■【随想】根を張って

―韓国の生態学者ファン・デグォン― 高沢 英子

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 今年は暖冬で、異常に暖かいと思うと、彼岸も過ぎてから、にわかに、冷たい
雨が落ち、突風が吹き抜けるといった具合に、不順な日が続いた。そして何がな
にやら分からないうちに桜の季節となってしまった。待たれていた花とは別に、
冬の間、茶色にすがれて地に伏していた野草たちも、一雨ごとにぐんぐん若緑の
茎を伸ばし、柔らかい葉をつけ、いたるところで、つぎつぎ可憐な花を咲かせ始
めている。

 家の近くに昨年出来たスーパーマーケットは、駐車場脇に、ささやかな空き地
があり、躑躅や皐の潅木と、さほど背の高くない落葉樹が一定間隔に植えられて
いる。都市の緑地化協力のひとつなのかもしれないが、あまり手入れはよくなく、
夏の盛りにはあらかた枯れたりしたが、その後、新しく苗木を補充して、春めい
てきた今日この頃、緑の若葉が芽をふき、皐はぼつぼつ赤い蕾をつけ始めた。そ
れと前後して木と木の間に、地を覆うように、一面にさまざまな野草が生え出て、
ざっと勘定しても、十数種類の草が、思い思いに場所を占め、いたるところで白
や黄の花をつけている。

 ここでいま、一番多いのが、春の七草に数えられている、ゴギョウ,一般にハハ
コグサ、と呼ばれているキク科の草で、白い繊毛に被われた柔らかい薄みどり色
の葉をつけ、茎の先に黄色い花を咲かせている。
 鶏が好むハコベラは、皐の木にまつわりつくように伸び、片隅では、カタバミ
の小さな葉が、地にへばりつくようにひろがっている。土と似た褐色の葉で、よ
くよく注意してみないと、殆ど目に付かないが、これもまだまだ殖えそうな勢い
だ。
 ナズナはもう茎を長く伸ばして立ち上がり、小さな白い花を咲かせ、ぺんぺん
草と呼ばれるゆえんの特徴あるばち型の種をつけている。一株で9600粒の種
がとれる、というから、その繁殖力は絶大なものである。

 買い物の行きかえり、朝夕、足を止めてひとつひとつをじっくり眺める。とき
どき摘み取って、壜に挿したり、紙に広げて机の上に置いておく。子供のころか
ら、これはやめられない。
 清掃係りらしい人が、小さなスコップや熊手みたいなもので作業していると、
草引きはほどほどにして、と願いたい気持ちになる。
 野草は眺めて楽しむばかりではなく、食べてもおいしい。古人はそのことをよ
く知っていた。一説には、人間はもともと野生動物が食べない草を菜ものとして
食べたのではないか、という。わたしたちがいま食べている野菜は、まったく人
工的に栽培されているにもかかわらず、いまだに野菜と呼ばれているのはそのせ
いかもしれない。ある研究者の実体験によれば、カモシカはナズナを絶対食べな
いそうだ。

 ところで、韓国にこうした野草の役割と魅力を、徹底的に追求し、実践した、
ひとりの環境生態学者がいる。表題の「根を張って」とは、実はこの人物が20
01年あるところで講演したときの演題であり、わたしはそれを、NHK出版か
ら出された「野草手紙」という日本語訳の著書の末尾につけられていた講演録か
ら取った。
 著者は韓国のもと農学者、ファン・デグォン(黄大権)。日本で一昨年の春、翻
訳がすでに出ているから、ご存知の方も多いかと思うが、わたしは寡聞にして知
らなかった。

 先日、偶然書店で見つけ、「野草手紙」という表題に心惹かれて、手にとった。
表題の下に小さな字で―独房の小さな窓から―という副題がつけられている。帯
に「妹よ,わたしはここでささやかな命の無限の力を見た。」という抜粋が大きく
印刷されている。ぱらぱらとめくってみた。なぜ独房の小さな窓から,なのか、そ
こには韓国民主化の長い道程と苦悩が秘められている。
 1979年、朴正煕大統領の暗殺事件のあと、やや荒っぽいやりかたで、実権
を掌握し、1980年、大統領に就任した全斗換の治世時代は、今振り返っても、
韓国の国民や又日本にとっても波乱に満ちた時代だった。

