【コラム】

酔生夢死

「民度のレベルが違う」ってさ

岡田 充

 米ミシガン州で起きた警察官による黒人暴行死事件(5月25日)は、反差別運動を世界に拡大した。英国、ベルギー、フランスなど旧植民地宗主国では、奴隷商人や国王の銅像引き倒し・撤去運動に発展。米国でもコロンブス像引き倒しや南北戦争の南軍将軍の名を冠した基地の改名運動へと連動している。
 銅像破壊と言えば、旧ソ連崩壊時のレーニン像やイラクのフセイン元大統領像の引き倒しの記憶が蘇る。よく似た風景だが本質的に異なる点がある。それはこれまでの偶像破壊が、被害者側による「復讐」だったのに対し、今回は加害者側も含め差別を内面化し、植民地・帝国主義による加害歴史を清算しようとしているからだ。

 コロナ・パンデミックによる都市封鎖で、閉塞感を募らせた若者たち。街頭に再び出れば「解放感」に浸っているに違いない。破壊衝動は解放感を高める「調味料」にもなるだろう。しかし欧米の白人を中心に描かれてきた歴史の見直しを迫る運動は、「Culture Revolution」(文化革命)と言っていいのではないか。
 アマゾンなどのプラットフォーマーが自社サイトに「ブラック・ライブス・マター(黒人の命が大切だ)」と表示。アディダスやナイキなどスポーツ・メーカーも、反人種差別キャンペーンを開始した。黒人顧客を意識した「商業主義」と言えばそれまでだが。

 翻って日本。「うちの国は国民の民度のレベルが違う」と発言(6月4日)したのは、麻生太郎財務相。日本のコロナ感染の死者が他国に比べ「少ない」のを自画自賛したのだ。野党議員に批判されると今度は「韓国と一緒にせんでください。要請しただけで国民が賛同し頑張った。国民として極めてクオリティーは高い」と繰り返した。
 この発言のポイントは「民度」。広辞苑によると「人民の生活や文化の程度」を意味するとある。自分と異なる人たちを能力が劣る下位に置くことで「自らが高みにあることを表現する時に使われてきた」と解説するのは、国文学研究資料館室長ロバート・キャンベルさん。

 だがコロナ感染による死者数は人口10万人当たりで英国は54.2人、米国30.0人。それに比べ日本は0.6人と確かに低い。でも韓国は0.5人だし、中国0.3人、台湾0.03人。「強制力」のあるなしにかかわらず、アジア各国は欧米諸国に比べて総じて低い。「民度」とは何の関係もないのは明確。
 麻生発言については批判がある一方、「本音を代弁してくれた」と評価する声もある。日本人の深層に横たわる意識かもしれない。この人はかつて、日本の植民地支配当時の台湾の義務教育やインフラ整備を自賛する発言を繰り返し、「親日」のはずの台湾から批判されたこともある。コロナ禍から加害歴史に学ぶ欧米の若者とは、「民度のレベルが違う」と言うべきか。

画像の説明

  米国で引き倒されたコロンブス像~FNNニュースから

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