■【書評】

『癒す力《がんの患者学入門》』-希望を語るがん闘病記- 鶴崎 友亀

吉田勝次著 ( にんげん出版刊 定価1600円+税)
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 日本政府は莫大な資金とエネルギーを投入して、がんとたたかっている。現に
二百万人以上のがん患者が苦しみ、毎年十万人以上の方々がなくなっている。そ
の趨勢は強まっており、「がん亡国」が叫ばれるほどだ。
  かくいう評者はこの十数年の間に、三つのがんを経験している。幸いにも三度
とも外科手術でがんを切りとった。これから転移の危険があり、そうなれば放射
線療法か化学療法を採用することになっている。そういうわけで、がんの闘病記
をいくつか読んでいる。
 
  本書はがんの病状にはふれず、がんの人間的、社会的側面を扱っている。むし
ろ専門の社会科学的視点からアプローチして、がん医療問題に一石を投じている
。がん患者の一読はもとよりのこと、医療問題に関心のある人にはぜひ読んでも
らいたい。
  著者は一九四三年生れ、大阪大学、ロシア科学アカデミー東洋学研究所大学院
卒、元兵庫県立大学教授、大阪経済法科大学太平洋研究センター客員教授であっ
て、国際社会開発論、国際政治専攻の学者である。アジアに関する政治経済の著
作も多い。
 
  以下に、この著者を紹介しよう。著者が「がん」の告知を受けたのは、二〇〇
四年十二月だ。腎臓がんと診断され、翌年一月右腎臓全摘出している。同年七月
には肺への転移と前立腺がんを告知された。
  最初の数ヶ月間は絶望と悲嘆にくれ、もがき苦しんだ。がんにきく療法ときい
ては手当たり次第に行動に移し、がんから生還した人を探し出してその体験記を
聞いた。その過程で希望がわいてきたのである。「がん」のすべてが「死に至る
病」ではなく、がんとの共存・共生さらに完治もあり得るとの希望がもてるよう
になった。
 
  まず、がんは百人百様、療法も千差万別であることを知った。著者が試みた療
法は、丸山ワクチン、散歩、ケール青汁、気功、太極拳、漢方薬、玄米菜食、半
身浴、刺絡療法、ホルモン療法、ビタミンCの大量摂取、油絵・詩作などの創作
活動であった。身体に良いとの手ごたえがあったものを採用し、そう感じないも
のは二、三ヵ月でさっさとやめた。直感を大切にし、これだと感じた療法に全力
投球した。丸山ワクチンの投与、玄米菜食、ケール青汁はずっと続けた。また台
湾の友人のすすめた漢方薬、さらにアジア各地から留学している大学のゼミ生た
ちのプレゼントであるサプリメントは服用している。
 
こうした過程を経て、著者はがん生還者たちに共通するものを見つける。生還
者たちはほとんど例外なく、よく歩いていることだ。こうして数ヶ月、朝晩の散
歩、気功と太極拳をやり、奥さんの作った玄米菜食を食べてみた。これが生活習
慣として身に付いたと感じた頃には「これだ」と直感するようになったという。
  「がんは生活習慣病だ」と日野原重明は定義されている。ようやく一般にも認
識されつつあるようだ。しかし、西洋医学には、外科手術で切除し、放射線で焼
き殺し、抗がん剤でせんめつするのをがんの三大療法という。その適用範囲は限
られ、適用不可能ならそれまでで、しかも副作用がはげしい。進行がん、末期が
ん患者の悩みは、これら以外の代替療法がないことだ。これが一番恐ろしい。
 
  がんの生還者たちは何らかの代替療法を採用している。著者は「がんの患者研
究所」を知り、闘病のための多種多様な選択肢があることを理解していく。また
数ヶ月に一度、東京池袋にある帯津三敬塾クリニックに医療相談に伺っている。
そこでは人間をまるごととらえる医療(ホリスティック医療)を提唱している。
その実例として、ここの医療スタッフは専門医師と看護師、食養生と代替療法の
専門家、漢方医と気功・太極拳の師範などで構成されている。まず生活習慣のゆ
がみを徹底的に正すことをめざし、仕事のあり方、気功と太極拳を組合せている

  著者は二〇〇七年秋には太極拳の師範王茂斌さんと組んで『太極拳をはじめま
せんか』を春秋社から刊行している。

 本書は「がんの患者学入門」とあるように大変具体的な事実が書かれている。
第二番として「がんは百人百様、療法も千差万別」─がん患者家族の闘病記(吉
田春子)を掲載している。著者の一番の理解者であり協力者である奥さんの率直
な見解は、ひとうひとつが的を射ていて、含蓄が富んでいる。この本の大きな特
長といえよう。
 
  「がんは百人百様」という。これまで生きてきた自分史を抜きにしてはその人
のがんは語れないということだ。奥さんは「私たち夫婦は、夫ががんを告知され
るまでは純粋に科学至上主義的な考え方をしてきました。唯物論をとなえていた
夫をご存知の方々は重々納得していただけることと思います」といわれる。とこ
ろが、がんの代替療法は意外にも精神的なゆがみを正すことに重点がおかれてい
る。つまり「心のあり方」を変えることだ。がんとたたかうのは自分であり、「
自分のがんは自分で治す」という結論に至るのである。

