■「新春随想」  東海大学名誉教授 河上 民雄

                     聞き手 編集部   加藤 宣幸

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編集部 加藤 宣幸

新年おめでとうございます。

昨年は「災い」の多い年でしたが、今年は敗戦60年、日露講和条約

100年、日韓正常化40年、バンドン会議50年、阪神大震災10年など日本

の歴史にとって節目の年であり、さらにプーチンロシア大統領の来日、

「東アジアサミット」の開催、第60回国連総会開催、京都議定書の発効

など新しい歴史の動きも始まろうとする年でもあります。

これらを踏まえ河上先生から「新春随想」ということで御自由な感じで

お話をお聞かせ頂きたいと思います。

先生はバンドン会議30周年の記念会議には出席されておられますが。

河上民雄 そうです、団長は自民党の伊東正義氏で私は当時の日本社会党を代

表して参加しました。

加藤 「平和五原則」を確認しあったバンドン会議の精神が広い意味では今

日の「東アジア共同体」の夢に生きているとも考えられますが。

河上  私たちにとって、「1945年体験」=「敗戦体験」というものは、おそ

らく死ぬまで忘れられるものではないと思いますが。これが一人の経験

でなくてある意味では民族全体の共通経験ですね。こういうのは滅多に

ないことです。

ところが今の若い人、特に国会に席を占めている政治家でも何か全然

ピントこない。われわれが切実に感じるようなことに感じないのですね。

「1945年体験」があまりにも粗末に扱われている感じがします。

ただ、1945年から50年前ということになるとちょうど日清戦争が終わっ

た年になるのですが、われわれは、あの頃、日清戦争などというと遠い

昔の霞の奥の出来事と思ったものですから今の若い人が1945年など

と言われても、あまりピントこないのも分からないわけではありません

が。

今年は日露戦争終結100年ですが、たしかに日露戦争はアジア人がヨー

ロッパ人に勝った最初の戦争という意味では、トルコの人まで含めたア

ジアの人たちに感動を与えたという面はありました。

しかし、日本から見ると日清戦争が近代日本にとって最初の対外戦争

(対外侵略)であって日露戦争をあれだけ単独に取り上げるのではなく

て日清戦争から、もう少し日本の歩みを見るべきだと思います。

御承知のとおり、日露戦争の時はかなり非戦論も出るのですが日清戦

争の時はほとんど非戦論というのはなかった。大多数の人、とくに自

由民権派は殆んど対外強硬論で、たとえば尾崎行雄もそうでしたが、

内村鑑三でさえ福沢諭吉の「文明と野蛮の戦争」という論理を使って賛

成しているくらいです。

そのなかで勝海舟だけがはっきり反対しているのです。 

勝の凄いところは勝った後も『みんな喜んでいるけれど、とんでもな

い。戦争というものは勝ったり負けたりするもので、そのうち日本が

逆運にめぐり会うのもそう遠くないよ』と警告しているところです。

もっとも『そう遠くないよ』とは言ったが日露戦争、満州事変、支那事

変と勝ち進み本格的な日中戦争になり日米戦争になって、挙句の果てに

総決算で全部負けてしまうわけです。

そういうことを考えると勝の予言というのは凄いものだと思います。

われわれは今でも福沢諭吉のお札を使っているけれど勝海舟の肖像画の

お札は使っていない。(笑い)

