ミャンマー通信(14)

「水掛祭」そして新年

中嶋 滋

 ヤンゴンは1年中で最も暑い季節を迎えています。連日35度を超える日が続きます。「水掛祭」が行われ新年が祝われます。10日間の連休となり工場は完全に閉じられ地方出身の労働者は故郷に帰ります。ほとんどすべてが休業状態になります。市内のレストランの90%以上が店を閉めるといわれます。ヤンゴンに暮らす人々は派手に水をかけられながら「祭り」を楽しんでいるように見えます。市役所前にはとりわけ大きく立派なステージが作られます。

 主要道路の両側は企業名などが入った矢倉というか小屋掛け風のものが立ち並び、そこから通行人に誰彼の別なく水がぶっかけられます。濡れる覚悟さえすれば暑さしのぎにもなり結構楽しいものなのでしょう。
 スケジュール調整をする際にも、この期間は全ての行事予定から完全に除外されます。それは調整以前の当然の前提なのです。先日ITUC本部からこの期間に会議設定する提案がありましたが、ミャンマー側の反応は「あなたたちはクリスマスやイースターに会議をしますか?」というものでした。

●31年ぶりの国勢調査

 「水掛祭」や新年を祝う連休の直前、3月30日から4月10日にかけて全国一斉に国勢調査が実施されました。ミャンマーにはあらゆる種類のデータが不足しています。ほとんどないと言っても過言ではありません。例えばGDPもIMF推計という形でしか数値は得られません。長い間続いた軍事政権の下で、統計がとられなかったからです。

 この国の人口は6,000万人余りと言われていますが、推計に過ぎません。男女比、人口構成など基礎的なことも正確には分かっていません。全て推計な訳です。なにしろ1983年以来国勢調査をやっていませんから、基礎的なデータとしていわれる135の民族からなり約70%がビルマ族、90%が仏教徒でキリスト教徒5%、イスラーム教徒4%ということも推計です。

●国連人口基金(UNFPA)などの支援の下で

 今回の国勢調査は、UNFPAやイギリス、ドイツ、スイス、オーストラリア、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの各国政府が支援金を提供して実施されています。
調査に要する費用は約7,400万米ドル(約74億円)といわれ、ミャンマー政府が1,500万ドル、UNFPAが500万ドルを支出し、残りはドナー国が負担するようです。移民・人口省が担当省で、全国で約14万人を調査員として、約2万人を監督官として、その大半を教員に担わせ実際の作業を進めています。調査結果は3段階に分けて発表される予定だといわれています。最初の結果は今年8月、主要な結果は2015年第1四半期、そして分析結果を伴った報告書は、2015年11月に公表の予定だとのことです。

●私も調査対象?

 4月8日朝10時に区役所(ward office)に出頭するように伝える文書が届けられているのに気がついたのは、前日の夕刻のことでした。指定の時間は他の用事が入っていたので、連絡の上、午後に変更して役所に出向きましたが、そこに待っていたのは役人と思われる3、4人の男性と6、7人の女性教師でした。ミャンマーでは女性教師は白ブラウスと緑のロンジーという制服を着ていますからすぐ分かるのですが、彼女たちが調査員として調査事項に関する聞き取りと調査票への記入の作業を行っていました。ちなみに彼女たちには1日1,500チャット(150円強)の日当が支払われているとのことでした。

 私の場合、名前と国籍をパスポートとビザとに照合することから始まり、生年月日、年齢、宗教、既未婚、所有財産(車、バイク、自転車、テレビ、パソコン)の有無を聞かれ、調理にはガスと電気のどちらを使用しているか、水はピューリファイした水を買って使っているか否かなどが聞かれました。最後に国勢調査実施済みのステッカーを渡され最低3ヶ月間部屋の入り口のドアに貼っておくように言われて終了でした。

 外国人も調査対象になるのか聞いたところ、長期滞在者はなるとのことで、その判断は滞在ビザの期限によっているようです。私の場合、1年間有効のマルチタイプのビジネスビザですから、1年以上の滞在者が対象のようでした。

●少数民族からの懸念

 国勢調査は全ての民族、地域で歓迎されているわけではありません。例えばカチン独立機構(KIO)は、支配地域への調査員の立ち入りを認めないとの態度を明らかにしました。彼らは中国との国境沿いの広い地域を支配していて、最近の紛争で発生した4万人以上の国内避難民を保護しているといわれています。ワ、パオー、モンなどの民族集団も、国勢調査が地域に及ぼす影響に懸念を表明しています。これらの少数民族が、国勢調査によって自分たちの民族の人口が少ないとされれば、地元議員の数が減らされたりして民族としての政治的発言権が弱まる可能性があるとして国勢調査に否定的なのです。

