宗教・民族から見た同時代世界
イスラム主義者だからといって民選大統領が軍に追われてよいのか
「アラブの春」を経て、エジプトで初めて民主的な選挙で選ばれた文民大統領のムルシ氏が、7月、突如、軍によって解任、拘束され、代わって、軍指名の「傀儡」暫定大統領のもと、シーシ軍最高評議会議長が自ら第1副首相として実質的な指揮を執る政権が動き出している。
「現政権は違法」と抗議するムルシ前大統領の出身母体・ムスリム同胞団に傀儡軍事政権は常軌を逸した武力攻撃を加えつつあり、後の展開は予断を許さないが、二、三、論点を挙げておきたい。
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◇◇軍とムスリム同胞団の確執
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エジプトにおいて軍は、1952年のナセル中佐率いるクーデターで王政を覆して以来、国家の中枢を握り続けてきた。歴代大統領は初代ナギブをはじめ、ナセル、サダト、ムバラク、すべて軍人出身である。国家機構のみならず各県知事など地方の主要ポストまでみな、軍高官の天下りであった。
軍関連産業の裾野も広く、1千万人が職を得ているとの試算もある。また一方、米国の中東政策への協力の見返りに毎年15億ドルもの援助を受けているのも軍である。
すなわち軍は、これまでも今も、この国で最大の利権集団、利益共同体である。
この軍がもっとも警戒したのがムスリム同胞団であった。ナセルのクーデターの成功じたい、じつは同胞団が主導した広範な大衆の反英・反王政運動に支えられてのことだったが、その力を脅威と感じたナセルは、大統領就任後、同団を非合法化し、壊滅寸前まで弾圧した。
サダト時代、一時、非合法を解かれるが、ムバラク政権下では再び非合法化され、一切の活動を禁じられ過酷な弾圧にさらされてきた。
2年前の「アラブの春」では、軍は、ムバラク氏を見限って実権を掌握。新憲法制定や選挙実施の監督役を任じたが、大統領選でムスリム同胞団出身のムルシ氏が当選確実と見るや、イスラム系が7割を占めた国民議会を解散させ、併せて憲法を修正して大統領の軍に対する権限を排除する挙に出た。
これに対してムルシ氏は当時の軍最高評議会議長を大統領令で更迭。民政の力を内外に印象づけた。
ところが、ムルシ大統領就任1年を機に、「世俗・リベラル派」と称する勢力が大規模な反ムルシ・キャンペーンを展開すると、これに便乗し、軍が巻き返しに撃って出たのが、今回のクーデターであった。
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◇◇軍が主張する「民意」とは何か
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ここで問われるのは、軍がその民意を汲んで行動したとされる「世俗・リベラル派」とはなにかである。軍によるクーデターの報が伝えられると、タハリール広場を埋めていた反ムルシの「世俗・リベラル派」大衆は、花火を打ち上げ、歓声を上げて、軍の介入を歓迎した。これで「自由が戻った」「民主主義が回復した」とテレビカメラに語る人々の姿は異様でさえあった。
海外からの観光客や投資の不振で行き詰まった経済による物不足や物価高と、イスラム色の強い憲法やムスリム同胞団びいきの人事への反発が広範な大衆を反ムルシに向かわせたとされるが、そのことへの批判と、民主的な選挙で選ばれた大統領の政権を軍が覆すこととの間には、大きな開きがあるはずだ。
思い出してほしい。前ムバラク政権下の2年前、「体制打倒」を叫ぶデモ隊がタハリール広場に辿り着くためには800人を超える若者が治安部隊の銃撃で命を落とさなければならなかった。国営テレビは広場のデモの映像を一切流さなかった。
今回のムルシ政権下では、国営テレビは、タハリール広場の反ムルシ・デモとナスルシティーのムルシ支持デモを画面を二分割して放送したし、野党系新聞によるムルシ大統領批判が規制されることもなかった。民主化は確実に進んでいたのである。
ところが軍は、クーデターに際して、同胞団の最高指導者をはじめ幹部400人余りを逮捕し、一部を銃殺。 また、同胞団寄りと見られたアル・ジャジーラと2つのチャネルを閉鎖して、一切の通信機器を没収し、ジャーナリストを逮捕した。CNNとBBCも、同胞団のデモのライブ放送を止められた。
「世俗・リベラル派」というと、2年前の「アラブの春」を担った純真な草の根の若者たちを思い描きやすいが、じつは今はかなり違っている。前ムバラク体制の与党や軍関係者が大規模な動員をかけたことが明らかになっている。
こうした事情から、「アラブの春」を闘いながら反ムルシに転じた若者組織「タマルド(反乱)」などからは、軍のクーデターに衝撃を受けて、反ムルシか親ムルシかを超えて、ムルシ支持のデモに参加する若者も現れているという。
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◇◇ムスリム同胞団はどこへ行く
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百万人以上の会員と数百万人の支持者を擁し、大統領選挙では1300万の票を得たムスリム同胞団である。その今後の動向が注目される。
囁かれたのは「アルジェリア・シナリオ」であった。アルジェリアでは、1991年の総選挙でイスラム救国戦線(FIS)が圧勝したが、軍が選挙を無効とし、FISは非合法化された。その後、約10年間、イスラム派の武装勢力と軍との間で、20万人ともいわれる犠牲者を出す悲惨な内戦が続いた。今年1月に日本人10人を含む多数の外国人が犠牲になったアルジェリア人質事件を起こしたのも、軍に追われたイスラム派の一グループである。
ムスリム同胞団は、しかし、クーデターを非難するデモが路上で礼拝中に治安部隊に銃撃され50人余りの死者と400人以上の負傷者を出した後も、「平和的抗議」の継続を表明し、実際に平和的なデモに徹してきた。
それに対して軍事傀儡政権は、卑劣にも、この非暴力のデモを「テロ」とよび、「テロ・暴力との戦いを支持する国民集会」をよびかけて国民の分断・対立を煽るとともに、同胞団のデモに治安部隊による銃撃を浴びせ、数百人の死者と万にのぼる負傷者を出す弾圧を加えたのを手はじめに、さらに大規模な攻撃の姿勢を崩していない。
ムルシ政権の営為は、トルコのエルドアン政権に続く、イスラム主義と現代民主主義の融合の実験として、大きな期待をもって注目されるところであった。中東からアフリカにかけての地域は、イスラムを前提とせずには民主主義も市民社会も定着しえないからである。
また、昨年末のガザ停戦に果たした貢献に見られたように、ムルシ政権の穏健イスラム主義に基づく外交手腕は、中東全域の安定に大きな役割を期待されるものであった。
だからこそ、中東における主導権を損なわれる懼れを抱いた米国が今回のクーデターの背後にあるという「噂」は、真実味を帯びるのである。
米政府は、今回の政変がクーデターに当たるか否かの判断を意図的に避けて軍事援助の凍結を回避し、さらには軍の行動が「民主主義を取り戻した」とまで臆面もなく公言している。
そもそもエジプト軍への毎年の多額の援助自体、イスラエルやイランにかかわる米国の中東政策へのエジプトの従属を目的としてのものである。
とまれ、創設当初は武装闘争にも身を染めながらも、ナセル時代以降の長い期間、あらゆる弾圧に耐えながら住民への福祉活動を通じて国民の間に支持と組織を確立してきたムスリム同胞団である。忍耐と叡智によってイスラム政治の王道を示し続けることを期待したい。
(筆者は元桜美林大学教授)
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