英国・コッツウオルズ便り『英国の子育て・教育』(9) 小野 まり
迷走するイギリスの教育現場
近年、英国の教育現場において、これまでにない大規模な改革と、多様な問題
が起き、その一部は海外へもニュースとして流れていると思います。今回はそれ
らの一部を紹介します。
●大学授業料値上げ
英国(主にイングランド)では1997年まで大学の運営はすべて国費で賄わ
れ、授業料は無料でした。しかし、度重なる改革で大学数と学生数が増え続け、
政府の教育支出が膨張。98年から授業料を年間1000ポンド徴収するように
なり、その後も若干の値上げが行われましたが、2006年にはそれまでのおよ
そ3倍の3290ポンドの授業料になりました。そして今年度からは、現行のさ
らに3倍の9000ポンドという値上がりぶりです。
これには国民あげての大議論となり、この値上げの影響を受けないはずの現役
大学生が各地で抗議デモを行い、ロンドンではちょうどデモと鉢合せになった、
チャールズ皇太子を乗せていた公用車が、学生に襲われるという事件まで発生し
ました。
また、当時政権をかけて総選挙中だった自由民主党は、その公約にこの授業料
値上げの廃案を掲げ、連立政権を担うまで躍進しましたが、結局は値上げが断行
され、一時の人気は何処へやら、国民の反感を買うことになってしまいました。
おまけにこの値上げは当初6000~9000ポンドの間で、各大学が決める
ようにとの国からのお達しで、政府はトップ大学数校のみが上限の9000ポン
ドで、残りの大多数の大学は6000ポンドに設定するだろうと想定していたの
ですが、フタを開けてみれば、大多数の大学が9000ポンドの授業料を掲げま
した。
結果、この授業料値上げの影響をもろに受けた去年の大学受験者数は、前年よ
り1割近く落ち込みました。教養課程はなく、最初から専門性の高い内容を学ぶ
英国の大学は、世界でも優れた教育を提供する場と高く評価されていますが、こ
れまでその恩恵を受けることができた国内生が、海外からの留学生とほとんど変
わらない授業料を負担することになったのです。
イングランドの学部は通常3年で学士を取得します。その後の大学院も修士課
程は1年間。日本に比べ短い大学生活になります。また現地の習慣として、大学
入学とともに、親元を離れ独立することが当たり前。そのため、ほぼすべての新
入学生は最初の1年は学寮に入ることになります。
その寮費が年間5000~7000ポンド。これに食費や資料代なども合わせ
ると、1年間でざっと2万ポンド(約250万円)近い負担を背負うことになり
ます。もはや国立大学とはいえ、日本の私立大学並みか、それ以上の金銭的負担
です。
とはいえ、日本の大学と大きく違うのは、授業料や生活にかかわる資金は、保
護者や本人が事前に準備する必要はありません。「スチューデント・ローン」と
呼ばれる学生ローンを、学生本人が国から借りる形となっており、その返済は、
卒業後に職を得て、その所得が年間21000ポンドを超えた時点から開始され、
その返済額も所得の9%までと決まっている「所得連動型返済」です。
さらに、卒業後30年を経ても、収入が21000ポンドを超えない場合、借
りていた学生ローンの返済はすべて免除されるという仕組みです。
つまり今年度入学した学生のローン返済が実際に始まるまで、すくなくとも数
年間は取り合えずは学生ひとりにつき9000ポンドの予算を政府は用意しなけ
ればならず、それは一体どこから賄うのかといった、お粗末な問題へと発展し、
国民の失笑を買っています。
あくまでも噂ですが、この大学授業料値上げのモデルは日本とのこと。日本の
国立大学や、「奨学金」と呼ばれる日本学生支援機構のローンを参考にしたとか
しないとか・・・。確かに欧米での「奨学金」は、返済不要の給付型を示し、返
済型のものはあくまでも「ローン」と呼びます。
日本のこの奨学金も、滞納者が後を絶たず社会問題となっていますが、もとも
と貯蓄の習慣の薄い英国。就職に関しても、新卒採用などという概念もなく、卒
業後は数ヶ月か数年間のインターン期間を経て採用が決まるケースも少なくあり
ません。
また近年は大卒者の就職自体が非常に困難となっており、よほどの一流大学か、
