■書評
『中国の森林再生 ―社会主義と市場主義を超えて―』
関良基・向虎・吉川成美著 (御茶の水書房刊・2310円) 牧 衷
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~日本の森林再生を志す人たちにぜひ読んでもらいたい本~
本書は現在中国で進行中の森林再生プロジェクトの現場報告である。日本では
黄砂の飛来問題などと関連して、中国における自然環境破壊のひどさがことさら
に報道されることが多く、中国で大規模な森林事業が国家プロジェクトとして進
行していることを知る人の数はそう多くはないだろう。
本書によれば、このプロジェクトによって2000年から2005年までの6年間で、
中国の森林面積は2400万ヘクタール増えたという。2400万ヘクタールといえば24
万平方キロメートル、日本の国土の全面積38万平方キロメートルの6割以上に当
たる広大な面積である。思わず「ホントかよ」と目をこすりたくなる数字だが、
これはFAOの統計による値と知れば、あらためてこの計画の巨大さにびっくりす
る。
この巨大プロジェクトは「退耕還林」と呼ばれる。退耕還林とは読んで字の如
く耕地をつぶして林地に転換すること。退耕される耕地は1950年代末から60年代
初頭にかけて毛沢東主導の下に行われた「大躍進」政策の結果生まれた急傾斜の
山間耕地である。
大躍進政策は革命後一旦農民各戸に分配された農地や林地を強制的に集団化し
て人民公社をつくる農業集団化政策だったが、その一環として農村工業の建設が
唱えられ、土法高炉と呼ばれる製鉄が全国の農村で行われた。
土法高炉というのは、原理的には日本近世のタタラ製鉄と同じ製鉄法で、ごく
簡単にいえば鉄鉱石を木炭と共に強熱して鉄を得る方法である。(現代の製鉄は
石炭を蒸し焼きにしてつくるコークスを用いる)。
タタラ製鉄は俗に「一カマ一山」と言われ、タタラの炉を一つつくれば、山一
つがハゲ山になる、といわれるほど大量の木炭(即ち木材)を必要とするメチャ
クチャな資源浪費型製法である。しかも現代の社会が必要とするような質の鉄が
とれる可能性はゼロに近い。当時の中国共産党中央にこの程度の技術知識もなか
ったなどとは到底考えられないことだが、現実にこの土法高炉運動は行われ、結
果として鉄はできず、山は切り払われ、後に急傾斜の粗悪な耕地だけが残った。
この建国時の負の遺産である山間部の粗悪耕地をつぶして植林しようというの
が1998年の長江・松花江大洪水の惨禍を機に始まった「退耕還林」プロジェクト
である。このプロジェクトは、数字上先に述べたような大成果をあげているが、
内部に立ち入って観察すると、必ずしも成功とはいえない部分を多く含んでいる
。
本書は、この退耕還林の国家プロジェクトのフィールド・ワークによる調査・
分析によって中国の森林再生への方途を探り、提案することを目指して書かれた
ものである。
全体は短い序論の後、次の八章で構成されている(()内は執筆担当)。
I 世界の森林再生活動における中国の位置づけ(関 良基)
II 退耕還林をめぐる国内論争の分析(向虎)
III 西部大開発における貧困緩和戦略と退耕還林(吉川成美)
IV 黄河流域の退耕還林 (向・関)
V 長江流域の退耕還林 (関・向)
VI 政府と農民の対立 (関・向)
VII 古勝村の社会的共通資本と内発的発展 (向・関・吉川)
VIII 持続可能な森林再生のために (関)
I~IIIの三章は、「退耕還林」概説とでもいうべき部分である。この部分は退
耕還林に至るまでの歴史的経過や問題点、問題点をめぐる論争点などが要領よく
まとめられている。
しかしなんといっても著者の本領が発揮されるのはIVからVIIに至るフィールド
・ワークによる調査分析の部分である。聞き取り調査の報告は臨場感十分である
。なかでも著者らが法的に禁止されている間作(植えた木の間の土地で作物をつ
くること)が、植えた苗の成長にもよい合理的な方法だと考えていることを知っ
た農夫が、自分の退耕地の木が、なぜ段々畑になった耕地のへりにばかり植えて
あるのかの理由を教えてくれる条りなど「大きな声じゃいえねえが、こうしとき
ゃ、また作物をつくらなきゃならなくなったとき、楽で良いべ」と言っている情
景が眼に浮かんでくる。
奨励金が退耕還林面積に応じて一対一対応で支払われるという制度(日本の各
種の補助金もほぼ同じような考え方で支払われている)では、退耕還林は奨励金
