【コラム】酔生夢死

ぼくらはみんな生きている

岡田 充


 ようやく陽が昇るころ、厚着をしてホテルを離れた。10分ほど歩いたろうか。同僚のカメラマンが5階建ての住宅を指さし「あそこ、入ってみようか」。アパートの中庭に入ると、「カシャ、カシャ」というシャッター音が横から聞こえた。カメラの先にあるのは、ベランダに干した洗濯物―

 北朝鮮の首都平壌。約30年前の金日成時代だが、経済建設は後継者の金正日氏が進めていた。取材チームで「謎のベール」に包まれた北朝鮮を取材する企画だった。だが平壌で見せられたのは、映画のセットのような整然とした街並みばかり。

 「これじゃ生活感のある画になんねえ」 そうこぼすカメラマンと、当局の付き添い抜きで、早朝の探索に出たというわけ。ところが数分もしないうちに、われわれは「革命的な」金日成総合大学の学生によって「拘束」され、ホテルへと送り返された。アパート住民が不審なわれわれを見とがめ、通報したのだろう。

 ハングルは全くできないが北朝鮮には3回行った。金日成主席が主催する夕食レセプションで、ワイングラスを手にした金主席に近付こうとした瞬間、軍服のボディガードに突き飛ばされたこともあった。

 街の飲料水店に一人でぶらりと入ったら、日本語がうまい40歳代の女性店主が出てきた。「ちょっと待って」と、奥から戻った彼女が取り出したのは白い封書。東京都内の親族宛の手紙だ。帰国後投函すると「彼女は帰国者ですけど生活が苦しくてねぇ。いろいろ送って欲しいという内容でした」と、投函先から連絡があった。市民生活の一端を知った。

 まだ核・ミサイル危機もない冷戦時代だ。北朝鮮危機の全ては冷戦終結に始まる。ソ連崩壊で経済的・軍事的後ろ盾を失った平壌は、自前の核・ミサイル開発によって体制維持を図らざるを得なくなった。金正恩委員長の父、金正日氏の「先軍政治」である。

 2006年に初の核実験に成功、この9月には6回目の核実験を実施した。平壌が考える「出口」ははっきりしている。朝鮮戦争の「休戦協定」を「平和協定」に替え、ワシントンと東京との「関係正常化」による体制保障である。国連安保理は新たな制裁を決議したが、何の効果もないだろう。行き詰まり打開には、米朝の直接外交交渉しかない。日本ができることは、戦争を回避するための環境整備を水面下で進める外交努力だ。

 ミサイル発射のたびに、海水落下後に避難を呼び掛け、電車を止める「Jアラート」(全国瞬時警報システム)はやめていただきたい。映画でみた戦前の「竹やり訓練」の精神主義を思い出させるだけ。北朝鮮となるとメディアは「恐怖の独裁者」をおどろおどろしく非難し、「被害者意識」を煽るだけ。「傍観者」の乾いた視線からは、市民の息遣いは伝わらない。
 ぼくらはみんな生きている、はずなんだけど。

 (共同通信客員論説委員・オルタ変数委員)

画像の説明
  平壌中心部の万寿台にある金日成主席(左)と金正日総書記の巨大な銅像

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