◆ 「2009年度版 ワーカーズ・コレクティブ市民白書」


◆第1章 ワーカーズ・コレクティブ市民白書発行にあたって


◇1)市民白書発行の意味


  白書は本来、市民活動や協同組合運動にはなじまない様式である。白書(ホワ
イトペーパー)は、イギリスで、外交報告書(白い表紙だった)として、 公的に
発行されてきた。今では、国家や行政の機構が複雑になり、その中身がトータル
に分かりにくくなったため、国や自治体が税を支払う主権者に対し、説明 責任
を果たす情報公開のひとつとして活用されている。
 
  今回、私たちの市民事業や市民活動がその白書を出そうとする意味は、ワーカ
ーズ・コレクティブ(以後W.Coと略す)がメンバーから事業資金を集 め、リス
クを取り合ってするオルタナティブな事業や運動を、地域社会や政治に対して分
かりやすく公開する対外的意味と、メンバーに対してあらためて情報公 開し、
理念や現状の理解を共有しようという対内的意味がある。
 
  中でもW.Co運動の四半世紀を考えてみると、自分たちは何者かについて、組織
内では大変な 時間とエネルギーをかけて会議やミーティングをしてきた。この
共有化にかけた時間は、どの事業や運動にも負けないと思える。W.Co組織が、ど
こからきて、何を試行錯誤して、どこに行こうとするのか、その理念を掲げなが
ら実践する過程には、どんな困難な問題が派生するのかなどについて、共感と共
育を拡げようと努めてきた。そのリーダーシップ形成は、苦難の途であったがゆ
えに今日があるといえる。
 
  しかし、そうはいっても組織は、いつの間にか経験主義による硬直化や官僚化
をまぬがれることはできない。こうした試行錯誤と時代の背景を踏まえながら市
民白書を出そうとするのは、神奈川の地域でW.Co、5500人のメンバーが、かけが
えのない「対自的自己」を手にした経験を拡げ、市民社会と政治 社会を「つく
り・かえる」ことに取組み、社会の問題解決力をさらに高める必要性があると考
えるからである。 


◇2)「もうひとつの経済」と「もうひとつの働き方」の重要性


  W.Coは、加速する経済のグローバリゼーションと金融資本主義社会を反面教師に、
四半世紀を超えて持続的に発展してきた。この市場競争社会に直面していることが、
W.Coの「もうひとつの経済」、新しい地域経済づくりの動因であり、そのオルタナティブは
「もうひとつの働き方」=「コミュニティ ワーク」の領域を拓くことにもなった。
 
  この「もうひとつ」の意味で、W.Coが正面に据えているのは、雇用労働の持つ
限界性に対してである。日本で1億の人たちが働く営みをイメージし たとき、そ
の大多数が雇用労働で、雇われて「働く」ことであろう。この雇用関係は資本主
義経済である以上、生計の糧を得るために仕方がない「常識」であり、家庭や学
校教育の中でも訓練されてきた。
 
  それゆえに雇用労働に身を置いたとき、一体自分の労働が生み出した価値は、
どこに向い、何に役立っているのか。また、極度に分業化された仕事は、生身の
人間にとって物象化された関係となり、はからずも社会のひずみづくりに加担し
ているのではないかとの疑いも持つようになる。しかしこうした人間らしさを疎
外する因果関係については、競争社会の仕組みの中では問うことができない。
 
  いま日本社会は、リストラ・失業の津波に襲われながらも6000万人の雇用人口
があり、そのうち2000万人が非正規雇用者で、その半数以上の 1100万人が年収
200万円以下のワーキングプアとなって困難な生存、生活を余儀なくされている。
自殺者が10年も継続して3万人以上にもなり、(グレイゾーンの死因不明者を加
えると10万を超えるといわれている)その自殺大国になった原因の半分以上は、
雇用労働と収入の悪化がもたらしたと考えられる。
 
  なぜ社会的(公的でない)セーフティネットとして、労働時間短縮をしながら
ワークシェアリングする政策は導入できないのか、労働政策の優先順位が転倒し
ているといえる。その結果、労働現場の多くは、長時間労働に強く依存し、自由
時間を社会的に分配し所有する政策理念やモラルは機能していない。しかも1000
兆円を超える赤字公債によって財政破綻をまねきかねない近未来に対して、生活
者・市民と市民社会の活性化をはかる政治的「良識」も持ち合わせて いない。


