宗教・民族から見た同時代世界

あの日、民衆とカトリックが、独裁政権を倒した。が・・

荒木 重雄

 まさか!? の感をもたれた方も多いことだろう。フィリピンの新大統領である。
 あの、20年に亙って独裁者として強権をふるい、ついには市民の力によって放逐された元大統領マルコスの息子が、これも、麻薬対策の名目で多数の市民を超法規的殺害の犠牲者にした現大統領ドゥテルテの娘を副大統領に、今月30日、マラカニアン宮殿(大統領官邸)に戻ってくるのだ。

 ◆ カトリックが熱かった日々

 思い出されるのは、36年前の2月、首都マニラが悲壮感と高揚感に燃え上がった日のことだ。
 だが、まずはその前に記憶を戻そう。1965年に大統領に就任したフェルディナンド・マルコスは、東西冷戦下、治安上の危機を理由に戒厳令を布いて軍と立法・行政・司法を一手に収め、外国資本優先の経済政策を進めつつ、妻イメルダや取り巻きたちに利権と富を集中させていた。
 これに不満を高めた国民は、83年、マルコスの政敵ベニグノ・アキノ元上院議員が暗殺された事件を契機に、連日、反マルコス・デモを繰り広げ、これに対する政権側の激しい弾圧とで、世は騒然とした雰囲気に包まれていった。

 国民の8割余りをカトリックが占めるフィリピンでは、教会の影響力は大きい。
 司教協議会など宗教上層部が政権と近しいのは世の常だが、このときのフィリピンでは、民衆と生活を共にする司祭や信徒の指導者に社会意識がめばえ、ベーシック・クリスチャン・コミュニティ(隣組信徒組織)の草の根活動が活発になるとともに、神父や神学生、修道女たちも街頭デモに参加するようになっていった。
 また、「タスク・フォース・ディテイニーズ(拘留者対策委員会)」という修道女たちが立ち上げた組織は、獄中にある政治犯や軍事的な弾圧の犠牲者の情報を教会のネットワークを通じて広め、マルコス政権の人権抑圧の実態を国内外に明らかにしていた。

 こうした動きに押され、84年、司教協議会もついに「レット・ゼア・ビー・ライフ(生命あれ)」という声明を出すにいたった。キリスト教の根本は生命の尊重にあり、現在のフィリピンは民の生命を危うくする構造的な暴力に満ちているとする、明らかな政権批判であった。

 ◆ 民衆パワー革命、ついになる

 86年2月、国民の批判が高まるなかで大統領選挙が実施された。対立候補は暗殺された元上院議員の未亡人コラソン・アキノであった。買収、脅迫、殺人、票のすりかえ・水増しと、あらゆる手段が総動員され、混乱に混乱を重ねた選挙だったが、開票結果も不透明ななかでマルコス陣営が勝利を宣言すると、司教団は、不正と暴力で自らの勝利を宣言するマルコスを良心において受け容れることはできないと声明を発した。

 連日、デモが続くなか、その日がきた。2月22日、アキノ支持に回ったラモス将軍ら軍人の一部がクラメ基地に立て籠もってマルコスからの離脱を宣言する。この報に接したフィリピン・カトリック教会の最高指導者シン枢機卿は、カトリックのラジオ放送を通じて、市民に、離脱派の基地を守るよう呼びかけた。100万人を超える群衆が、マルコス側国軍本拠地アギナルド基地とクラメ基地を結ぶエドゥサ大通りを埋めて、ヒューマン・バリケードを築いた。

 陽気なマニラ市民のこと、バリケードは祝祭気分に溢れたが、攻撃ヘリの飛来や、迫りくる戦車の砲口を前に、ときに緊張や、死を覚悟した悲壮感がみなぎり、人々は、あるものは聖像を抱きしめ、あるものはロザリオを握りしめ、あるものは、眼を血走らせた国軍兵士の銃口にあえて花を挿し、必死に祈った。

 張りつめた緊張も限界に近づいた3日後の午後9時、ついにマルコス夫妻は、米軍ヘリに拉致されるようなかたちでマラカニアン宮殿を去り、米軍クラーク基地に移った。バリケードには歓喜の声が溢れ、マルコス時代が終わった。世に言う「エドゥサ革命」「二月革命」「ピープル・パワー革命」である。あとには、イメルダ夫人の「3,000足の靴」に象徴されるような、マルコス一家と取り巻きたちの不正・腐敗と驕慢・豪奢の痕跡だけが残った。

 ◆ 再び強い指導者が求められ

 「ピープル・パワー革命」といわれながら、米国の意図が大きく働いていたのは事実だし、アキノ政権以後の歴代政権でも、マルコス時代に劣らぬ軍事的な人権侵害や身内びいき政治が行なわれてきたのも事実であるが、いまはそれは言うまい。ひとときといえども、民衆と、民衆に寄り添うカトリック界の一部が、ひとつの理想に向かって共感して燃えたのは確かなのだから。

 だがその記憶も、もはや遠くなっている。両親らと米国に亡命後、91年に帰国して下院と上院の議員を務め、このたび大統領の座を射止めたフェルディナンド・マルコスの選挙戦略は、副大統領にタッグを組んだドゥテルテ現大統領の長女サラの人気に加え、父マルコスの時代を、開発と経済発展に輝いた良き時代と美化する宣伝を動画で打ちまくったことにあるという。父マルコスの独裁時代を知らない若い世代が有権者の6割を占め、しかも一日当たりSNS利用時間が世界最長といわれるフィリピンでは、まさに効果的な戦術であった。

 副大統領サラ・ドゥテルテとのタッグについていえば、父ドゥテルテとともに正副市長としてダバオ市を牛耳ってきた彼女自身の実績や武勇伝人気に加え、強権手法で鳴らしたドゥテルテ大統領の路線継承を示唆することによって、マルコス新大統領に強力なリーダーシップの期待をもたらしたとされる。

 いつまでも解決されない貧富の格差や治安問題に幻滅し、過激であっても強力な解決策を即決・断行できる強い指導者を求める雰囲気が広がる社会、しかも、「政治は政治家一族に生まれたエリートがやるもの」とされる風潮がつよい社会での、マルコス家とドゥテルテ家という強権政治家を生んだ二つの「王朝」が連合した新政権はどう動くのか、深甚な懸念ともに注目されるのである。

 (元桜美林大学教授)

(2022.6.20)
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