■書評
「政治と秋刀魚」 ジェラルド・カーチス著(日経BP社刊1600円)
山口 希望
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インターネット・マガジン『オルタ』の読者には、おなじみと思われるジェラ
ルド・カーティス・コロンビア大学教授の著作である。知日派第三世代を自認す
るカーティスが日本語で書いた本書は、自叙伝であるとともに、日本政治の入門
書としても読める。
サブタイトルは「日本と暮らして四五年」である。コロンビア大学教授のカー
ティスは、長く日米間を往復して来てはいるが、45年間もずっと日本で暮らして
いたわけではない。その45年とは、「はじめて来日した昭和39年(1964年)以来
、日本を専門に研究する比較政治学の学者の道に」入り、「日本とともに人生を
送ることになった」45年のことである。
知日派を分類すると、第一世代は、ライシャワー元駐日大使やヒュー・ボート
ン元コロンビア大学教授に代表される、戦前の日本研究者である。1941年当時、
全米でわずか十数人だったそうである。
第二世代は、日米開戦後に増強された陸海軍日本語学校出身のドナルド・キー
ンやハーバート・パッシン・コロンビア大学教授らである。彼らが政府やフォー
ド、ロックフェラー財団に働きかけた結果、日本の地域研究が充実する。その果
実がカーティスらの第三世代である。
パッシンによれば、出発点が戦争である第二世代ほどの気負いもなく、「もっ
と抽象的で距離がある」のが第三世代であり、戦争と占領の経験による、「"教
え導こう"とする第一、第二世代の意識はもうない」という。
しかし、四畳半に住み、定食屋で秋刀魚を食べ、銭湯に通って、せんべい布団
で寝たカーティスは、40年以上経っても、苦労した西荻の思い出は懐かしいとい
う。第三世代は、その密着さゆえに、この国に対して「熱い」のではないかと思
う。続く第四世代は、日本をソ連に代わる脅威ととらえるジャパン・パッシン
グ派であり、第五世代に至ると、バブルから立ち直れなかった「ダメな日本」
が研究の出発点だという。このことから、距離はさらに開いているようだ。
アメリカの金融バブルがはじけた現在、バブル処理の反面教師である日本
を、今日の知日派はどのようにとらえていくのであろうか。本書はその参考書
ともなろう。
さて、「西荻あたり」で、鯖や秋刀魚を食べながら、日本でのフィールド・リ
サーチを開始したカーティスは、アメリカに帰国後、コロンビア大学に来ていた
日本の友人との会話から、中選挙区制における代議士の選挙運動に興味を持った
。再来日した彼は、ライシャワー大使のもとで報道官をしていたナサニエル・セ
イヤーに面会する。そして、セイヤーの仲介で中曽根康弘が紹介した、大分2区
の新人候補者であった佐藤文生の選挙区に住み込むことになる。
大分での選挙を描いた『代議士の誕生』出版時には、書けなかったエピソード
が、『政治と秋刀魚』には織り込まれている。それは、選挙公示後、「2,3人し
か入ってはいけない」部屋にあった「実弾」(選挙資金)の取り扱いである。当
時は公表できなかったにせよ「なんでも見ていってくれ」とすべてをカーティス
にさらした、開けっぴろげな佐藤文生の度量は評価に値する。また、関係者が亡
くなった今日の時点まで待って、当時の成果を公開したカーティスの、研究者と
しての配慮と誠実さにも敬意を表したい。
時折、軽妙な筆致で挿入される失敗談も微笑ましく、「愛されるガイジン」と
してカーティスが成長していく様子は興味深い。
カーティスは、28歳で日米議員交流プログラム運営と、より民間レベルの日米
交流である下田会議で、パッシン教授の腹心という、重責を担うことになる。彼
は自らを「レイト・ブルーマー」(遅咲き)であると謙遜しているが、28歳とは
何と早いデビューであろう。彼がまだ、博士号も取得していない時点であった。
カーティスが苦労したのは、日米の議員交流のパイプを太くし、共和党、民主
党のどちらが政権をとっても、日本と「特別な関係」を保つことのできる、米英
関係のような、安定した国家関係を築くことであった。
交流プログラムに参加し、のちに駐日大使を続けて務めたフォーリーとベイカ
ーがそれぞれ民主党員と共和党員であることは、その成果を物語っているだろう
。
現在のアメリカの対日政策の基本となっている「アーミテージ・ナイ・レポー
ト」も、それぞれ二大党派に影響を持つアーミテージ(共和)とナイ(民主)に
よって書かれている。
本書から感じられる、カーティスの日本政治に対する愛着は一通りのものでは
ない。
良質な保守主義者のエッセイを読んでいるようでもあり、かつての社会党右派
の議員の話を聞いているようでもある。奇異に感じられる読者もおられるかと思
うが、カーティスは、87年の『「日本型政治」の研究』で、労農派以来の日本社
会党について、網羅的な研究を行っており、旧社会党関係者との交流も深い。55
年体制の良き理解者でもあるのだ。
先日、私は本誌オルタ代表である加藤宣幸さんの紹介で河上民雄先生にお会
いする機会があった。河上先生はかつて著者のカーティスに「なんで社会党の
研究をしたの」と尋ねたところ、「それはあなたの授業がきっかけですよ」と
の返答だった、と愉快そうに語っておられた。63,4年頃、コロンビア大学で大
統領補佐官の研究をしていた河上先生は、カーティスの指導教官であるモーレ
イ教授の勧めによって、コロンビア大学で日本社会党の講義をされておられた
のだった。若き河上先生との出会いは本書でも触れられている。
日本では衆議院の解散をめぐって迷走が続いている。しかし、アメリカ大統
領選は、間もなく投票日を迎える。現在のところ、民主党のオバマ候補が優勢
である。
カーティスは、ジョセフ・ナイとともに、オバマのアドヴァイザーであると
いう。オバマ政権が誕生した場合、彼が批判的である麻生太郎政権や、ダイナ
ミズムを失った日本政治に対し、どのような関係を模索するであろうか。
私は、カーティス流にいえば、アメリカ次期政権に対し、自民党、民主党と
の関係ではなく、どの政権になっても親しい関係を築く努力を望むものであ
る。そのためには、わが国の政権にも、チェンジが必要であることはいうまで
もない。
それにしても、日本の政治と社会に深く関わってきたカーティスの45年の重さ
を感じる。体験に裏付けられた知識とその洞察力は、余人には及びがたい。
また、その日本語の巧みさと美しさ、そして何よりも読み物としての面白さは
特筆したい。タイムリーな好著である。
(筆者は法政大学大学院生)
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