【オルタの視点】

いま、野党に求められている組織・路線の在り方とは何か
― 加藤宣幸氏が遺した宿題 ―

岡田 一郎


 若き日の加藤宣幸が日本社会党(社会党)の機構改革にいかに熱意を持って取り組んだのかを振り返ることによって、現在の野党は、かつての加藤氏ほどの真摯さをもって、組織や路線に取り組んでいるのかを問う。

 加藤宣幸氏は1950年代後半に、江田三郎組織委員長の補佐役として、日本社会党(社会党)の機構改革に取り組んだ。その際、「ヨーロッパの社会民主主義政党の組織について、京都大学の猪木正道先生と明治大学の西尾孝明先生に教えられた」と、加藤氏からうかがったことがある。

 猪木氏からは、機構改革で導入が企図された、オーストリア社会党(戦前および1991年以降は社会民主党)の信託者党員制度(党員を党の機関紙誌を購読する一般党員と党務をおこなう活動家党員に分け、一般党員が納める党費を活動家党員の活動費にあてる)について教わったと、聞かされた。
 また、「ドルフス首相(ヒトラーに対抗するためにムッソリーニに接近し、オーストリアをファッショ化し、社会民主党を非合法化した)に対抗するため、オーストリアの労働者は武器を持って戦った。このように、社会主義者も武器を持って戦わなくてはならない時がある」と日本社会党の非武装中立政策を批判したというかなり具体的な話も猪木氏についてはうかがった。
 一方で、西尾氏からは何を学んだのか、生前の加藤さんから具体的な話を聞けずじまいであった。

 先日、加藤氏が機構改革のころに執筆した文書に目を通していたところ、西尾氏の名前を見つけた。「体質改造の発展とその方向」『月刊社会党』35号(1960年4月)という論文で、この中で加藤氏は西尾氏の「ドイツ社会民主党に於ける組織論の陥穽」『政経論叢』(明治大学)27巻5号(1958年12月)という論文を引用し、強大な党組織を持っていたとしても、時代状況に即した路線を打ち立てていなくては、党の路線は形がい化し、いざという時に党が状況変化に対応できなくなることを、20世紀初頭のドイツ社会民主党を例に挙げて、主張していた。加藤氏は強大な組織と時代状況に合わせた路線の2つがそろって初めて、社会党は政権政党に成長できることを西尾氏の論文から学んだのであろう。

 論文が発表された時期から考えても、加藤氏の論文は機構改革の後に提唱される予定であった構造改革論を党員が受け入れるよう暗に示したものと思われる。機構改革で社会党の組織を強大化させ、当時の世界では常識とされていた大衆組織政党へと社会党を変化させた後(森本哲郎「政党組織をめぐる理念と現実(1)」『関西大学法学論集』60巻3号(2010年10月))、当時の社会状況の変化を取り入れた構造改革論を党の路線にすることによって、社会党を政権政党に作り変えようとしたのである。

 だが、機構改革は十分な成果を発揮することはなく、加藤氏が目指した大衆組織政党の考え方は活動家に過度な権限を与えることになり、活動家に依拠する協会派の力を増大させ、党の路線を教条化させることになった(皮肉なことに、加藤氏が組織論のモデルとしたドイツ社会民主党は、活動家の影響力を排除し、国会議員の発言権を強める改革を同時代におこなっていた。安野正明『戦後ドイツ社会民主党史研究序説』ミネルヴァ書房、2004年)。日本で広く受け入れられたのは、国会議員の個人後援会の連合という自民党型の党組織であった。

 社会党の機構改革は加藤氏が意図した成果を生み出すことはなかったが、ここで我々が注目しなければならないのは、加藤氏が当時の最新の理論を駆使して、社会党の組織と路線を改革しようとしたことであろう。社会党史上、これほど真摯な改革は他におこなわれたことはなかったし、社会党が事実上、その歴史的役割を終えた後も、民主党など野党で、党の組織や路線について活発な議論がおこなわれたという話をついぞ聞いたことがない。

 社会党を反面教師としたためか、民主党は常に、社会党の組織の在り方を反転させ、活動家の発言権をほぼ無力化して国会議員中心の政党であった。しかし、活動家や党員にはほとんどメリットのない党の在り方は、彼らのモティベーションを著しく低下させ、浮動票頼りの不安定な政党とした。小沢一郎代表時代に代表自ら秘書軍団を各候補者の下に派遣し、組織強化のテコ入れをしたが、小沢氏の組織論は自民党の組織論の焼き直しであり、いささか時代遅れの感がぬぐえないものである。

 5月7日に発足した国民民主党の組織は民主党のそれを踏襲したものとなるであろう。また、立憲民主党は、ワンコインでタウンミーティングに参加できるパートナーズ制度を導入したが、パートナーズの意見がどこまで党の政策に反映されるか不透明であるし、いまだ半分以上の県で党組織が構築されていない状態である。さらに両党とも安倍内閣のスキャンダルのあら探しに没頭し、安倍内閣が倒れた後、どのような展望を抱いているのか、全くわからない。安倍内閣がレイムダック化しているにもかかわらず、野党の支持が一向に上がらないのは、両党とも支持者を包摂する組織を持っていない上に、時代状況に応じた路線も持っていないからであろう。

 加藤氏が機構改革に乗り出したとき、社会党は国会の3分の1を占める強大な政党であった。それでも最新の研究成果をもとに真剣に組織の在り方を模索した。旧来型の自民党の党組織と自民党の路線が時代遅れとなっている中、本来ならば、野党はかつての社会党以上の熱心さで、自民党に包摂されない膨大な有権者をつなぎとめるべく、新たな党組織の在り方と路線を模索すべきではないのか。社会党の機構改革は予想通りの成果を生み出せなかった。だからといって、「何もしない」ことが最適解というわけではない。

 日本の野党が時代状況に即した党をつくりあげることができるか、それともこのまま手をこまねいて、政治に失望する有権者を増やし、ポピュリズムの拡大に身を委ねるか、晩年まで党の組織について考えをめぐらせていた加藤氏は天国から見守っているのである。

 (小山高専・日本大学非常勤講師)

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