■書評 

「現代世界を動かすもの」

 -アメリカの一極支配とイスラム・中国・ヨーロッパ-
        仲井 斌 著 岩波書店刊 定価2700円

                                榎  彰 ────────────────────────────────────

 
ブッシュ米大統領、いま、イラク情勢の安定化に必死の努力を傾注している。
テロ組織アルカイダのリーダー、ザルカウィの暗殺に成功した後、自らイラクを
訪問、マーリキー首相率いるイラク指導部の主導権確立に全力を注ぐなど、今秋
の中間選挙を前に、なりふり構わぬ力の入れ方だ。大統領の三選が禁止されてい
る米国のこと、ブッシュ大統領の思惑は、2001年9月11日に始まるテロ戦
争、それに続く失敗の連鎖の一幕に、なんとかうまく終止符を打つ幕引きを模索
しているのであろう。ブッシュ政権の中枢自体は、イラク戦争が惨めな失敗に終
わったことを認識しているものと思われる。
 
 昨年のサミットあたりから、欧州の首脳は、ブッシュ政権首脳部の窮状を読み
取り、暗黙に助け舟を出したようにも思われる。ブッシュ政権の安全なイラク脱
出を見守り、いかなる意味でも、ブッシュ政権を追い詰める事をしないというこ
とだ。別にブッシュ政権に味方するわけではない。これ以上追い詰めると、ブッ
シュ政権が、欧州をも巻き込んで致命的な動乱を起こすかもしれないと踏んだか
らだ。イランかもわからないし、北朝鮮かもしれない。それくらいの度胸はある、
と見たのだろう。ロシアと中国も、それぞれに思惑は違っても、今のところ、こ
とを荒立てまいという認識では共通している。
 
 ここのところ、政治談義だけでなく、まともな國際政治論争が起きていないの
も、このような、米欧の政界、言論界、学界といった知的世界の閉塞した状況が
原因だと思われる。ましてや、北朝鮮問題のような、人権問題という、これまで
日本が避けてきた本質的問題を突きつけられ、慌てふためている日本の知的サー
クルとしては、当然のことであろう。
ともあれ、ブッシュ政権の幕の引き方を踏まえた上で、じっくりと論議しよう
というわけだろう。そのような知的に怠惰な論壇に飛び出してきたのが、仲井氏
の近著なのである。
 
 本書は、冷戦体制の崩壊、米国中枢への同時多発テロ以後の世界を、米国の覇
権、イスラムの復興、中国の挑戦、ヨーロッパの再生と言う目で捉えている。そ
して米国のユニラテラリズム(単独行動主義)、イスラム原理主義の登場と文明の
衝突、平和台頭と覇権台頭かで悩む中国、欧州連合(EU)の東方拡大が包含す
る欧州の「多文化」化とトルコの「欧州」化などを挙げている。すばらしい分析
である。本書を通読することで、冷戦時代のほとんど、日本に帰ることなく、欧
州の最前線、西ドイツで、生き抜いてきた仲井氏らしい、視角の鋭さを味合うこ
とができよう。また精読すると、随所に日本的なものの見方を拒否する欧州的な
もののみ方を享受することもできよう。本来、國際政治評論家、あるいはジャー
ナリストが、書くべきだったのかもしれない。
 
 おおむね、論旨にも同調するところが多いのだが、引っかかるところがある。
氏も書いているのだが、国民国家の衰退である。国家同士、あるいは国家連合の
やり取りなどを通じ、現代の國際政治を横軸として貫いているのは、国民国家の
統治能力の著しい減退である。そして国家に代わるものとしてさまざまな非国家
行為主体の登場である。また国民国家自体が、「多文化」化し、国家自体の性格
を変えつつある。地域統合の動きも激しい。

欧州連合(EU)の目覚ましい進展にも見られるように、地域統合(リージョナリズ
ム)がどう発展していくのか、この点が、これからの国際政治、世界政治を左右
するだろう。いまリージョナリズムが、もっとも急進展しているのは、欧州であ
る。欧州におけるリージョナリズムが、どう発展していくのか、によって、国民
国家を下敷きにした世界地図、國際政治地図は、大きく変化するだろう、さらに
他の地域でも、国民国家を基づいた勢力地図は大きく変わらざるを得ない。もう
客観情勢は、そこまで来ているのである。
 
 おおむね同調するといったけれども、その上で、これからここに指摘されてい
ることをめぐって、議論を深めなければなるまい。そのための材料として、一点
だけをあげておこう。
 イスラムの寛容性については、さまざまな材料がある。いまここでは多くをい
うまい。ただ氏が、文明の衝突の危険な例として、ハンチントンのいう断層線を
挙げている。断層線のことを、氏は「二つの文明圏が交錯する地域」のことだと
いう。意味はその通りである。一方、断層線は、地質学上の用語で、fault line 
のことである。

  日本では糸魚川断層線が有名である。欧州でもそうだが、高々、5,6メート
ルの化石でも出てくるような地層上の線である。人間が歩いて超えることは自由
である。ところがハンチントンが、指摘しているような文明間の交流が取り上げ
られる地域では、特に中東では、断層線は、砂漠を旅してぶつかる高さ百メート
ルにも達し、幅は何キロにも及ぶ長大なものである。先に行けないと絶望観が襲
ってくる。このような断層線にめぐって、中東ではいろんな伝説があり、親子、
愛する男女の愛情とかを描く格好の材料となる。欧州でもこの種の話は伝わって
いる。とても歩いては超えられる代物ではない。

昔だったら、断層線の上と下は、交通途絶である。ハンチントンが、どういうつ
もりでいったのか、わからないが、文脈からすると、文明間の交流の困難さとい
っているのだろう。中東の人々は、ハンチントンの断層線をまじめに考えて、ほ
とんど交流が途絶しているのが自然の文明間の交流という意味で捉えている。 
そういう超えられない文明の重荷を背負った人々の共存というか、対話である。
それを寛容と見るか、信仰についての厳格さと見るかは、意見も分かれよう。
 
 昨年、レバノンのベイルートで面白い話を聞いた。知り合いの女学校の校長で
ある、パレスチナ人の女性に、米国人がきて、「あなたクリスチャン(ギリシア
正教徒)なんだって。イスラム教徒ばかりにところにきて、長いことがんばって
いたのね」と同情的に言ったという。彼女は「あたしたちは2千年前から、ここ
にいる。イスラムは後からきたのにね。でもそんな歴史を知らない同情論がかえ
って事態を悪化させるのだわ」と嘆いていた。 
いずれにしろ、この本は、もっと議論を巻き起こすべきである。恐らく反論も
あるだろう。米欧でこの種の議論が盛んになる前に、日本で議論を起こすべきだ
ろう。

              (筆者は東海大学教授・元共同通信論説委員長)

                                                   目次へ