◇3)W.Coの発展過程と社会状況の変化


  日本経済社会は、70~80年代に世界第二のGDPとなって、アメリカに次ぐ大
きさとなった。先端技術を駆使したものづくりを開発し、世界市場で 販売して
その「パイを大きくして国民大衆に上手に分ければ幸せになる」という国家戦略
を40年間続けてきた。その時代のただなか1982年にW.Coは生まれたが、当時の日
本はジャパンアズNo.1を誇り、現在のような失業者や自殺者が大量に出る時代に
なるとは思いもよらなかった。
 
  そこで「生活クラブ運動」の10年を経験した人たちが、なぜW.Coをつくり、社
会運動・市民事業にトライし、個人資源を拠出し合いリスクを負ってまで自己実
現にこだわり、社会化しようとしてきたのかは、W.Co運動の継続性を証明する上
で、重要な点である。80年代当初参画した人々は、「性別 役割分業」が当たり
前の社会で、雇用労働万能社会を深くは疑っていなかったはずである。
 
  実際には、コミュニティの身近にある生活ニーズに直面して、それに応えよう
とお互い様の「たすけあい」・「支えあい」のサービスワークを経験して き
た。その活動を協働化し、アンペイドワークを体現してきた主婦から「女性・市
民」としての「アイデンティティ」を見出し、その意義を語り継ぎ、共育しなが
ら創造してきた28年であった。
 
  しかしいま、土地バブル経済の崩壊以来、この間に培ってきた、さわやかで素
朴な問題意識と実践が、社会に通じにくい時代状況になってきた。その結果、自
分たちの社会正義や労働実践をより普及しようとするための困難にぶつかってい
る。その困難は、市民社会の自律性を政策目的にできない政治の立ち遅れが市民
社会の成熟を阻害している点で、二重の困難になっている。
 
  その原因のひとつは、企業固有の雇用関係にあったセーフティネットの常識で
ある。今日の経済不況はその常識を崩壊させ、「明日は我が身」の貧困問題を生
み出して人びとの不安を増幅させている。もうひとつは、この雇用関係にある受
身の差別問題に対しW.Coは、もうひとつの途を切り開いてきたのであるが、普及
への手掛かりがつかめきれないでいる。経済不況と生活不安の中では、W.Co運動
がそのテリトリーを拡げようとしても、コミュニケーションが弱まり、人々の自
由時間が細って決め手を持てないでいる。
 
  別の言い方をすれば失業者が300万人以上も出ているときに、「失業者たちで
W.Coを組織して新しい働き方にトライすれば」といい切れない。なぜならば、私
たちはこの間、個人資源(いくばくかの資金、知恵、労力、時間)を出し合って
リスクを取りながらW.Coをつくってきたが、失業者や失業を生み出す構造、企業
や労働組合に対して、有効な対案提示ができていないのである。


◇4)資本と労働の実態


  そこで、日本の資本と労働のこれまでの関係を考えて見ると、政府が基盤整備
等の産業政策で呼び水をする中で産業資本は投資し、人を雇い、市場を開拓して
きた。この市場が超過利潤を確保するには、第一に有効な労働力を組織しなくて
はならない。資本運動はかつて、左翼理論にあった「労働価値説」によると、産
業社会のすべての価値は、労働による価値生産を媒介して形成されるといわれて
きたが、今日その意味は見失われている。

その生産された価値を合理的に分け合うには、矛盾に満ちた力関係にゆだねるの
ではなく、社会的、政治的に調整・制御することが必要であるとして、労働法制
が整備されてきた経過がある。
 
  しかし、今日では、金融資本主義の中で、労働生産性のかなりをロボット(IT
やオートメーション)が担い、金融経済が実体経済の4倍にもなって調整は困難
になっている。その金融市場が生み出す付加価値に取りつければ、誰もがリスク
とともに「不労所得」を得られる時代にもなった。特に信用経済が実体経済より
大事な世界戦略だとするアメリカでは、基軸産業の多くが「リーマンショック」
で危なくなっており、製造業は崩壊しかかって失業者が激増している。
 
