【コラム】槿と桜(83)

すいとん?

延 恩株

 日本の若い人に「すいとん」という食べ物を知っているかと聞きますと、料理名は違いますが、その人の出身地方によっては日常的に食べるという人もいます。でもたいていは知りません。一方、高齢の方に伺いますと、「あれは不味かった」とたいてい顔をしかめます。日本の高齢の方にとって「すいとん」にはあまりいい思い出がないからだと思います。

 日本は、アジア諸国への侵略戦争、連合国との戦争、そして、1945年8月15日の無条件降伏によって、人びとの食糧事情は劣悪になったと聞きます。もちろん敗戦以前から食料の欠乏は起きていて、この「すいとん」がお米の代用食として食べられていました。
 「すいとん」の原材料は小麦粉ですが、当時、小麦粉は手に入らず、高粱や大豆、トウモロコシの粉、さらには糠(ヌカ 白米にするために玄米を精米して取り除かれたもの)などが使われていました。そのためお世辞にも美味しいとは言えない食べ物で、ただ空腹を満たすためでしかありませんでした。

 でも本来の「すいとん」は小麦粉を練って一口大に丸めて、出汁と一緒に食べる汁物で、日本では「水団」「水飩」という漢字があり、韓国では「スジェビ」(수제비)と言います。私はときどき日本の方に韓国には「スジェビ」という日本の「すいとん」のようなものがあるようだけれど、違いがあるのかと聞かれることがあります。原材料は小麦粉で汁物ですから、私は「だいたい同じです」と答えます。

 韓日両国とも「すいとん」の歴史はかなり古く、日本では室町時代(1336~1573)に、韓国では高麗時代(918建国~1392滅亡)にはすでにあったようです。でも小麦粉は貴重な穀物でしたから、誰もが食べられるようになったのは日本では江戸時代後半期頃で、うどんのように気軽に食べられる庶民感覚の食べ物でした。

 韓国でも朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」「6・25戦争」と呼ぶ)前後は食糧事情が悪化したため、一時は代用食のようなイメージで貧しい食べ物と見られた時もありました。
 その意味では韓日両国とも戦争前後に「すいとん」は貧しい食べ物という同じようなイメージが生まれていましたが、韓国ではやがて「すいとん=貧しい食べ物」から抜け出し、今では家庭料理としてすっかり定着しています。
 一方日本では、「すいとん」とは呼ばずにその地域の郷土料理としての名称を持ち、その地域らしい味付けや具材を使い、さらには家ごとにも特色を出して脈々と受け継がれてきているところもあります。

 しかし、全国的に知られている「すいとん」という名前になりますと、日本の家庭料理として定着しているとはとても言えないようです。その証拠にスーパーマーケットで「すいとん」やそれに関わる材料は見かけませんし、「すいとん」という言葉や広告も、少なくとも私は見たことがありません。日本では多くの人びとから見向きもされない、忘れられた食べ物になっているのではないでしょうか。

 韓国で現在、この「すいとん」が日常の食生活でどれほど定着しているのかと言いますと、「すいとん」を食べさせる専門店がたくさんあることからもわかります。おそらく嫌いな人は少なく、多くの人に親しまれていると思います。私もときどきアサリや煮干や昆布などで出汁を作り、塩または醤油で味つけし、小麦粉を練って手で小さくちぎって出汁の中に入れ、冷蔵庫にある野菜などを適当に加えて煮込んで食べます。その際に私はジャガイモは必ず入れます。私の場合は、ジャガイモがあるから「すいとん」を作るといった方が正確かもしれません。

 韓国では「すいとん」専門店のほか、カㇽグㇰス店(カㇽ(칼)は包丁、グㇰス(국수)は麺類を意味し、こねた小麦粉の生地を包丁で細く切った麺を食べさせる店。日本で言えば「手打ちうどん屋」といったところでしょうか)や、キㇺパㇷ゚(韓国海苔巻き)のチェーン店などでも提供しています。スープは煮干や昆布、貝など魚介類の出汁が一般的です。もちろん店によって出汁などに特色を持たせているところもあります。いずれにしてもこうしたお店では一人でも食べられる気軽さがあるため、韓国人には好まれる韓国料理の一つになっています。

 韓国と日本の「すいとん」はだいたい同じものと言いましたが、やはり日本との違いもありますからそれを少し紹介しておきます。
 まず小麦粉の生地は手で薄く引きちぎるようにしてスープに入れます。そして、汁物料理ですから箸ではなくスプーンで食べるのが一般的です。またお店で食べる時には卓上に胡椒や塩、その他の調味料(ヤンニョㇺチャン 양념장)が置かれていて自分の好みの汁味にします。また韓国の食べ物店では注文した料理の他に必ず数品、おかずやキムチがついてきますから、それらを入れて食べても構いません。

 家で作る場合は出汁をとる材料で味わいが違ってきます。貝類、肉類、煮干、昆布類がそれぞれ出汁の柱の材料になる場合もありますし、幾つかを組み合わせて出汁を作る時もあります。そのほか野菜だけ、ワカメだけでも作りますが、醤油か塩が基本です。生地も小麦粉ではなく、そば粉を使うこともあります。最後にきざみ海苔を乗せると一段と美味しくなります。

 「すいとん」は気取って食べる料理ではなく、大変庶民的な食べ物で、お店で食べても700円~1,000円程度です。簡単な料理と言えば確かに簡単な料理です。それだけに商売として顧客に気に入ってもらうためにはそれなりの創意工夫が求められていると思います。

 たとえばカㇽグㇰス店(手打ちうどん屋)で「すいとん」を提供するためには、「すいとん」専門店と区別化する必要から生まれたのだと私は見ているのですが、「すいとん」と「手打ちうどん」を一つの容器に入れて提供する「カㇽジェビ」(칼제비)があります。カㇽグㇰス(手打ちうどん)とスジェビ(すいとん)の「カㇽ」と「ジェビ」の合成語というわけです。「手打ちうどん」と「すいとん」の2種類が一緒に食べられるということからでしょう、韓国人には人気があります。

 また辛いものを多くの韓国人は好みますが、「すいとん」は基本的には辛味はつけません。そこで辛味を求める人びとのためにと出現したのが「オㇽクンスジェビ(얼큰수제비 辛味すいとん)」です。「オㇽクン」とは「辛い」という意味で、辛いすいとんを食べさせる専門店もあります。この辛味を出すのはたいていキムチや赤唐辛子粉やコチュジャンですから、韓国人に人気があるのも頷けます。
 また近年の健康志向から、すりつぶしたエゴマをスープとして使った「すいとん」が「トゥㇽケスジェビ」です。「トゥㇽケ」(들깨)とは「エゴマ」のことで、エゴマ粉がたっぷり入ったスープはいかにも健康を保つためには良さそうです。

 さらに「すいとん」は鍋料理の具材や追加メニューとしても使われます。日本でも鍋料理のシメにうどんやご飯を加えて食べますが、それとまったく同じように韓国では「すいとん」が使われます。

 このように韓国での「すいとん」を見てきますと、韓国人の食生活の中にしっかりと根づいていることがわかると思います。出汁が決め手とはいえ、美味しければなんでもありの観がありますし、食材にも難しい決まりがあるわけではありません。
 この手軽さが韓国人の普段着の食生活に定着した大きな理由だと思います。
 日本では一部の地方を除いて「すいとん」が忘れ去られてしまっているようですが、手軽で滋養たっぷりの料理は、なかなか捨てがたいものがあると思っている私からしますと日本で「すいとん」が見直される日が来ることを願わずにはいられません。

 (大妻女子大学准教授)

(2021.08.20)
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