医学部や法学部のような職業と直結した学部でないと、そのメリットが果たして
あるのか、将来の返済を案じて、親が子どもの進学を断念させるために説得する
・・・などという光景まで見られるようになっています。
尚、同じ英国でも、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドは教育体制
が異なり、スコットランドの大学はスコットランド国内生には無償ですが、その
他の英国学生には、留学生と同額の授業料を課しています。また、ウェールズ議
会では、ウェールズ国内生は当面、これまでどおりの3290ポンドを維持する
と発表していますが、イングランド、スコットランドからの学生には9000ポ
ンドを課すといった状況です。
●GCSEが廃止、新たな義務教育認定試験への転換
以前にもご紹介した英国イングランドのGCSE(Gnerarl Certificate of
Secondary Education/中等教育修了証)試験が廃止されることに決まりました。
GCSEはイングランドの生徒が15~16歳にかけて受験するものですが、各
科目ごとに細かい単元に分かれており、試験も数回に分けて行われます。
また、試験を実施するのは学校ではなく、「試験委員会」の名称を持つ、主に
国内3つの試験制作会社です。ぺーパーテストのほかにも、人文系の科目には
「コースワーク」と呼ばれるレポート制作や実技も評価の対象となります。試験
そものは学校で行われますが、試験問題の作成、実施スケジュールや採点は、す
べて「試験委員会」に委ねられます。
近年では大学受験を目指す生徒が増え、大学入学試験にあたるAレベルの負担
を少しでも軽くしようと、このGCSEを1年前倒しに受験させ、その成績によ
っては、Aレベルの学習を早めに開始したり、また良い成績を取らせるために再
度GCSEを受験させるといった事が、あたりまえに行われていました。
そのような中、この夏にGCSE廃止の決定打となる出来事が起きました。前
年にイングリシュを早期受験した子ども達が、再度今年度も受験した結果、なん
と昨年よりも成績が下がってしまったのです。
GCSEはA*からG、そして落第のUまで9段階の評価に採点されるのです
が、実はこのGCSEの主要科目(英語・数学)でD以下の場合、将来の大学受
験の資格を失うことになります。今回問題になったのは、このCとDの分かれ目
の生徒たち。学校側も前年度の試験でCやDを取っていれば、まぁ取り合えずは
ひと安心。今年の本試験ではC以上は間違いないだろう・・・と安堵していたの
が、なんと覆されてしまったわけです。
これには、学校や親も巻き込んでの大騒動となりました。何しろ将来大学進学
を目指している子ども達にとって、CとDの違いは天と地ほどの大きな意味をあ
らわします。我が家も18歳になった息子がおり、現在、大学受験目指して勉強
していますが、わずか16歳の段階で、最初の足切りが行われるとは、特に精神
年齢の低い男子生徒たちにとって、これはもう救い難い教育システムだと思いま
した。従って、GCSEを取得した16歳で、社会へ出る子ども達が少なくない
のが、英国です。
さて、この問題が発端となり、義務教育認定試験はGCSEを廃止して、新た
に『イングリシュ・バカロレア』と呼ばれる資格試験に変わることになりました。
これまでの分散型の試験ではなく、一発勝負の試験へと移行されるそうです。な
んとなく、新鮮な制度にようにも聞こえますが、GCSEはかつてOレベル(オ
ーレベル)と呼ばれた一発試験の時代があり、ただ時代が過去に戻っただけに過
ぎないという世論もあります。
この新資格への移行はシラバスが15年夏からで、試験の実施は17年からに
なるそうですが、現在人気ががた落ちの保守連立政権の目玉政策のひとつなのか、
野党からの反発も避けられない見通しです。いずれにせよ、実際に教育現場に関
わる教師陣、そして生徒や保護者たちが、またこの新制度に振り回されることは
必至で、「柔軟性があるのもいいが、大概にせい!」と、親の気持ちを吐露した
くなります。
(NPO法人ザ・ナショナル・トラストサポートセンター代表・英国事務局長)