 調査項目は41に上りますが、問題なのは民族と宗教に関する質問で、特にムスリム系住民とアラカン州のロヒンギャ民族が大きな危険にさらされる可能性があるといわれています。既に2012年以来、暴徒がロヒンギャ民族、ムスリム系住民や国際支援団体を襲撃する事件がおこり、事務所や住居などが破壊されて、避難せざるを得ない事態となっています。その状況下で国勢調査を実施すれば、民族アイデンティティ問題をさらに深刻化させる危険性があるといわれています。

 1982年の国籍法が実質的にロヒンギャ民族の国籍を認めていないため、推定80万人といわれるロヒンギャ民族の多くが無国籍状態におかれています。アラカン州の主都シットウェーでは、国勢調査に反対し、「ロヒンギャ」と民族欄に記入することを認めた政府の対応を批判するデモが数週間続きました。地域の有力者はアラカン族仏教徒に国勢調査をボイコットするよう訴えました。その呼びかけは反イスラームの過激な仏教僧侶が主導する民族主義的運動によって全国的な波及をみせ、国勢調査にロヒンギャ民族ムスリムと回答できることに反対するデモは、ヤンゴンでも行われました。

 ミャンマー人、とくにビルマ民族の人の多くが、ロヒンギャという民族はないといいます。ミャンマーに住んでいる「バンガリー」(バングラディシュ人)だというのです。しかし、彼らの祖先は120年も前からミャンマーに住んでいて、自らをロヒンギャ民族だと主張しています。この主張が何故受け入れられないのか。彼らの多くがムスリムであることも絡んで、過激な民族主義的仏教徒からの攻撃が国勢調査を機に勢いを増すことが憂慮されます。

●真相は?

 旧聞に属することですが、ビザ更新にかかわって2月から3月にかけて長めの一時帰国をとらざるを得ないはめに陥りました。私に発給されているビザは、有効期間1年、マルチプルタイプ、1回の滞在期限70日のビジネス用ですが、この更新に思わぬ時間を要してしまったのです。前のものの有効期限が2月20日でしたから19日に帰国し20日に更新手続きをして、交付まで3、4日かかるのでその間に日本でせねばならない用事を済ませ25日頃にヤンゴンに戻るのが当初の予定でした。そのための準備、例えば受け入れ承諾や滞在保証などについてのミャンマー政府への要請などを済ませ、仲介者の「大丈夫」との確認を得て更新に臨んだのですが、スムースにことは運ばなかったのです。

 1年前のビザ発給の際は、今回と全く同じ方法で問題なく済みましたから、戸惑いました。在日ビルマ大使館の担当者は、本国(外務省)から何の情報も書類も届いていないので発給できないといい、一応申請は受け付けるが連絡するまで待っているようにという対応に終始しました。仲介者に連絡をとったところ「ちゃんとしてあるから大丈夫だ。少し待つように」とのことで、待つことにしたのですが、連絡がないまま数日が過ぎ、当初の予定を変更せざるを得なくなりました。

 3月初旬に日本で出席する予定の会議があり、一旦ヤンゴンに戻ってから10日程で再来日する予定であったのが、日本に居続けねばならなくなったのです。そのためヤンゴンでの予定を変更するはめになったのですが、その連絡の際に仲介者に要請したことが実施されたか否かの再確認を求めました。失礼な話なのですが、「ミャンマー的おおらかさ」の「被害」経験を何回かしていましたので、切羽詰まった状況下で確かめざるをえなかったのです。問い合わせへの答えは、大統領府からの2月14日付公式書簡で外務省に要請が出されているというものでした。それを知らせるメールのコピーをもって大使館に出向き、早急な交付を要請しました。コピーを見た大使館側の対応は好意的なもので、早速上司と相談して至急の対応をとるというものでした。しかし、事態は動かなかったのです。

 連絡を待ちながらの無為のまま数日が経ち、少々焦りを感じた私は、ミャンマー政府内に少なからぬ知人がいると聞いていた友人の元政府要人S氏に、発給されない理由が何なのか問い合わせて欲しい旨お願いしました。氏がどのように動いてくれたのか定かではありませんが、事態はドラスティックに動いたのです。翌日の朝、更新されたビザを手にすることができたのです。

 大幅に発給が遅れた原因は一体何だったのか。本国と出先の関係・連絡の悪さなのか。政府内・省庁間に意思疎通の悪さあるいは対立があるのか。それは民主派と抵抗派の対立なのか。私の過去1年間の活動のあり方に問題があったのか。それに関して省庁間で評価の違いがあったのか。労働省の態度はどうだったのか。それとも政府内の「ミャンマー的おおらかさ」の故に遅れただけなのか。S氏の関与の後の急展開はどのようにして起ったのか。いろいろ考えましたが分かりませんでした。

 分かったことは、未だ人治の世界がはびこっていて、法治になっていないということです。それに、民主化に向けたプロセスがまだら模様で、一様にすっきりとした方向はとられていないということです。友人は「いいじゃないか。ゆっくり日本で鋭気を養うように、ミャンマー政府が粋な計らいをしてくれたと思えば」といったが、そんな気にはなり難い展開でした。

 (筆者はヤンゴン駐在・ITUC代表)