その辺の意識のずれというのは日本の針路があいまいになる一つのバッ

クグランドではないかと思います。

加藤  そうですね。最近、日露戦争を「勝った勝った」の側面からだけでな

く当時の「列強」の利害相克のダミーとして戦わされた側面もあるとい

う議論も出てきました。

河上 一番遅れた「列強」であるアメリカが講和の仲立ちをするわけですから

ね。

そういう風に考えることも出来ますね。日本としてはその後「満蒙

は日本の生命線」論でずっと大陸を攻めていくわけです。日本にとって

不幸というか間が悪かったというか日清戦争・日露戦争は19世紀型の

戦争だったが20世紀の戦争というのはまったく様相が違うわけです。

20世紀を振り返ってみると「戦争と革命」の世紀と言えるのですが2

回の大戦争と、その後はいわゆる冷戦がつづきます。学者のかたに聞い

ても第一次世界大戦と第二次世界大戦でいったいどれくらいの死者が出

たのかというと、計算の仕様が難しくって、あまりはっきりしないそう

です。

ある人に言わせると合わせて1億2000万人くらい死んでいるという

のですから日本国民全部がすっぽりいなくなると同じ勘定です。しかも

それが軍人の戦死者だけでなくて8割くらいが一般市民なのです。

日本も例外でなく、戦没者慰霊の式典などでは尊い犠牲者310万人と

言いますね。

ところが盧溝橋から1945年までの戦死者で靖国神社に祀られている

人は230万人でそのちがいの80万人と言うのは何なのか。これこそ

一般市民なわけです。

しかも、それが殆ど1945年の数ヶ月に集中している。それに対して

国家は何もしていない。

たとえば、第2次大戦を通じてこんな悲惨なことはなかったのだが、東

京大空襲は一夜にして10万人が殺されたのに国は何をするわけでもな

い。

「林家こぶ平」のお母さんでエッセイストの海老名香葉子さんがあの犠

牲者たちの霊をどうしても慰めたいと言って慰霊碑を建てようとするの

ですが土地がない。公園は役所が認めない。結局、上野寛永寺子寺の現

龍寺が土地を提供してくれて建てるわけですが、彼女は戦争中に小学生

で学童疎開から帰ってきたら3月10日の空襲で親も兄弟も全滅で自分

1人になってしまったのです。

彼女は数年前に皇室の一家団欒の写真を見ると胸の中から熱いものがこ

み上げてくると言っていましたが慰霊碑は彼女個人の想いでやるしかな

かったのです。

これも一緒にしたら靖国神社の意味がなくなるという心配があるものだ

から一般市民は切り捨てるということになっている。

つまり、日本には20世紀的戦争の形態や本質に対する理解がまったく

なく、このように日清・日露戦争の延長で20世紀を迎えたところに日

本の不幸というか、過ちがあったのではないかと私は考えるのです。

加藤  司馬さんも日露戦争で勝ってしまったのが日本の不幸の始まりという

ことを言われていましたが。

河上  私は司馬さんのように明治は偉かった。大正・昭和は駄目なんだという

議論はどうかなと思いますね。むしろ大正・昭和は明治の敷いたレール

をあまりにも忠実に走ってしまったために、ああなってしまったので、

そもそも、明治から誤りがあったと見なくてはならないのです。

加藤  日清戦争のときの日本側の「大義名分」は何だったのですか。

河上  福沢諭吉は政府に仕えず在野の思想家で一貫したのですが、文明開化の

イデオローグとしてその考え方は明治の国論に大きく影響したと思いま

す。

つまり、『文明とは段階があって野蛮から半開そして文明に進む』。彼

が「文明論の概略」を書いた頃には日本はまだ半開だから早く文明に進

まなくてはならないと主張したのです。ところが明治15年頃になると

日本はもう文明だ、だから野蛮な清国や朝鮮にたいして欧米人がわれわ

れにやったと同じようなやり方で啓蒙せねばならないというわけです。

しかし、勝は徳川より明治が上だというのは可笑しいと言います。彼は