  米産業の主力は、世界大戦で戦火を浴びなかったためにITなど尖端的産業を除
いては古い設備が残ってきた。この間リーダーシップを発揮してきたのは自動車
産業だったが、ここにきてGMとクライスラーが破たんした。日本ではこの50
年、産業資本が世界市場でリーダーシップやイニシアティブを発揮できるよう政
策配慮をしてきた。しかし、産業資本を代表してきた自民党政府に対して、労働
側が広汎に勢力を結集し、独立性を担保する社会運動はいまだ成功して いない。
  その結果、労働組合陣営は、時代や社会の要請から立ち遅れ、「インディペン
デントセクター」として主導的立場を形成できずにきた。協同組合もまた 追随
して体制内化してきたといえる。しかし、W.Co運動は小なりとはいえ、社会運動
に必要不可欠な主体性の質的側面を発揮しながら、多様な異議申し立てをしてき
たといえるのではないか。


◇5)参加型ガバナンス


  あらためて振り返ってみると、かつて生活クラブ運動の初期に「大ぜいの私」
という協同実践する女性たちの主体イメージを生み出した。これは孤立した個人
ではなく社会的な個人であり、「生活者・市民」、「女性・市民」という有機的
な関係性をもった主体を意味している。今日、W.Coという協同労働の手法は、「
女性・市民」の試行錯誤をとおして自己と近隣社会を人間的に改革していく道筋
であることに、W.Coメンバーの自覚は高まり、説明力もより豊かになってきた。

その結果W.Coの生み出す「アソシエーション」のあり方が、各種協同組合や政治
のネットワーク運動、行政機関などにも影響を与えはじめて いる。
  また、女性・市民たちの「ガバナンス」(統治)は、「参加・分権・自治・公
開」の民主主義を手段に問題解決する実践概念である。これは国の統治、自治体
の統治の請負型システムに対するオルタナティブである。しかし、多くの人々が、
基礎的なガバナンス概念である「市民の政府」のあり方に関心を示さないのは、
市民社会が政治社会改革に向かう可能性を遅らせていることになる。
  W.Coの活動は、市民社会のコアであるアソシエーション(市民組織)として、
主体的にその理念や課題を共有し、自己決定・自主管理(自治)のノ ウハウを
提供してきた。コミュニティは、いろいろなアソシエーションがぶつかり合う
が、活力あるコミュニティのガバナンスは、しっかりとした協働に裏付けられた
主体性をもっていなくてはならない。そして参加型のガバナンスは、「参加と責
任の増大」による問題解決力をもって、社会を底辺から「つくり・かえる」市民
による市民自治のイメージである。


◇6)「新しい公・共」の概念


  この雇用労働がベースになってつくられてきた産業化社会とそのグローバル
マーケットに対して、社会・経済概念は二極分化してきた。
たとえば産業資本と労働、税金資本と人権、科学技術と自然環境、価値と価
格、男性と女性などで、対抗する概念のどっちに足場を置くのかが問題である。
W.Coは基本的に「人権・自由・民主主義」を標榜して実践してきたが、それは二
分法のイデオロギーを叫んできたのではなく、分裂を克服しようと実践してきた
少数派である。
 
  この間、村上春樹がイスラエルで賞をもらった時、「壁と卵」の話をし、自分
は卵であり続けるといった。卵が個人で、壁が組織・国家の関係をいって い
る。私たちは国・自治体との関係を表すとき「公共」の公と共の間に・を入れて
きた。私たちW.Coの活動が「共」(社会的領域)を支えているのであっ て、共
領域は公権力が一方的に独占する関係ではない。
 
  日本の社会は、公助、共助、互助、自助という概念をつくってきたが、「公・
共」の関係は「私」領域が「共」を支えている関係でもある。自助・互助 のう
えに共助をつくりだしてきたW.Co運動の持つ意味は、これまでの公と共の社会関
係を変革するヘゲモニーである。「ポスト金融資本主義」への道は体制を問わず
誰もが考え、自らの生き方を問わなくてはならない地球規模の問題だが、W.Coは
社会的有用労働を通していくつもの提案と希望を持っている。


