■ 読後感

『兄弟』余華著(文芸春秋社刊)を読んで    仲井 富

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  長大な二冊の『兄弟』を前にしたのはちょうどお盆の八月十三日の朝である。
帯には「狂乱の文革時代から、欲望の解放経済へ兄と弟は、激しく生き抜く」(
上巻)「誰もが金と自分のことしか考えない現代中国社会を凄まじいかたちで描
いた」(下巻)とある。面白そうだ。暇だし静かだから本でも読むかと取り掛か
った。ところが読み出したら止まらなくなった。日ごろ、読書力低下を嘆いてい
たが、この本だけは違った。なんとその日の夜中、気がついたら午前一時に『兄
弟』の上巻を読み終ったのである。もはや止まらない。翌日の十四日から十五日
の午後にかけて下巻を読了。すると不思議に、文革のことが知りたくなって、近
くの千代田区図書館で、産経新聞社の『毛沢東秘史』上下巻二冊を二日間で読ん
でしまった。
 
『兄弟』の上巻のテーマは文化大革命だ。毛沢東といふ指導者が発動した文革
によって翻弄される中国の民衆のいた痛しい姿を描いてみせる。しかし単なる悲
劇としてではなく、民衆の愚かさやしたたかさを笑いの飛ばしているのである。
主人公の李光頭といふ少年は、十四歳の時、公衆便所の穴から女性の尻を覗き、
逮捕され町中の笑いものになる。ところがその中に町一番の美少女が居たために
一転して町のスケベ男たちの興味をそそる存在となる。次々に男たちが美少女の
尻はどうだったか聞きに来る。教える代償に浮浪者のような少年は、大人たちか
ら食べ物をせしめてしたたかに生き延びる。その少年李光頭が後年の改革解放期
に町一番の大金持ちになるという設定だ。

 下巻は一転して、改革解放の時代に突入して変化する社会、民衆のエゴを、金
と女に象徴して描く。全編、これでもかと金と女にまつわる主人公や役人たちの
姿を描いて一種の一大好色小説の観もある。これは日本のバブル期と同様でさし
て驚くにあたらない。わたしとしては、上巻の文革時代の民衆の姿に興味を持っ
た。われわれは十五年戦争の後、平和な時代の中での高度経済成長だったが、中
国は違う。十五年戦争から、国共内戦、共産党政権へ、そして再び文革といふ一
種の内戦を経た上での改革解放時代である。中国四千年の歴史の上に、戦争と内
乱を乗り越えて生きてきた、中国民衆の恐るべきしたたかなエネルギーを読み取
らなければなるまい。

 文革と改革解放の中国を、揶揄し笑い飛ばしているやうな小説『兄弟』が、な
ぜ一党独裁の中国共産党政権の下で発行できるのかといふ疑問がなくもない。わ
たしなりの解釈では、作者の巧妙な手法によると推察した。これだけの長編だが
、作者が党を名指しで批判しているとみられるところは一箇所もない。批判され
たり揶揄されているのは、地方の県長とか役人である。当然、これらの人々は党
の人間であるに決まっている。国際的なチベット問題などでの批判は当然だが、
中国の改革解放政策も捨てたものではないなといふ感想を持った。
                      (筆者は元公害問題研究会代表)

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