『古今の差なく、東西の別なし』と言って昔悪かったことは今も悪いの

だ、昔良かったことは今も良いのだ。明治のやることをすべて正当化す

るのは可笑しいと主張します。

彼は日清戦争に反対するとともに「閔妃暗殺」などは野蛮の最たるもの

だとはっきり言い切っています。

加藤  その「閔妃暗殺」から今年は110年です。

河上  勝が例に上げているのは生麦事件、東禅寺事件、御殿山事件であとの二

つはイギリスの公使館を襲ったもので、生麦事件は御承知のように大名

行列を横切ったイギリス人をたたき斬ったものですし、それに明治のニ

コライ皇太子を巡査が斬った大津事件と下関の講和会議のときに李鴻章

を斬りつけた事件、京城事変(閔妃暗殺)を加えた6つです。

そのうち5つは全部個人がやったもので、閔妃暗殺だけは国家の行為で

す。宮廷に押し入り皇后を暗殺したのです。

閔妃暗殺を6つ目に並べているのは明らかに伊藤や陸奥に対する批判を

意味しています。個人の行為は不心得者がやったもので、ある意味では

防ぎようがないものですが「閔妃暗殺」だけは公使自ら先頭に立って

やったわけで、こんな野蛮なことはないと言っているのです。「閔妃暗

殺」を野蛮だとはっきり言ったのは恐らく彼くらいではないでしょう

か。

閔妃がロシアに傾いたから消さなければ日本が危ないという理由をつけ

ていたわけで殺して当たり前だと言う風潮でした。

加藤  勝さんが亡くなられたのは明治32年ですか。

河上  32年1月です。『古今の差なく東西の別なし』という事を言うのです

がやっぱり「発展段階説」でないと今の社会科学の枠に巧くはまらない

わけですね。

最近、松本健一という評論家が、岡倉天心の「東洋の目覚め」のなかの

『ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱である』という言葉が日本の20世

紀における一つのテーマになったと言っておりますが、日本は中国や朝

鮮を侵略していながら何か屈辱感を晴らすような気持ちでやってきてし

まったのです。

これは20世紀の特徴であるナショナリズムの高揚をまったく無視した

議論なのですが、最近の中国人の若い人に会っていると『ヨーロッパの

栄光はアジアの屈辱である』というようなところから発想する人はほと

んどいません。もう少しでわれわれは対等になるのだといって怨念とか

感じない。

ところが日本は相変わらず屈折した気持ちがあって日本はアメリカに占

領されているという意識が親米派にも右翼にもある。

中国や韓国が伸びて来ると何を生意気なという気持ちになってしまい、

これと一緒にやろうというところになかなかいかない。

加藤  日本が経済の規模で中国に越されるのは間もなくですね。

河上  一人あたりの国民総生産では日本がまだまだかなり上ですがマスとし

てはそうです。

新幹線問題などでは中国としても日本は近いし、修理などは日本が得意

ですから、本当は日本にやらせたいんでしょうが小泉首相の靖国神社参

拝がネックになってなかなか決められない。その結果、ヨーロッパと天

秤に架けられたりしている。

勿論、日本側にも技術を全部とられちゃうんではないかと腰が引けてい

るところもある。

加藤  中国もかってのような絶対的な共産党統治支配体制と現在の状況とでは

だいぶ違ってきていて長期的には民主化の方向に動いていると考えられ

ますが。

河上  そうです。インターネットなどによる情報化は日本で想像する以上に発

達普及していて生活は貧乏でもインターネットだけは多くの人がやって

いる。

たとえば新幹線問題で日本にやらせるような示唆をするとインターネッ

トで何百万と反対のアクセスが殺到してとても決められないと言うので

す。

これでは指導部も「正式な民主主義」ではないけれど日和らざるをえな

い。

加藤  BSのTVで香港の討論番組を時々見ますが先生はご覧になりますか。

河上  たしかに面白いですね。

