【書評】

『社会民主主義は生き残れるか 政党組織の条件』

  近藤 康史/著  勁草書房(2016年)/刊  定価3,300円+税

岡田 一郎


 本書は1980~90年代におけるイギリス労働党、ドイツ社会民主党そして日本社会党の政党組織と理念の変遷を追うことによって、1980年代以降の新自由主義の攻勢の中で社会民主主義政党が生き残るためにどのような改革が必要であったのかを考察したものである。
 日本社会党と他の政党の比較研究はほとんど存在せず、さらに言うならば、政党組織に着目した比較研究はこれまで皆無であったと言ってもよく、その意味でも本書の研究視点は貴重なものである。

 私自身、歴史学の立場から1950~70年代の日本社会党の政党組織の変遷と活動家層の動向に着目していたが、本書における分析で、自分がこれまで考察してきたこととほぼ同じことが政治学の立場でも裏付けされたことに興奮を覚えながら、本書を通読した(本書の参考文献に挙げられていないが、拙稿「1960~70年代における日本社会党の党組織と江田三郎」『年報日本現代史』14号(2009年5月)における分析が本書の分析に近い結論に達している)。

 また、本書では、欧米の政治学の概念を駆使して日本社会党を分析しているが、このような手法は田口富久治以来、おこなわれてこなかった手法ではないだろうか。その意味でも、本書の研究手法は新鮮であった。政治学の研究者の中には理論に合わせて現実を曲げる者も多いが、本書ではそのようなことはなく、歴史学研究者が読んでも違和感のない内容になっている。

 本書では、1980~90年代に、新自由主義の攻勢を受け危機に陥った社会民主主義政党の例として上記の3党を挙げ、それらがどのように危機を克服したのか、またはできなかったのかを考察している。

 イギリス労働党は30万人におよぶ個人党員の存在を背景に、労働組合の影響力の排除、理念や政策の中道化をすすめ、従来の支持者以外にも支持を広げることに成功し、トニー・ブレア政権、ゴードン・ブラウン政権2代に及ぶ(1997~2010年)黄金時代を築くことに成功した。筆者によれば、労働組合の影響力を排除することが出来た理由として、小選挙区制が挙げられるという。小選挙区制のため、新党結成のリスクが高く、労働組合は労働党の方針に不服でも労働党から他党に支持を鞍替えすることが困難である。そのため、ブレアの改革を追認せざるを得なかったのである。

 一方、1950年代後半にバート・ゴーデスベルク綱領でいち早く中道化に成功したドイツ社会民主党は、その後の党組織・理念の改革は遅々としてすすまず、党内左派の意向に振り回されていくことになる。これは、綱領の作成などにおいて末端の意見がかなり取り入れられ、なるべく多くの党員の賛同を得るよう考慮されたためである。一方で、ドイツ社会民主党の指導者は党の決定をスキップして自由に行動することが出来、1998年から2005年まで首相を務めたゲアハルト・シュレーダーは個人的見解として新中道路線を打ち出して支持を伸ばしたが、シュレーダーの意向が党組織改革や綱領に反映されることはなく、その後の低迷の原因となった。

 社会党は総評主導の下、1970年代から従来の路線の見直しを進めたが、党員数が極端に少なかったため、党の執行部は主導権を発揮することが出来ず、総評の影響力が大きく残ったままとなった。また、日本の衆議院議員選挙は中選挙区制だったため、総評が他党支持に鞍替えすることは比較的容易であり、社会党執行部は総評の支持を引き留めるために、その意向に従わざるを得なかったという。
 総評と同盟が合併して誕生した連合は1996年に民主党が結成されると、民主党支持に鞍替えするが、民主党は様々な勢力が集結した政党であり、その中で社会民主主義勢力は主導権を発揮することが出来ず、さらに小選挙区制が導入されたことで、連合は民主党に不満でも他党に乗り換えることもできなくなり、八方ふさがりのまま日本の社会民主主義勢力は消滅に向かった。イギリス労働党、ドイツ社会民主党に関して私は門外漢なので確かなことは言えないが、日本社会党分析の部分だけを見ても、筆者の分析は概ね的を射たものであると思われる。

 また、筆者はヨーロッパにおいて、社会民主主義政党が軒並み得票を大きくへらし、右翼ポピュリズム政党と左翼ポピュリズム政党が躍進する昨今の情勢についても分析している。社会民主主義政党の支持者であった労働者層は、中道化路線の恩恵を受ける中間層及びそれに近い層(インサイダー)と恩恵を受けられない低技能労働者(アウトサイダー)に分裂し、アウトサイダーがポピュリズム政党支持に向かったことが原因という。この分析も説得力があるものである。

 このように本書の内容は非の打ちどころがないが、さらなる研究の深化のために敢えて、二つ注文をつけさせていただきたいと思う。

 第一に、本書では日本社会党を分析する際に、その路線が中道化したか否かに着目し、その不完全性を指摘している。しかし、路線の中道化と党の躍進に因果関係があるというならば、社会党よりいち早く路線を中道化させた民社党が結党当初の党勢をついに上回ることなく消滅したことをどのように説明するのだろうか。党の路線を中道化すれば中間層の支持がつかめるのならば、西尾末広が想定したように、民社党は中間層の支持を得て、大きく成長していたはずである。なぜそうならなかったのだろうか。民社党もまた同盟の影響下にあり、真に中間層の党たりえなかったという反論は可能かもしれないが、社会党と同じように民社党も分析しなければ、本書の主張に対して疑問を呈する者が多く出てくるだろう。

 第二に、多数の党員を背景に労働組合の影響力を排除したトニー・ブレアの役回りを演じる可能性を持った政治家が社会党内にいたとしたら、それは土井たか子ではないのか。土井は圧倒的な国民の人気を誇り、土井委員長時代には社会党への入党者も増加した。もしも、土井が中道化路線を打ち出したうえで連合の影響力を排除し、政権政党を狙ったならば、連合も土井人気の前に抵抗はできなかったはずである。しかし、本書では土井に関して全く触れていない。
 土井は社会党を抵抗政党に先祖返りさせたといわれるが、社会党から半ば放逐された形となっていた江田三郎の名誉を回復したり、韓国の存在を認めたりとこれまでより中道化した路線にも踏み出している。土井が持っていた可能性について検討する必要があるのではないだろうか。

 最後に本書の刊行後、オランダ労働党・フランス社会党は総選挙で壊滅的な大敗を喫し、ドイツ社会民主党も総選挙での得票率が1933年以来最低の水準まで低下するなど、ヨーロッパにおける社会民主主義の危機はより深刻化している。筆者にはヨーロッパ社会民主主義の危機とポピュリズムの台頭についてさらなる分析を希望して、この書評を終わりにしたい。

 (小山高専・日本大学非常勤講師・オルタ編集委員)

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