【沖縄の地鳴り】

「辺野古」高裁判決に思う

平良 知二


 「辺野古新基地」建設問題で、福岡高裁那覇支部の判決が出た(9月16日)。「普天間」の代替基地は辺野古しかない、とする国が勝訴し、沖縄県は完敗であった。

 判決は完全に政府の肩を持つものであった。「海兵隊は県外に移転できないという国の判断は…合理性があり尊重すべきである」「そうすると、県内に普天間飛行場の代替施設が必要である」「その候補として(辺野古の)他に県内の移転先は見当たらない」「よって 普天間飛行場の被害を除去するには(辺野古新基地を)建設する以外にはない」と断じ、国の一方的な論理をそのまま採用した。各論評が口を揃えて批判するように「国の追認機関に成り下がった」判決であった。
 翁長知事は「あぜんとした」と語り、1週間後の同月23日、最高裁に上告した。知事だけではない。誰もがあぜんとした。選挙で言えば僅差をはるか通り越して“惨敗”の一語。これまでの沖縄県内の主要選挙(翁長知事側のほぼ圧勝)とは全く逆の結果である。あぜん、のほかない。

 選挙と裁判はもちろん違う。裁判は選挙結果に関係なく審理を進めるのだろう。だが、単なる勝ち負けではなく、例えば「辛勝」「惜敗」といった表現が許される裁判結果は当然ある。今回の判決を見ると、残念ながら上記の「惨敗」の表現にならざるを得ない。きつい表現ではあるが、少々は期待がなくはなかっただけに残念である。
 なぜそうなったか。安全保障に関して地方・地域は黙っておけ、ということなのか。悪い意味での歴史的判決である。

 判決は何よりも米海兵隊の沖縄での存在を固定化している。海兵隊を「在沖縄米軍の中でも、武力紛争から自然災害まで種々の緊急事態に迅速に対応する初動対応部隊として、他の軍種が果たせない重要な役割を持っている」と持ち上げ、「海兵隊航空基地を沖縄本島から移設すれば、海兵隊の機動力、即応力が失われることになる」とまで言い切っている。
 北朝鮮のミサイル(ノドン)の射程を挙げて、射程外にあるのは国内では沖縄だけだとし、「沖縄に地理的優位性が認められる」と何かしら海兵隊に“反撃基地”の役割を担わす雰囲気でもある。

 「沖縄から移設すれば、機動力等が失われる」と海兵隊を固定的にとらえているが、海兵隊の役割や運用は大きく変化している。その立場から海兵隊の現状などについて陳述する県の証人申請は採用されなかった。「在沖縄全海兵隊を県外に移転することができないという国の判断」だけを採用した。「国の判断は戦後70年の経過や現在の世界、地域情勢から合理性があり、尊重すべきである」と理由は語らず、高い評価を与えている。

 しかし、「戦後70年の経過」こそ、県民が「辺野古」はだめだと反発せざるを得ない苦渋の歴史そのものではなかったのか。基地が沖縄に集中しているという「地域情勢」は「辺野古」反対の「合理性」を保障し、「尊重すべき」ことではないのか。翁長知事は法廷でそう陳述したはずである。

 海兵隊の重要性を認めて、あとは論理の導くところ、「辺野古」に行き着く。判決はそういう図式になっている。「普天間」がそのままなら「被害は継続」するとまで言ってのけている。脅しに近い。「被害を最小限にする努力が国には必要」などとは追及しない。「辺野古以外の交渉を米国とやってきたのか」などとは指摘しない。

 軍事的に沖縄の基地は絶対必要だ、という判決である。「あぜん」とするわれわれをしり目に、米軍関係者の喜ぶ顔が見える。もちろん国は大喜びである。北朝鮮の核や中国の海洋進出を意識し過ぎた判決と思われるが、日本の司法が安全保障に関し国に追随するばかりで、地域の民意を無視したものと断じていいだろう。日本社会全体が右傾化しつつあるだけに、軍事優先的なこの流れが強まっていくのが心配だ。

 (元沖縄タイムス編集局長)


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