加藤  私が注目しているのは都市部だけでなく延安や東北など全国各地からリ

アルタイムでぞくぞく賛否の反応が入ってくることです。この情報化の

進展をみるといかに共産党の政府といえども国民世論を簡単に押さえ込

むのは難しいと思いますね。

河上  日本ではまだインターネットで政治が変わるとこまでいっていないです

が、韓国では今の大統領が当選したのはインターネットのおかげだとい

うのが周知の事実です。ネットでの若者の動員が盧武鉉氏の劣勢を逆転

したわけです。

日本でもいずれ変わるのでしょうが政治家・ジヤーナリズム・有権者と

それこそ「三位一体」で早く変わらないと駄目です。

加藤  日本の社会も情報化の道具としてインターネットなどはドンドン発達さ

せないと遅れてしまいます。

河上  今までは20世紀の科学技術発展の成果、とくに情報技術についてはテ

レビでも映画でもラジオにしても全部を権力側が握ってしまっていたの

ですがインターネットだけは違うのです。

従来は情報の発信所が限られていて大衆は情報の受け手でしかなか

ったのですがそれに比べてインターネットの場合は大衆の側から発信す

る場合もある。

したがって権力者と大衆とで情報発信の主導権争いになると20世紀に

は95対5ぐらいだったものがインターネットでは少なくても50対50く

らいの感じになっている。

21世紀の動向を占うためにはインターネットがどういう政治的効

果を上げるかと言うのが一つの指標になります。

20世紀にはヒットラーが映画にせよ、ラウドスピーカーにせよ、照明に

せよ全部うまく使ってしまい、当時、社民党や共産党がやったという

ケースは聞かなかった。

ヒットラーが成功したものだからスターリンも真似するのです。

共産圏は大体ヒットラーの真似ですよ。ピヨンヤンに行った時、人

文字を見せられたけれど、これはまさにヒットラーの真似だなーと思い

ましたよ。

加藤  ソ連共産党の支配体制が崩壊したのは、まさに中央による情報の閉

鎖が社会の進歩を遅らせ、情報の管理も限界にきて管制もほころび、国

民を一方的に支配し管理できなくなった

結果だと思いますが。

河上  ピヨンヤンには仕事のためながら3回行っているのですが明治の日本を

真似ているような感じでした。

地下鉄に乗ったとき、車両の一部に柵で囲われたところがあって人が入

れないようになっていたのでこれは何ですかと聞くと「金日成主席が19

00何年にここで現地視察をされました」と言うのです。明治天皇がど

こそこに行幸されたという記念碑が日本のあちこちにあるのと同じで

す。

明治体制と戦っているうちにだんだん敵の姿が映ってしまったのですか

ね。(笑い)

加藤  日本人の多くが北朝鮮の体制を笑っているのですが私たちの年代の者か

ら見るとついこの間まで、つまり戦争中は宮城前を通るときは市電の中

からお辞儀をしたり「御真影奉拝」といって学校の式典には校長が白い

手袋をして、うやうやしく天皇の写真をかかげて飾り、全員が拝礼した

のですから現在の北朝鮮とまったく同じで軍部独裁体制も似たようなも

ので、国際連盟を脱退して世界から孤立し、誰が見ても勝つわけのない

戦争に突っ込んでいった日本の姿そっくりです。

河上  そうです。鉄鋼の生産力にせよ石油の備蓄にせよ客観的に見ればまった

く問題にならなかったのですから。

加藤  当時の指導層がこれらの状況を分からなかったとは思えないのですが。

河上  伊藤博文・桂太郎・田中義一・松岡洋介など皆、留学や外地勤務してい

ますから分かっているはずです。それが「俺はアメリカを良く知ってい

る。あんなのはチョロイ」というのですから「アメリカを知っている」

というだけでは駄目なのですね。

本当の意味のリアリズムを身につけていないといけないと思います。い

までも北朝鮮にたいして『対話と圧力』とかスローガンにしています

が、最初から圧力加えますよと言っていたのでは圧力にならんのです

よ。(笑い)