をうけとる金券のようなもので、いずれはうち切られる奨励金の将来をみこして
、すぐ耕地に戻すことができるようにしているのである。まことに「上に政策あ
れば、下に対策あり」という命令経済を皮肉るジョークそのままの世界である。
このような調査を通じて、著者らは、退耕還林を成功させるためには、投入さ
れる資金は森が村民の生活資源となるような生活全般の変更をめざして、そのた
めの生活全般のボトム・アップに使用されるべきだ、という結論に達し、その具
体的な方策のいくつかに到達する。
ふつうの学術論文、政策提言論文なら、ここで終わりである。しかし著者らの
本領はこのあとにある。著者らは、VIまでの調査分析で得た処方を仮説として、
その仮説を実証するべく実験を試みる。自然科学の論文なら当たり前の手続きだ
が、社会科学畑の論文でこの手続きをふんでいるのは珍しい。
VIIIは、この実験の記録。本書の白眉をなす章である。
対象に選ばれたのは長江上流の貴州省、古勝村という人口約1800の村である。
著者らは、在中国の三つの環境NGOの協力を得て、この村で著者らの構想に基
づく「退耕還林」プロジェクトを「実験」する。NGOは村の退耕還林に資金を援
助するのだが、資金提供の条件は次の四つである。
1、村民自身によるプロジェクトの維持管理が可能なこと。
2、費用便益計算が合理的であること。
3、資金を一部自己負担すること。
4、環境との関連を説明できること。
この四条件をみたせば、直接的な植林を行わなくてもよい、というのである。
この条件がVIまでで得た著者らの構想の直接的な表現であることは明らかである。
それだけでなく、その実施の方法にも著者らの構想が深くからんでいる。通常
人口1800程度の村ならば、この行政単位をひとまとめにしてNGOとの契約を考え
るだろう。しかし著者らはそうはしない。村を日常的なつながりのある集落グル
ープにわけて、その集落グループごとに計画案を出してもらうのである。(山間
の村は数世帯、多くても数十世帯の小集落が点々と島のように存在するのは日本
と同様である)。つまり、全世帯参加の直接民主主義的協議と決定に具体的プラ
ンの策定を委ねるのだ。その結果、NGOスタッフの検討をへて承認されたものに
資金が提供される。要するに、これは行政的な政策などというものではなく、退
耕還林と結びついた村の生活向上運動であり、これを含めて著者らの政策提言が
あるのである。VIIはこの「運動」の記録である。
ある種の読み手にとっては、この章は自己宣伝のサクセス・ストーリーのよう
にみえるかもしれない。しかし実際に(この日本で)山の荒廃を憂え、その解決
に努めている山地の人々やその人々と共に汗している行政当局者だったら、この
「実験」の成功から多くのものを読み取ることができるにちがいない。私なども
この章を読みながら、ふと、たとえば吉野川上流域の村々と四国電力の間で森林
の維持管理を通じたCO2の排出権協定はできないかな、などと考えたり、かって
牛肉自由化を前にしてしきりに行われた中山間地における林間放牧の実験も森林
再生と関連して見直すならば、意外に面白いことがみつかるかもしれない、など
と思ったりする。そういう想像力もかきたてるようななにかがここにはある。著
者らが、その研究方法論をもって、日本の森林再生研究にのり出してくれること
を希うこと切である。
<著者略歴>
関 良基(セキ ヨシキ)
1969年信州上田生まれ。京都大学農学部卒業。同大学院農学研究科修士課
程修了。同大学院博士課程修了。博士(農学)。早稲田大学アジア太平洋研究
センター助手、(財)地球環境戦略研究機関・客員研究員などを経て、拓殖大
学政経学部助教
向 虎
1974年南京市生まれ。北京外国語大学卒業。早稲田大学大学院アジア太平
洋研究科修士課程修了。同大学院博士課程修了。博士(学術)。現在、早稲田
大学北京教育研究センター副所長
吉川 成美(ヨシカワ ナルミ)
1969年博多生まれ。上智大学文学部卒業。早稲田大学大学院アジア太平洋
研究科国際関係論修士課程修了。永田農業研究所を経て、東京農業大学農業経
済学博士後期課程修了。博士(農業経済学)
現在、早稲田環境塾、西安交通大学西部発展センター研究員
(評者は社会運動研究家。力石定一氏と共に政策提言誌『発想』を主宰)
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