法の改正案が国会で可決成立したことにあった。
改正国籍法では、2014年末までにインドに不法入国したバングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンの出身者のうち、イスラム教徒は除いて、ヒンドゥー教、シク教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教の六つの宗教に属する者にはインド国籍を与えるとしている。
「宗教的少数派として迫害され、インドに逃れてきた人々を救うため」というのが政府・与党の説明だが、バングラデシュからの不法移民が多いアッサム州など北東部諸州では、法改正がさらなる移民の流入を招きかねないと激しい反発が起きた。これが当初の、日印首脳会談中止の背景となった騒乱である。
だが、ここにはカラクリがあった。
国籍法改正に先立って、アッサム州では昨年8月までに国民登録名簿が作成された。戸籍など身元証明が確立していない社会で、長年の居住を証明できる者を改めて国民と認める制度であるが、登録を求めた約3千300万人のうち約190万人が証明不十分などの理由で除外された。
しかし除外された者でも、イスラム以外の六つの宗教に属する者なら、前記・改正国籍法で救済されて国籍取得が可能になる。
これは明らかにイスラム教徒に狙いを定めた差別法であり、二つの制度を組み合わせることでイスラム教徒を国民から分別・排除しようとする策略である。
政府は、この施策を全国に展開する計画である。
事態の真意が明らかになるにつれ、改正国籍法と国民登録名簿への反対運動は当初の北東部諸州を超えて、全国のイスラム教徒やリベラル派市民に広がっていった。
◆ 国家権力の暴力装置が発動
モディ首相率いる現BJP政権が、ヒンドゥー教の伝統に基づく国家建設を求めて武闘も辞さないヒンドゥー至上主義団体・民族義勇団(RSS)を支持母体としていることは周知の事実である。モディ氏自身、8歳からRSSで活動してきた筋金入りのヒンドゥー至上主義者だ。その政府と支持団体が、改正国籍法と国民登録名簿への反対運動に牙をむいた。
昨年12月には、抗議行動の拠点となっていたイスラム教徒が多いジャミア・ミリア・イスラミヤ大学にデリー警察の警官隊が突入し、無抵抗の学生たちを警棒で乱打したうえ大学内の機器を破壊して回った。今年1月には名門ジャワハルラル・ネルー大学の学生寮をBJPの学生組織とみられる黒覆面の武装集団が襲撃し、40人近くの学生・教職員が重傷を負った。このときはデリー警察の警官隊は門を塞いで学生たちが逃げるのを阻んだ。因みにデリー警察は内務省の管轄下にある。
こうした過程で一連の暴力的な弾圧の指示者アミット・シャー内相の噂も流布した。モディ首相とは10代からのRSS仲間で、少なくとも4件の要人殺害の黒幕とされ、10年には実際、殺人罪の容疑で逮捕されたが、政治力と金力を駆使して起訴を免れたとされる曰くつきの人物である。
◆国民分断に反対して女性パワーが全開
相次ぐ暴力的な弾圧に市民が反発した。
ジャミア大学での事件の直後から、近接するシャヒーンバーグの広場に、在学中の息子や娘を心配する母親を中心に多くの女性たちが集まり、40日を超える長期の座り込みと抗議活動が展開された。イスラム教徒の女性が主体だが、リベラルなヒンドゥーやシクの団体や個人も多数参加した。
広場にはヒンドゥー・ムスリムの融和を説いたマハートマ・ガンディーや「不可触民」解放運動指導者で憲法起草委員長であったアンベードカル博士の肖像がそこかしこに掲げられ、仮設の舞台では、政教分離や民主主義、宗教やカーストによる差別禁止を謳う憲法の前文が朗読され、「われわれはみんな」の呼びかけに大勢の参加者たちが声を揃えて「一つ(平等)だ」と応えた。
BJP政権が企む国民分断策謀に女性を中心にした市民運動が明らかな否を突きつけたのだ。
シャヒーンバーグの運動はたちまちコルカタ、ムンバイをはじめ全国の大都市に広がっていった。この活動がおもに女性に担われたのには理由がある。男尊女卑の傾向が強いインドでは出生や教育の場面でも女性は軽視され、したがって国民登録手続きが要求する公的な自己証明書類を持たない場合が多いのだ。そこからこの運動は、女性差別、性暴力、労働組合や学生運動弾圧への抗議など、現在のインドの不正義全般を問う意味合いも帯びていった。
1月26日の共和国記念日。シャヒーンバーグでは宗派を超えてインド国旗を掲げた大群衆が集まり祝典が催された。モディ政権下、差別に抗議して自殺した不可触民大学院生とヒンドゥー教徒の暴行で殺害されたイスラム教徒青年の母親二人が、インド国旗の掲揚を行なった。
◆ 宗教強硬路線に見えた限界
パキスタン越境空爆で博した人気を利用して下院選で圧勝し、昨年5月以降、2期目に入ったBJPモディ政権は、同年8月、インドでは唯一イスラム教徒が多数派のジャンム・カシミール州から自治権を剥奪したり、11月には影響下にある最高裁を動かして、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が所有権を争う聖地アヨーディヤの土地にヒンドゥー寺院の建設を認めさせるなど、支持基盤である保守的ヒンドゥー教徒の感情を満足させる政策を進めてきた。
その勢いに乗って迎えた2月のデリー首都圏議会選挙だったが、BJPが獲得できたのは、70議席中8議席にとどまった。圧倒的多数を占めたのは15年の前回選挙同様、汚職撲滅などを掲げる新興政党・庶民党(AAP)だ。BJPも前回より5議席増やしたとはいえ「40議席以上を取る」と豪語していたBJPとしては敗北は明白だ。それがこの市民運動の成果というのは単純に過ぎよう。リベラルな、しかも女性主導の運動の高揚に憎悪をたぎらすBJP政権が次にどのような策謀を巡らせるか予断を許さない。しかし、少なくとも大都市では、ヒンドゥー至上主義を声高に訴える政策の効果に限界が見えたのも確かだろう。
[この稿は南アジア研究者・佐藤宏氏の論考『インドにおける移民排除法制の展開』から多くの教示を得ている。とくにシャーヒーン・バーグでの状況については引用もさせていただいた。詳しくは下記URLでご覧ください。 http://hdl.handle.net/2344/00051565 ]
(元桜美林大学教授・『オルタ』編集委員)
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