かっても、いわゆる支那事変のころ「暴支庸懲」あるいは「国民政府相

手にせず」などと言って交渉したって巧くいくわけなかったですよ。

加藤  先生はたしか第1回の下田会議に招待されながら社会党から反対されて

出席出来ず第2回にはようやく出席を認めさせたようですが。

河上  当時、勝間田清一氏が委員長で電話をかけてきまして党の決定で反対と

いうことになると穏当でなくなるので私の気持ちを汲んで出席しないで

    欲しいというのです。

    委員長がそこまで言うのならと出発直前でしたが止めたのです。

    2回目は何がなんでも出るといったら、後から石橋書記長から電話が

    あってどうぞ行って下さいと言われたのですが、そのかわり羽生三七参

    議院議員を付けるというのです。

    河上一人ではいかんというわけです。

    ところが下田に着いたら社会党県本部の下田会議反対の大きな横断幕が

    ある。

    すると羽生さんは突然体調が悪くてと言って、ビビリ始めたのですが私

    がここまできたのだから「毒を食らわば皿まで」ということもある。集

    約の文章を作る時には先生の発言をたとえ1行2行でも必ず入れるように

    主催者側に約束させますから出席をやめたら何のために来たか分かりま

    せんと説得したのです。そしたら予定した発表を読み上げ、主催者側の

    山本正氏も1・2行付け加えてくれました。

加藤  山本正さんという方はフオーラムを組織されたり、いろいろと国際関係

    のコージネーターとして有益なお仕事をされておられますが、まだ御活

    躍中なのでしょうか。

    フォーラムといえば最近、インターネットで読みましたが在上海の有富

    修さんというジヤーナリストの方が日中・日韓などにある「歴史問題」

    を解決するための「一大歴史フオーラム」の開催を日本が呼びかけるよ

    う提唱されています。

    それは日中・日韓だけでなく欧米やオーストラリア、東南アジア諸

    国の専門家を呼び、場所もある程度、歴史的政治的に中立な場所(たと

    えばニュージランドあたり)を選んで1週間くらい徹底的に話し合い、

    その経過や結果はすべて世界中の関心ある人々に公開し自由にアクセス

    できるようにしたらどうかというものです。

河上  オーストラリアだと捕虜問題などもありますから、ニュージランドはい

    いかも分かりませんね。

加藤  こういう提唱を聞くと、長い間日中・日韓のみならずアメリカを含めた

    各国要人と人間的にも深い信頼関係を築いてこられた河上先生には大い

    に御活躍願えればと思います。

    かって社会党が日中国交正常化を主張していたころ、日中貿易は数%で

    日米貿易は圧倒的で日中関係などは「国益」に関係ないなどと言われた

    ものでしたが今や日米貿易を逆転する時代になっています彼らの言う

    「国益」論から見ても日本の外交感覚はあまりにもバランスを欠いてい

    ます。

河上  もう一つは中国自体が大きく変わる可能性があるということです。香港

    が返還された時に、いわゆる「一国二制」ということが言われました。

    当時、知り合いの中国の友人に50年後もこの体制でいくのかと聞いたら

    『50年たったら中国全体が香港になっていますよ』とあっけらかんに

    言っていた。

    今の日本の世論から言えば中国が文革のような状態でいて、北朝鮮は今

    のようなままでいつまでもいてくれるほうが良いというような発想が根

    底にあるようにも思えるのです。

    これが全部変わってきた時どうするか。たとえば朝鮮半島がもしドイツ

   のような形に近い姿で統一されたら7000万の人口です。今EUのなかで

   7000万というのはドイツ・フランス・イギリスなどのクラスです。だか

   ら日本としては誰も口にしないけれど分裂していてくれたほうがよいと

   いうような発想がどこかにあるのです。

