■映画紹介:「白バラの祈り――ゾフィー・ショル、最期の日々――」

    河上 民雄
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 私はほとんど映画は見ないが、この両三年に見た映画は、次の三つである。
篠田正浩監督の最後の大作「スパイ・ゾルゲ」、ドイツのヴォルフガング・ベッカ
ー監督の「グッバイ、レーニン!」、そして今年一月に見た「白バラの祈り」であ
る。「グッドバイ、レーニン」は、東ドイツの忠実な党活動家の女性が、自由化
を叫ぶ運動に息子が参加、逮捕されるのを見て、ショックのあまり倒れ、意識
を失っている間に、ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統一、と事態は進展、
そこに奇跡的に意識を回復した母親に、再びショックを与えてはと、息子が東
ドイツがまだ健在であるかのように繕って四苦八苦し、涙ぐましい努力をする
物語である。
 
 「白バラの祈り」は、一九四三年、ドイツにとって戦局はすでに傾き始めてい
たが、ヒトラー政権に対し、「打倒ヒトラー」を呼びかけ、立ち上がるよう市民
に訴える匿名の手紙を大量に送り、この年の二月十八日、ミュンヘン大学の構
内で、ついにビラをまいたところを見つかり、逮捕、直ちにナチスの法廷で裁
かれ、二十二日には死刑の宣告、処刑された若き大学生ハンス・ショルと妹ゾフ
ィー・ショルs、今ひとり同じ日処刑された兄妹の友人の三人の五日間の姿を描
いた映画である。

「白バラ」とは、彼等が匿名で発送した手紙につけられた名前であった。この映
画の焦点は、二十一歳の若さで散った勇気ある女性、ゾフィーにあてられている。
実はこの事件には、もう少しく根を張った組織が存在し、このあと更に三人が処
刑され、多数の逮捕者を出している。
 
 一九四三年二月は、ヒトラーが政権を獲得してから十年目に当る記念すべき時
で、しかもナチスの党の発祥の地ミュンヘンで、この事件が起こっている。
 そのごの公然たる抵抗運動のはしりでもあった。逮捕から僅か足かけ五日で処
刑に至っており、この慌しい裁判がナチに与えた衝撃の大きさを物語っている。
 
 二〇〇三年、ドイツで行われた「われら最高のドイツ人」という、インター
ネットによる百五十万をこえる世論調査で、このショル兄妹は、第四位にランク
された。極めて興味深い調査結果で、第一位が第二次大戦敗戦直後の首相のアデ
ナウアー、第二位は一六世紀の宗教改革者ルター、第三位は一九世紀、科学的社
会主義の理論の祖カール・マルクス、第四位が市民的勇気を示し若くして散った
このショル兄妹、第五位が東方外交を展開したブラント首相である。
 序でに言えば、第六位が音楽家のバッハ、第七位が文豪ゲーテ、第八位が印刷
術を発明したグーテンベルヒ、第九位は一九世紀の宰相ビスマルク、第十位は相
対性原理のアインシュタインである。
 
 ショル兄妹に対する評価は、必ずしも第二次大戦直後から高かったのではなく、
むしろ一九八二年に「白バラは死なず」、「最後の五日間」と白バラを描く感動
的な映画が相次いでつくられ反響を呼んだことが示すように、ナチ時代を直接体
験した世代よりも、次の世代によって再評価されている。
 今回の「白バラの祈り」は、ゾフィー・ショルが逮捕され刑務所に過ごす姿よ
りも、ナチスの裁判所の公判廷の生々しい様子に重点がおかれている。それは、
前二作ではまだ見ることができなかった公判廷の記録が、第二次大戦の敗戦直後、
ソ連によって没収され、ソ連から東ドイツの秘密機関に引渡されて、永く秘匿さ
れていたところ、一九九〇年の東西ドイツの統一後、最近になって一般に公開さ
れるようになったためである。
 
 「白バラの祈り」の本邦上映にあたり、この映画の監督が来日、それに白バラ
のグループで当時一番若く、生き残った八十一歳のフランツ・ミュラー氏、前作
の白バラ映画の主演女優、またその映画監督も同行していた。一般公開前夜、彼
等を迎えてシンポジウムが行われ、日本側からは早稲田大学の村上公子教授が参
加し、感動的な発言を聞くことができた。そのなかで、「白バラの祈り」の映画
監督マルク・ロテムント氏は、まだ三十台後半の若さで、映画の製作に取り掛か
るまえに、この裁判記録を三回も読み返したと語り、最後に“戦後生まれの世代
には、ナチスについての罪の意識はないが、過去を知る責任はあると考えて、こ
の映画に取り組んだ”と述べ、感銘を与えた。
 
 映画の中で、ゾフィー役の主演女優ユリア・イェンチは、ごく普通の少女らし
さと市民的勇気の芯の強さを見事に演じ、人民裁判所即ちナチスの裁判所のフラ
イスラー裁判長役のアンドレ・ヘンニックもやたらに怒鳴り散らすあたり、迫真
の演技であった。
 
 この映画の一般公開を機会に今全国各地に巡回している「白バラ写真展」を見
ると、この運動の奥深さを感じる。このメンバーに共通しているのは、ドイツ人
の古典的教養と、キリスト教信仰で、それが極限状況におかれたとき市民として
の勇気を与えていることに気付かされる。
 ショル兄妹が処刑される前に面会に来た両親の最後の励ましの場面が身につま
される。ショルの父親はかつてドイツ社民党の党員であった。
 是非見てほしい映画である。

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