【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

いつまで繰り返せばよいのか、イスラエル・パレスチナの紛争

荒木 重雄

 5月から6月にかけて、メディアの国際面では、イスラエルとパレスチナの衝突やイスラエルのネタニヤフ首相の退陣が話題になっていた。記憶がうすれる前に、その背景や意味するところを振り返っておきたい。

 ◆ あまりに「非対称」な戦争

 5月の11日間に亙る、イスラエルとパレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスとの武力衝突は、まさに「非対称戦」とよばれるべきものであった。あまりにも大きな戦力差である。
 ハマスは安価に造られる玩具のようなロケット弾を4千発あまりもイスラエルに飛ばしたが、イスラエル軍の最新鋭防空システム「アイアンドーム」によって9割以上が迎撃され、報復に、人口稠密な住宅街への大規模な空爆を蒙った。その「非対称性」は、パレスチナ側の死者が、子ども66人を含む253人、負傷者は2千人近くに対し、イスラエル側の死者は12人にも表われている。

 このような非対称的な戦争状態に対して、二人が発した言葉は、筆者に怒りを覚えさせた。一人は、我が日本の中山泰秀防衛副大臣。ツイートで曰く「私達の心はイスラエルと共にあります」。これには絶句。無知ゆえの戯言と無視したいが、「防衛副大臣」の言としては看過しがたい。
 もう一人は、バイデン米大統領。イスラエルのネタニヤフ首相(当時)との電話協議で、「ロケット弾攻撃に対するイスラエルの自衛権を強く支持する」と表明。彼が標榜する民主主義や人権、国際協調はダブルスタンダード(二重基準)だったのか!?

 バイデン政権は水面下で停戦に尽力したといわれるが、こうした言辞は歴史認識や事の理非の判断を誤らせる。パレスチナ問題が、未解決のまま長く放置されているゆえに、原因や推移さえ忘れられつつある現状を顧慮すれば、なおさらである。ここはもう一度、歴史を振り返らねばなるまい。

 ◆ パレスチナ問題のそもそも

 まずはこのたびの衝突の、直接の原因から見よう。
 多くのパレスチナ市民の命を奪ったイスラエル軍の空爆は、ハマスによるロケット弾攻撃への報復、という。ではハマスが攻撃に乗り出した理由はというと、イスラエルが国連決議に違反して占領を続ける東エルサレムで、居住するパレスチナ住民を追い出しにかかったり、イスラム教徒の聖なる断食月(ラマダン)に聖地アルアクサ・モスクに向かおうとするパレスチナ人を強制排除したりした、イスラエル当局の理不尽な仕打ちに対する憤りである。
 というふうに対立の原因を遡っていけば、1948年にパレスチナ人が故郷を追われたイスラエル建国に辿り着く。

 そもそもパレスチナ問題とは何か。簡単にいえば、従来パレスチナ人(アラブ人)が住んでいた地中海東岸の一画に、19世紀末から、とりわけ第2次世界大戦を通じて、ここを故地と主張するユダヤ人が欧米から入植し、1948年、一方的にイスラエルの建国を宣言して、70万人に及ぶパレスチナ人を武力で追い出したことに始まる。

 これを認めぬ周辺アラブ諸国はたびたびイスラエルと戦火を交えたが、欧米の支援を背に連勝を続けるイスラエルは、67年の第3次中東戦争でさらにヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ、ゴラン高原などを占領して領地を拡大した。

 93年のオスロ合意でヨルダン川西岸とガザに暫定的なパレスチナ人の自治が認められたが、イスラエルはその自治区へ国際法違反のユダヤ人入植を押し進め、さらに分離壁を巡らして自治区を隔離・分断し、パレスチナ人の抵抗運動には過酷な弾圧を加えてきた。

 国連に代表される国際社会は、第3次中東戦争での占領地からイスラエルが撤退し、そこをパレスチナ国家として、両者が共存する「二国家解決」を基本合意とし、占領地での入植を止めること、東エルサレムを将来のパレスチナの首都に留保することを繰り返し要求しているが、イスラエルは無視を決めこみ続けている。

 ◆ 政権交代は和平への道程か

 オスロ合意に署名したラビン首相(95年に暗殺される)などによる中東和平を進める動きに反対して96年に登場したのが、ネタニヤフ首相であった。汚職などのスキャンダルで99年に失脚するが、2009年に首相に返り咲くと、以来、12年間、ユダヤ人入植地の拡大などパレスチナへの強硬姿勢を貫き、右派・保守勢力から根強い支持を集めてきた。この間、14年にはガザ地区に地上部隊を侵攻させ、パレスチナ側の2千人以上の命を奪っている。

 トランプ米前大統領との「盟友関係」が追い風となっていたが、昨年1月に収賄罪で起訴されたことや強引な政治手法が災いして、この2年間に4度の総選挙を経ても組閣ができず、その挽回策として、求心力増強に利用を企んだのが前述、5月の軍事衝突であったが、力及ばず、6月、ネタニヤフは下野することとなった。

 といっても、パレスチナへの融和政策が期待できるわけではない。賛成60人、反対59人、棄権1人、という嘘のようなきわどい信任で成立した、中道・左派政党、アラブ系政党から極右政党まで8党が参加するこのたびの政権は、中道政党「イエシュ・アティド(「未来がある」の意)」のラピド党首が纏め上げたものだが、任期前半という約束で極右政党「ヤミナ(「右へ」の意)」の党首ベネット元国防相が首相に就いた。

 左派政党やアラブ系政党の牽制も働くとはいえ、ベネット首相は熱心なユダヤ教徒で、ネタニヤフ以上の対パレスチナ強硬派として知られ、ユダヤ人入植活動の推進ばかりか、パレスチナ自治区のイスラエル併合さえ掲げてきた人物である。
 就任早々、早速に、ハマスが発火装置つきの風船をイスラエルに飛ばしている報復と称して、連日、ガザ地区への空爆を繰り返している。

 パレスチナに正義の実現する日は、まだまだ遠そうである。

 (元桜美林大学教授、『オルタ広場』編集委員)

                          (2021.07.20)
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