    向こうが変わった時の備えはまったくない。

   われわれは21世紀の結末を見ることはできませんが、21世紀はおそ

   らく近隣諸国との関係をうまくやった所だけが生き残れると思います。

   すでにドイツは独仏関係東ヨーロッパとの関係などはいろいろ問題があ

   るにせよ完全に改善していますからそのまま21世紀に滑り込めます。日

   本は21世紀になって初めてそれをやらなくてはならないのです。

加藤 当然、日本は統一された朝鮮とどういうパートナーシップを築いていく

   のかという視野を持つべきですね。そして13億人の中国とどのように付

   き合かというスタンスも決める。

   ハンチントン氏ではないですが現在の日本は世界に本当の友人というの

   を持っていない国ではないのでしょうか。アメリカにたいして一方的に

   友人だと思い込んでいるのは片思いであって向こうはそうは思っていな

   い。彼らの意識は完全に中国だと思いますが。

河上 19世紀の末から20世紀にかけてですがアジアでは日中米は一種の三

   角関係でして必ずそのうちの二辺が手を組んで他の一辺に対抗するとい

   う形できています。

   1945年までのアメリカは米中で日本に対抗し、47年以降は日米で中国に

   対抗することになるわけです。おそらく21世紀はいまのままでいけば

   米中で日本に対抗というよりパッシング=無視していくようになる可能

   性がある。

   そこら辺を自民党の議員、まして民主党・社民党・共産党など野党

   の議員は議論を深めて貰わなければなりません。

加藤 先生は著書でニクソン訪中の10年ぐらい前から米中接近説を強く指摘し

   ておられました。ですから今後も両国関係にはドラステイックな展開が

   ありうることを踏まえておくべきですね。

河上 そういう場合に、政治家同士で個人的な人間的接触を持つことが非常に

   大事なのです。たとえば、『ここしばらくは貴方と握手はできないけれ

   ど貴方を信じている』とか。そのくらいの際どいなかでも信頼関係をも

   つ政治家を何人か持っていなければと思います。

   そして中国とアメリカが握手しやすいのは、アメリカにはアメリカ国籍

   をもった中国人が沢山いるが日本には華僑はいるけれど日本国籍をもっ

   た中国人は非常に少ない。それが何かの時に生きてくるのです。

   キッシンジャーがニクソンに先行して毛沢東や周恩来に会ったときに、

   国務省の中国語の通訳を連れて行かずに中国側の「唐聞生」という女性

   の通訳を使うのですが、 

   この人はアメリカ生まれの中国人で新中国になって中国に帰った人

   なのです。

   キッシンジャーは、いきなり『貴女はアメリカの大統領になれるけ

   れど私はなれない』と彼女に冗談を言うところから始めます。つまり、

   アメリカではアメリカで生まれた人でなければ大統領になれない。キッ

   シンジャーは親につれられてアメリカにきて国籍を取得しているから駄

   目なのです。そういう会話を重要会議の冒頭にパットやれるような人間

   関係なんていうのは日本ではちょっと考えられない。

加藤 東大教授の「姜」先生が『在日』という著書のなかで日本・中国・ロシ

   アなど極東に韓国人でそれぞれの国籍を持った者が約300万人いる。し

   かし『在日』の人たちの場合は祖国をもって外国に滞在している外国人

   とは違って日本で生まれ、韓国からも日本からも疎外されているが極東

   アジアの平和構築の関係性をつくるために働くことによってアイデンテ

   イテイ-を確立できることを意識したと書いているのは今先生が言われ

   たことにも通じると思います。

河上 それと、日本統治時代に海外に出た韓国・朝鮮人は日本にだけ来たので

   はないのであって中国にもロシアにもアメリカにも行っているのです。

   今300万といわれたがアメリカには100万くらいいるのでロスアンゼルス

   のある地区などハングルが氾濫しています。