 それは生活習慣の改善に密接に結びついている。ストレスをオフにする、つま
りリラックスである。次にがんへの恐怖心をなくすること、治ると信じること、
笑いが治癒力を高めることをあげておられる。さらにケール青汁の作り方、玄米
菜食をつづけるコツを、シシピ付きで紹介されている。大変実践的な文章だ。
  最後に、夫のがん告知後に触れている。闘病生活をはじめるようになって、快
眠快食になり、性格がおだやかになり怒ることがなくなったと指摘されているの
が印象的だ。

 この本では第四章以降で大きなテーマを論じているので、簡単に紹介しておき
たい。
  第四章、人類の「悟り」の瞬間と生きる力では、ホリスティック治療の道筋と
根拠を著者の専攻する国際政治と国際社会開発論のなかから探っている。世界人
権宣言の第一条(自由平等)を引用し、すべての人間が自由平等に創られている
という意味は、人間が創造者によって創られたものである以上、一個の人格とし
て地上のいかなる権力も侵すことはできない、譲りわたすことのできない権利だ
ということである。
  人間はさんさんと降り注ぐ太陽エネルギーをもとに、地上の大地が水や食物を
育て上げ、それを摂取した結果、つくりあげられる存在であるわけだ。それが人
間の生命力=治療力の根源である。
 
  幕末の日本では、西洋医学の蘭方、人間全体の不調和をとらえた漢方、さらに
日本の伝統療法の和方という、三つの流れがあった。しかし明治維新によって西
洋医学採用が定められ、西洋医学になった。戦後は不潔、野蛮という理由で鍼灸
まで全面禁止された。私たちが幼い頃には、お灸をすえられたものだ。
  日本の対がん戦略において、医療の多元主義を復活すべきであると提唱してい
る。
なかでも自然治癒力を見返すべきだと主張している。生命力=自然治癒力とは、
心、身体、社会および霊性の調和がとれたダイナミックな状態から生れた複合的
なものとみる。
だから世界保健機構(WHO)で「健康とは身体的、精神的、霊的、社会的に動的
で良好な状態をいい、たんに疫病や傷害がないということではない」と定義して
いるのは当然である。
 
  そして悲惨な第二次世界大戦後の一九四五年以降、人権に関する法律と基準設
定のラッシュをみた。これが人類の「悟り」の瞬間という。そして播州で説法を
した盤珪禅師の生き方を紹介している。さらに「感謝こそ死の恐怖に耐える力だ
」と書いている。
  第五章では「生きる力を爆発させる医療の多元主義をもとめて」ガンジーの「
サッティヤ・ブラハ」(魂の力)の例を引いて、世界の基礎は武器ではなく、眞
理、慈悲、つまり魂の力だとのべている。これは人間に備わった生きる力であり
、これが国際社会開発論からみた人間の偉大な潜在能力だと指摘している。
 
  さらに「慈善は貧困を継続する」(二〇〇六年のノーベル平和賞受賞者ユヌス
氏の言葉)、「人間をいたわるがの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させ
る」(一九二二年の全国水平社結成の宣言)をあげ、「哀れみは、がん患者を殺
す」、がん患者は哀れみをかけてもらわねば生きていけない情けない存在ではな
い、といっている。いわばがん患者の独立宣言だ。
 
人間をまるごととらえる医療=ホリスティック医療は長い歴史をもっている。
二五〇〇年前の古代ギリシヤの名医ヒポクラテスはその実践者だ。彼には有名な
二大訓戒がある。第一は「自然治癒力をあがめよ」。第二は「まず傷めつけるこ
となかれ」である。古代の名医は治療を最小にとどめ、自然の回復力にまかせる
という、今日難病とたたかう際の根本原理をすでに提起している。今日、ヒポク
ラテスの二大訓戒を熟慮すべき時代がきている。
 
また「身体とは単なる部品の集合ではない」とし、身体と生命の不可分性を患
者の権利としている。さらに患者と医師との独特な関係は、ひとことでいえば不
平等、非対称的である。それだけに患者同士が助け合い、知識と経験の不足を相
互に学びあい、補強して医師に対面する必要があると指摘している。
 
  一九八四年十月に患者の権利宣言起草委員会が「患者の権利宣言(案)」を起
草して二〇年がたっている。いぜんとして権利宣言ができないのは、既得権が奪
われる抵抗勢力がいぜんとして強力だからだといわれる。医師不足、医療制度の
崩壊などがいわれるなかで、どのように改革していくか、大きな課題である。
 
おわりに、著者は老子の「強さより柔らかさ」を引用、さらに中国の「道」と
「気」の哲学をあげ、がん患者に有益な助言をしている。それは、「闘病生活を
愉快なものにするためには、なんらかの形での社会参加が絶対必要です」という
ことだ。さらにロシアの詩人レールモンドフの想像した死後を紹介しつつ、著者
の述懐を述べている。臨終の時、神との直談判で、生々しい対立、衝突、喜び、
苦悩などがうずまく、そんな最後の審判を求めて死後をたたかいたいといってい
る。まさに活動家の本領発揮というところである。
  そしてしめくくりの結論は「人は希望によって生き、希望によって死ぬことが
ある。」
                   (評者は評論家)

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