【沖縄の地鳴り】

『最後に』

樺 美智子

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ

◆追悼 樺美智子と浅沼稲次郎の死 そして沖縄の犠牲者    /仲井 富

 6月15日、国会南門前で、樺美智子を追悼する集いがあった。私は、花屋で紅薔薇を買って南門の集いに参加した。22歳の樺美智子の死を追悼するには白バラよりも赤い薔薇がふさわしいと思ったからだ。あれから46年、生きておれば78歳になる。1970年、46年前の1960年6月15日、安保条約反対を叫ぶ全学連主流派が国会に突人、警官隊と激しく衝突し、東京大学文学部国史学科の学生、樺(かんば)美智子が警宮隊との衝突のなかで殺された。樺美智子が死亡したのは7時10分から15分ごろと推定される。

 そして同年10月12日、日比谷公会堂の党首討論会で、社会党の浅沼稲次郎委員長が、演説中に公衆の面前で右翼少年に刺殺され即死した。60年安保はこの2人の死者によってさらに深い広がりをもたらした。委員長代行の江田三郎の下で国会議席三分の一以上を勝ち取ることに成功した。偶発的なように見えて、それぞれの時代における犠牲者・死者の意味と意義を思う。

 今回の沖縄における米軍属による20歳の女子暴行虐殺事件、そして県議選投票日における米兵の酔いどれ逆行運転事故。島尻安以子沖縄担当相や自民党は「最悪の事態」と表現した。彼らにすれば偶発的に見えても出来過ぎているからだ。だがこの事件の背景には、沖縄戦で10万人の犠牲者を出し、なおかつ戦後70年余、事実上の植民地同様の米軍支配が続いている歴史がある。これもまた沖縄戦10万人犠牲者の怨霊とそれを引き継ぐ県民の遺伝子が、この事件によって、いっそう明確に「米軍基地ノー」を突きつけたと言えるのではないか。

 偶然、沖縄タイムスの記事に「沖縄戦で自決した太田海軍司令官の娘が辺野古に『父も喜んでいる』を発見した。——沖縄戦で自決した太田實海軍司令官の四女文子さん(85)と八女八千代さん(78)が14日午前、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前を訪れた。新基地建設に反対する集会に参加し、「平和のために頑張っている皆さんを見て、父も喜んでいると思う」と話した。太田海軍司令官は自決直前に「県民に対し後世格別のご高配を」との電文を打った。二人は71年後も残る広大な米軍基地について「何のために必要なのか。美しい沖縄を大切にしてほしい」と語った。〈沖縄タイムス 016・6・14〉

 長生きをされた二人の娘さんは太田海軍司令官の遺志を伝達するためにこの地へ来られたのだと思った。「最悪の事態だ」などと繰り返しながら県議選結果をもまたも無視して「辺野古移設が唯一の選択肢」と繰り返す政府と島尻安以子担当相。彼らには沖縄10万人の犠牲と太田司令官の遺言無視の「祟り」を受けていることが自覚できないのだ。


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