 国内では、改憲や反政府運動がいっそうの盛り上がりを見せ、全国的な学生組
織による反米・反独裁運動も激しさを増す中で、当局は強引な弾圧を行った。そ
のひとつがスパイ事件の捏造である。
ソウル大学の農学部を卒業後も反政府運動の活動を続けていた黄大権、(ファン・
デグォン)は当時アメリカで政治学を学んでいたが、たまたま帰国中に、この「欧
米留学生スパイ団事件」に巻き込まれ、ソウルの南山にあった国家安全企画部に
連行される。1985年のことだった。そして北朝鮮のスパイというでっち上げ
のもとに,60日間続けられた拷問の末、無期懲役を宣告された。
 そして、その後、軍事独裁時代が終わりを告げ、民主化の波がようやく韓国に
も平穏を齎しはじめた1993年になって、アムネスティインターナショナルに
よってようやく開放される。13年2ヶ月におよぶ獄中生活であった。
 監獄では一切の文書を所持することは許されず、書いたものはすべてとりあげ
られてしまう。そこで著者が思い立ったのは、日々の記録や感想を手紙に書き記
して外に送ることだった。それは主として妹ソナに宛てられたようだ。
 監獄の片隅に自称「花壇」を作り数十種の野草を育てながら、独自の生態共同
体の哲学を体得して行く過程をたどることができるのは感動的だ。

 手紙には力強いデッサンで正確に写生され、美しく彩色された野草や、そこに
生息する生き物たち,蛙やカマキリなども登場する。ちなみに著者は生来画才に富
み、本格的に勉強したこともあるという。
 こうしてほぼ六年にわたって、というのも最初の数年は、身に覚えのない罪状
で囚われの身になった過酷な状況に対する怒りや怨念に突き動かされ、ありとあ
らゆる抗議行動を試みたり、拷問による全身の障害に悩まされ、それどころでは
なかったからである。
 やがて、道端の名もない野草の存在が、こうした彼の心を徐々に変えていく。

 文章は簡潔で、妹や友人に宛てているだけに、暖味とユーモアが感じられ、訳
者清水由希子氏は、その味を十分出していると思われ、ただただ感動する。苦し
みの果てに著者が到達した心境は、澄明なものであった。のちにかれは述懐して
いる。
 ―塀の中で出会った草たちは、外の世界ではけっして悟ることのできなかった
ことを教えてくれた。(中略)それからというもの、刑務所は、「一日でも早く脱
出すべき、呪われた場所」ではなく、「自己実現の場」となった。言葉を変えれば、
その頃からわたしは、懲役生活を「楽しみ」はじめた。―
 
 編集者、ナ・ムソン氏によれば、六年間の手紙は、封緘はがきに古いボールペ
ンでぎっしりと克明にかかれ、片手ではつかめない量だったという。写生された
野草は絵の具で丹念に彩色され、書体も揃っていて、本にその一部が掲載されて
いるが、なかなか美しい。  
 さて、手紙とはいえ、ごく私的な部分は注意深く割愛して仕上げられたこの本
は、韓国で8万部の大ベストセラーになった。
 「根を張って」の講演の中で,彼が述べている言葉は、ある意味で人間の思索の
原点と思われる。少し長いが、ここにほぼ全文を引用しておく。
「いざ刑務所に入って最初にぶつかる壁は何かというと、たったひと坪の部屋で
生活する、ということでした。することが何もないまま部屋に独り座っていると、
出会うことになるのが自分の身体です。自分の身体のほかには、何もないのです
から。今は亡き詩人、金南桂の作品に、こんな一節があります。『牢獄に入ったこ
とのある人なら知っている。牢獄には、独房には、すべきことがまったくないと
いうことを。独房に座り込み、自分の身体の一部を手にとって揺すること以外に
は、すべきことが何もないのだ』。実際、そうなのです。だから自然と自分の身体
を観察することになります。ほかにはすることがないのですから。いったいこの
身体がどこから来て、どんな格好をしていて、どう反応するのか、そんなことを
観察するようになります。わたしの生態主義は、ここから出発しました。野原に
出て自然を観察し、鳥と戯れているうちに生態主義者になっていくのではなく、
生態主義者は自分の身体から出発するのです」
 また、かれがスケッチ画の片隅にサインした文字「BAU」は、13歳で殉教し
たカトリックの聖人、ユ・デチョルの聖霊名ペトロの韓国語意訳、という。
                   (筆者はエッセイスト)