   日本に異質なものがあるというのでなくて韓国朝鮮人がそのように分布

   していて、たまたま日本にもきているのだという感覚を持つことが日本

   にとって重要です。

   そして、いま言われたように、あちこちに流出した朝鮮民族が一つ

   の結節点になって日本と中国などを結び合う役割を担うことに意義を見

   つけるというのは分かります。私がそれを実感したのは、私はいま聖学

   院大学の大学院で教えていますが、その中に中国延辺地区の延吉大学出

   身留学生がいるのです。一方韓国からも留学生が来ていて両方とも女性

   なのですが休憩時間に彼女たちが話しているのを聞くと韓国語なので

   す。それで中国からきている留学生に韓国語をどこで覚えたのかと聞い

   たら私たちは小学校・中学までは韓国語で教育を受けましたというので

   す。中学に入って初めて中国語(標準語)を勉強し、上に行くと中国語

   なのだというのです。

   そのような基本的なことも私たちには頭に入っていないのだと思いまし

   た。

   あれだと脱北者がまず延辺地区に潜り込むわけですよ。中国公安当

   局もたまには捜索しないと北朝鮮に顔むけできないから時々やると運の

   悪い人が捕まって追い返されるのですが、ああいう所に入ればわからな

   いわけです。

   でも聞いてみると南の韓国語と北の朝鮮語と延辺地区の朝鮮語とみ

   んな違うらしいからすぐ分かるらしいのです。

加藤 少し話題を変え国内問題や対米関係でのエピソートなどお話をいただけ

   ませんか。

   先生はマンスフイールド駐日米国大使とも親交が深かったと聞いており

   ます。

河上 21世紀を振り返ってみると、よく言われるように『戦争と革命の世紀』

   なのですが19世紀に栄えた王朝は殆ど滅びています。ロマノフ王朝は典

   型的ですがそのなかで変質せざるを得ないながら大きな国としてはイギ

   リスと日本だけはつづいているのだが、それでもイギリスは英連邦の頭

   という形は変わり、日本も明らかに象徴天皇になった。

   大正天皇に摂政を置いたときなどは危機のなかでどうやって生き残

   るかという支配層の懸命な知恵だったのです。「御名御璽」というのは

   詔勅などに天皇が署名捺印する仕事で結構忙しいと聞きますが、摂政を

   おいたときに印璽を職員が持ち去ってしまい、天皇が探すという悲惨な

   話になったのです。

   いま、女帝問題が議論になっていますが、これは明治の皇室典範で

   皇位継承順位を定めるなかで「嫡を先にし庶を後にし」と明記し天皇に

   側室をはっきり認めていたのを戦後の風潮の中で削ったときにすでに変

   質が起きていたのです。

   女帝という形で切り抜けるかどうか。

   もちろん日本の天皇制では古代から近世まで十代八人の女帝が即位

   し、江戸時代にも二人の女帝がおられる。

加藤 女帝になったとして果たして今の宮内庁なるもので旦那にあたる男性を

   見つけられ

   るのかという意見もあります。今度の黒田さんは秋篠宮の世話であ

   って宮内庁は何もできなかったわけです。

河上 そうなると宮内庁はいらないことになりますね。黒田さんみたいな丁度

   いい人がいるかどうか。(笑い)

加藤 それでは、もう少し他の角度から「20世紀の戦争と革命」についてお話

   しいただけませんか。

河上 「20世紀の戦争」については、軍人だけの戦争でなくて市民を巻き込ん

   だものであったことが特徴ですが、「革命」について言えば、結果とし

   て成功したというわけにはいかないがソビエット革命の場合、ソ連邦が

   あれだけ権威を持ち得たのは歴史の「発展段階説」という理論がインテ

   リはもとより庶民まで滲み通っていたからだと思います。資本主義よ

   り社会主義は上なのだという理論的権威があった。ところが歴史をみる

   と社会主義が資本主義に戻るという現実がある。発展段階説なんて言う

   ものはなんの保証もなかったことになる。(笑い)

