【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

イスラム化か独裁化か、トルコの大統領権限強化がもたらすもの

荒木 重雄


 トルコでこの4月、国民投票がおこなわれ、親イスラムのエルドアン大統領と与党・公正発展党(AKP)が推進する、議院内閣制から大統領制に移行する憲法改正案が認められた。
 といっても、賛成51%、反対49%の僅差である。
 新制度では、大統領は国会の承認なしに副大統領や閣僚を任命し、予算案も作成する。非常事態を宣言し、国会を解散できる。裁判官や検察官の人事も掌握する。まさに、三権分立を骨抜きにする大統領への権力の集中である。

 エルドアン氏の政治手法は、民生の安定に力を注ぎながら議会制民主主義の枠内で慎重にイスラム的価値の実現をめざすもので、国内外の信頼や好評を得ていたが、この数年は独裁性や強権性を強め、逆に内外からの批判が高まっていた。そのような中でなぜ、あえて一層の反発を買うような方向に踏みだしたのだろうか。

◆◆ 軍・司法対イスラムの葛藤

 第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国が西欧列強の手で解体されていく中で、軍人ケマル・アタテュルクの下に結集したトルコ人が国土と国民の保全と独立を訴えて武装闘争を起こし(トルコ独立戦争)、さらにオスマン王家のカリフを追放して、イスラム世界初の世俗国家を樹立した。それが現在のトルコ共和国である。
 以来、トルコは、西欧的近代化をめざす世俗主義を国是とし、軍と司法が世俗主義の守護者を任じてきた。が、しかし、国民の99%がイスラム教徒である。当然、イスラムの復興を望む人々との間に葛藤が起こる。この葛藤こそがトルコ現代史の通奏低音であり、その通奏低音がいま、表にせり上がってきたのがエルドアン氏が仕掛けた国民投票であった。
 賛否の世論が伯仲するだけに今後の波乱も予想されるが、事態の展開を理解する一助にも、ここに至る過程を振り返っておこう。

◆◆ 4度の非合法化を潜り抜けて

 エルドアン氏が率いる公正発展党のルーツは、イスラム的価値観に基づく経済発展を主張した政治家ネジメッティン・エルバカン(1926~2011)らが1970年に創設した「国民秩序党(MNP)」である。が、翌年には、軍による政党活動への締めつけが強まる中で、同党は反世俗主義的との理由で憲法裁判所から活動停止処分を受けて、解党。メンバーの大半は翌72年に設立された「国民救済党(MSP)」に移籍した。

 国民救済党は74年から三つの連合政権にも参加したが、80年に軍のクーデターで非合法化され、同党の支持者は83年設立の「福祉党(RP)」に移った。福祉党は、国民救済党の苦い経験から、世俗主義擁護を標榜してイスラム的主張は極力抑え、貧困層への福祉活動に力を注いで、その結果、96年にはエルバカン氏を首班とする政権を樹立するに至ったが、98年、またも軍の圧力で非合法化され、党員・支持者の大半は非合法化を見越してあらかじめ設立しておいた「美徳党(FP)」に移籍した。
 この福祉党で幹部として頭角を現したのが現大統領のエルドアン氏である。

 54年、イスタンブール郊外の下町に生まれ、宗教高校を卒業したレジェップ・タイイップ・エルドアンは、大学在学中から国民救済党で政治活動をはじめ、福祉党時代の94年、イスタンブール市長に当選し、実務的手腕が高く評価されていたが、97年、政治集会でイスラムを賛美する詩を朗読したことが煽動罪に問われて、4年の実刑判決を受け、約5か月間服役し、被選挙権も剥奪された。
 福祉党の後継、美徳党が2001年、国民秩序党から数えて4度目の非合法化を受けて二つに分裂したとき、一方の、被選挙権を失ったままのエルドアン氏を党首に創設されたのが、現在の政権党・公正発展党である。

◆◆ 掌握した権力でどこに向かう

 イスラム色を抑えて中道右派を標榜した公正発展党は、02年の総選挙で単独与党に躍進し、翌年には被選挙権を回復したエルドアン氏が首相に就任した。以来、彼は持ち前の手腕を発揮して、欧米や近隣諸国との間に築いた良好な関係を基盤に目覚ましい経済成長を達成し、一方、公の場での飲酒禁止やスカーフ着用の解禁などイスラム的政策は「青少年の保護」や「人権擁護」の主張の範囲に留めていた。

 しかし、07年、愛国的な軍人たちから成るとされる地下組織「エルゲネコン」によって向けられた爆殺未遂という危機や、大統領選に擁立した腹心のギュル副首相が憲法裁判所に違憲と判断されて頓挫した屈辱などを契機として、しだいに強権化の度を深めていった。13年には、強権的姿勢に反発した大規模な反政府運動も起こり、そうした中で14年、トルコで初めて直接選挙となった大統領選に、首相職を配下に譲って立候補して当選。このときすでに、名誉職に近い大統領に強大な権限を付与する憲法改正を計画していたといわれる。

 そこに昨年7月、軍の一部によるクーデター事件が起こったが、エルドアン氏はすでに軍・司法・警察・主要メディアなどの中枢を自分に近い人物に入れ替え済みで、軍本体は動かず、反乱は半日で鎮圧された。そして、このクーデター事件に関与したとされて、いまだ10万人以上が拘束され、数万人の軍人や公務員が職を追われ、100社を超える報道機関が閉鎖されている中で実施されたのが、今回の国民投票であった。

 改憲による新たな大統領権限が有効になるのは19年に実施予定の大統領選以降だが、さて、こうして手に入れた権力によってエルドアン氏はどこに向かおうとしているのだろうか。自身のさらなる権力欲の充足か。イスラム化の悲願か。欧米との対決か。いずれにせよ、中東の一層の不安定化や、世界に広がる強権化・非寛容・排他主義の一層の拡大に繋がることが懸念される。

 (元桜美林大学教授)

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