◇7)「ポスト金融資本主義」をリードする「非営利・協同」セクター


この10年、冷戦構造が壊れてアメリカの一極支配に異議をはさんだのが、EU
諸国である。これまでG7、G8などが世界をリードするといってきたが、最近は
ブラジル、ロシア、インド、中国のBRICs等を入れて、G20による調整が必要に
なってきた。アメリカの相対的地盤沈下が主要な原因で、世界秩序が多極化した
結果である。その傾向はCOP15でも問われたが、アメリカは90年比CO2 3.9%削
減とかなり控えめの目標である。
 
  日本は20 年に25%削減しようとしているが、日本の大手製造業は、バブル経
済崩壊後、電気やガス、重油や水などのエネルギーをコスト削減とともに努力し
てきて精一 杯だという。こうしたことはアメリカでも簡単にできたはずなのだ
が、No.1のおごりは、なんとも情けない結果である。

 W.Coは、自己決定・自主管理型の働き方・生き方を通して「ポスト金融資本主
義」に向かうエースでもある。伝統的な税金資本と産業資本セクターのリーダー
シップが壊れかけている今、市民資本のリーダーシップによって協働システムを
活性化して、社会と政治の歪みに対案を提示することが重要である。 W.Coだけ
でなく「市民資本セクター」が税金セクターと産業セクターに対して、けん制力
を発揮する、新しい社会関係は萌芽している。そしてこれからの社会秩序は、3
つのセクターが相互けん制し合う関係を顕在化させ、実践的民主主義社会を形成
するセクターバランスが不可欠であり、それぞれのセクターにとっ て重要な戦
略課題になる。
 
  しかし、現状の政治社会の戦略には、国境をボーダレスにしたEUを除いてその
構えがないと思われる。EUでは1990年代半ばから2000年にかけて、市場に接し
て機能する「非営利・協同」セクターを拡充支援する法律を整備してきた。企業
法の制定にオルタナティブ・フィッティングさせた、「協同組合法」、「共済組
合法」、「アソシエーション法」の不可欠と思える3つである。市場に接しなが
ら行う、市民社会に根ざした活動・事業をどう政策的にバック アップするのか
そして近未来のセクターバランスを、どう実現しようとしているのか、EUにお
ける市民社会活性化に注目したい。
 
  それは、産業資本による雇用とその労働を中心とした経済・社会のカテゴリー
だけでなく、雇用の社会的関係を相対化しようとするユニバーサルなカテゴリー
である。その近未来への希望は、経済がゼロ成長であっても、「お金で買えない
価値」を豊富に生産でき、より直接的に分け合うアソシエーションのネッ トワ
ークのもとで、楽しく暮らすことができ、「たすけあい」にもとづく人間社会復
興が手にできるはずである。
 
  21世紀当初の福祉社会は、リーマンショックを境にますます深刻化し、多くの
人々の生き方・死に方が問われ続けている。しかし心ある「生活者・市 民」の
多くは、福祉や環境問題を産業・労働のあり方に引きつけて、自己責任を自覚し
新しい生き方であるW.Coを体得し、上手に楽しく働く試行錯誤をさら に高めて
いきたい。
  その結果は、信用経済と実体経済が3つのセクターとともにバランスする政治
が普及し、国主導が強いアジアで国境を超える市民が台頭成長して、平和・共生
・人権の理念が拡がることへの期待である。その成熟をとげた市民社会は政治社
会の制御力を吸収して「市民の政府」ネットワークを拓き、地球・人類的諸課題
の解決に向い、歩み始めることを信じたい。

(注)この原稿は、神奈川ワーカーズ・コレクティブ連合会と福祉クラブ生協が
共同で、参加型システム研究所に調査研究を委託して作成した「2009年度
版 ワーカーズ・コレクティブ市民白書」の第1章部分です。市民白書へのお問
い合わせは 参加型システム研究所
〒231-0006 横浜市中区南仲通4-39 石橋ビル4F
         Tel.045-222-8720 Fax.045-222-8721   
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