   では社会主義なるものはまったく無意味であったのかということになる

   のか。

   とるべきものがあったとすれば何なのか。

   もう一つは「民族」の問題です。日露戦争の頃は2桁ちょっとしかな

   かった独立国家がいまは200近くある。

   それとデモクラシーが普及したことです。1900年段階ではアメリカです

   ら女性参政権はなかったのです。いま、アフガンでタリバンが女性の権

   利を認めないと問題にしているのですが、その基準を当て嵌めれば19

   00年始めには世界のどこにも民主主義はなかったことになる。それが

   いまでは殆どの国にある。そういう中でこれからどうするのかというこ

   とになる。

   世界の旧宗主国で旧植民地国とギクシャクしているのは日本だけで

   す。

加藤 ところでアメリカ民主主義の話しがでましたが先生は元駐日米国大使の

   マンスフイールド氏と親交が深かったとお聞きします。大使はお客さん

   には自分でコーヒーを入れてもてなすので有名なのだそうですが。何か

   エピソートがあればお話ください。

河上 それについてのエピソートではマンスフィールド氏の追悼会をホテル

   オークラでやった時、元同僚議員でいまの駐日大使が「皆、マンスフ

   ィールドが入れてくれたコーヒーを有難そうに飲んでいたがコーヒーは

   ひどいものだった」と言ったとき、出席者がどっと笑ったことが記憶に

   あります。ようするにインスタントコーヒーを入れたわけです。でも、

   議会に訪ねた選挙民にとって議員が自らいれてくれたコーヒーがどんな

   に素晴らしかったか想像にかたくありません。

   私とは20歳以上も違うのですが、どういうわけか懇意にしてくれまし

   た。

   大使としてであると同時に議員の仲間として貴方に敬意を表するという

   ような付き合い方がありました。

   いつのことでしたか、彼が質問はないかと聞くので「北朝鮮との国交回

   復はともかく連絡事務所を置くなどを日本の頭越しに決めることはない

   か」と聞いてみたのですが「それはない。中国のとき、あとが大変だっ

   たから繰り返したくない」というのです。

   ニクソン訪中のとき、彼は民主党の院内総務でした。定例的にニクソン

   と朝飯会をやっていて3回も米中接近について聞かれ、最後に貴方に特

   使として中国に行って貰えないかといわれたが、アメリカ憲法は三権分

   立を定めていますから議会の代表者が政府の外交の仕事を受けるわけに

   はいかないと断ったそうです。しばらくしてキッシンジャーの訪中とい

   うニュースに接したそうです。

   この話を聞いて当時の土井委員長など社会党幹部はビッグニュース

   として記者発表したかったのですが、それはマンスフィールド大使の意

   向を尊重して中止しました。

   この話で私が感じたのはいかに秘密を守ることが大事かということ

   です。与党の共和党の幹部に話さないことを民主党の院内総務に話した

   のはマンスフィールドなら口は堅いと信じていたからだとニクソンは書

   いていますが、これはマンスフィールドの話の裏づけになります。

   特だね的な情報に接したとき、政治家は難しいですね。すぐ記者クラブ

   に直行したのでは二度と本当の話しはして貰えない。その反面いつまで

   も真相があきらかにできない

   ジレンマはありますが私は秘密を堅く守ることに徹しているつもりで

   す。

   われわれのかっての同僚でも、すぐ記者クラブに飛んでいく人が多かっ

   たです。

   日中国交回復のときも、あれだけ社会党は途を拓くために働いたのです

   けれど最後の段階で中国側は公明党を撰びました。どこにも記録として

   残ってはいませんけれど秘密の漏れる心配をしたのではないかと思いま

   す。公明党は口は堅いと踏んで、大局的な話は佐々木更三氏から伝えた

   としても細かい条件などは最終的に竹入氏に託したのでしょう。

加藤 最後になりましたが、河上先生は中国との交流事業をやっておられたの   ですがどのようなものですか。

河上 いまの胡錦濤氏がまだ全国青年連合会主席のとき彼が中国側窓口で私が   日本側代表になり「日中文化技術協力委員会」というのをつくって5年

   ほど中国で選抜された優秀な青年を受け入れ日本の大企業で研修をする

   仕事をやりました。

   もともとは中国共産党の幹部喬石氏が当時の社会党田辺書記長に頼んだ

   のが契機で私に役が回ってきたものですが、幹部候補生になるような人

   材ばかりが送られてきて、いまでは各界でリーダーとして働いているよ

   うです。

加藤 長時間のお話を有難うございました。

河上民雄氏紹介〔編集部註〕

東海大学名誉教授。聖学院大学大学院客員教授・元日本社会党国際局長。

1925年兵庫県生まれ。48年東京大学西洋史学科卒。
63-64年コロンビア大学留学。

日本社会党委員長であった河上丈太郎のゴーストライターを14年間

つとめる。

67年衆議院議員当選。7期20年在職。77-82年日本社会党国際局長。

外務委員会理事・物価問題特別委員長など歴任。
この間精力的に外交活動展開。

中国・朝鮮の首脳、社会主義インターの友党、アメリカ・ロシアな

どに幅広い知己をもつ。

〔河上民雄教授主要著訳書一覧〕

G・D・Hコール著 イギリス労働運動史  共訳書    岩波書店

社会主義教科書(原理篇) 共著書           春秋社

シドニーフック著 マルクスとマルクス主義者たち 共訳書 

                       社会思想研究会

J・ストレイチ著 大いなる覚醒       訳書   有紀書房 

現代政治家の条件  著書               春秋社  

政治と人間像    著書             人間の科学社

G・M・トレヴェリアン 英国社会史   共訳書    山川出版社

社会思想読本      共著書          東洋経済新報社

J・ストレイチー   帝国主義の終末  共訳書    東洋経済新報社 

セオドア・ソレンセン  ホワイトハウスの政策決定の過程 訳書  自由社

賀川豊彦と川崎争議(『近代日本を作った百人』所収)執筆   毎日新聞社

大杉栄「正義を求める心」(『日本近代の名著』所収)執筆   毎日新聞社

チヤールス・フランケル   近代人の擁護  共訳書      東海大学

キリストの証人たちー抵抗に生きる  共著書        日本基督教団

社会党の外交       著書