【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

「仏教国」で僧院を破壊し僧侶を殺害する「国軍」とは何か:ミャンマー

荒木 重雄

 去る7月に国際社会の制止を振り切って執行された、アウンサンスーチー氏の側近ら民主活動家4人の死刑に象徴されるように、昨年2月のクーデターで実権を奪った軍政による民主派勢力や少数民族への弾圧が、陰湿さを増して続き、残虐さを加えている。
 
 クーデター後、街頭でのデモなど公然の反軍政活動を封じられた民主勢力は、抵抗政府「国家統一政府(NUG)」を結成し、傘下に、軍政の暴力に対抗する「国民防衛隊(PDF)」を組織した。PDFに参加した学生や若者たちは、国境周辺で国軍と戦い続けている少数民族武装勢力のもとで訓練を受け、各地でゲリラ戦を挑んで、けっして国軍を凌駕できる力量ではないが、抵抗を根絶できぬ軍政に焦りをもたらしている。

◆僧侶の受難と不可解な事態

 このようななかで、軍政による僧侶の殺害が行なわれているという。
 
 JBpressが、現地の独立系メディア「イラワジ」などが明らかにした情報として報じるところによると、クーデター以降、少なくとも52人の僧侶が、国軍に殺害されたという。軍政トップのミンアウンフライン国軍司令官もその事実を認め、彼らは「僧侶を装った反軍政テロ組織のメンバー」だとし、「責任は武装市民側にある」とうそぶいている。

 国民のほぼ9割が仏教徒のミャンマーでは、人々の仏教僧に寄せる尊敬と信頼は厚い。そのような国でこれはいったいどうしたことだろうか。
 
 昨年10月、マンダレー地方で行われた僧侶による反軍政デモに対して、軍が装甲車両でデモ参加者を轢き殺し、さらに執拗に銃撃を加えた事件が、現地では知られているが、そのような事件ばかりでなく、最近各地で頻発している、国軍による仏教僧院への襲撃、捜査、略奪、破壊に巻き込まれて死傷したり、その際、反軍政を疑われて拘束された僧侶が、獄中での非人道的な扱いや拷問で死亡したりのケースが含まれるのであろう。不当な判決で勾留されている僧侶は数知れぬという。

 一方、僧侶をめぐっては不可解な事態も起こっている。
 ミャンマー国境に近いタイ北西部メーソート郡に、ミャンマーの僧院の出先の僧院がある。そこで8月、タイ警察が、タイに滞在する許可証を所持しない28人のミャンマー人を逮捕したところ、そのなかに、複数のミャンマー軍政のスパイが紛れ込んでいたというのだ。かれらは僧侶や尼僧の装束を身にまとって変装していた。
 メーソートには多くのミャンマー人が軍政による弾圧や襲撃を恐れて逃れてきており、かれらのなかから武装市民メンバーや反軍政活動家を特定したり、その動向を探るため、軍政がスパイを送り込んでいたのだ。
 この手は、タイばかりでなく本国でも使われているようだ。

◆僧侶に受継がれる闘う伝統
 
 じつは、仏教僧と国軍の間には長い対立がある。否、ミャンマーの反軍政運動には仏教僧の登場が欠かせないというべきか。
 
 それが最初に注目されたのは1988年の大規模な民主化運動であった。ラングーン工科大での学生と治安部隊との衝突から始まった運動は、やがて、広範な市民、労働者、知識人を巻き込んだゼネストに発展し、首都ヤンゴンの路上は数十万人のデモ参加者で溢れた。そのなかで一大勢力として登場し人目を惹いたのが、若い僧侶の隊列であった。前述のように、ミャンマーは僧侶に厚い尊敬と信頼を寄せる社会。そこでの隊列を組んだ僧侶の登場は、人々に大きな勇気を与えた。だが運動は、軍政の仮借ない弾圧に遭遇し、数千人の犠牲者を出して鎮圧された。運動の先頭に立った学生と僧侶に犠牲者が多かった。
 
 次に青年僧たちが運動の前面に立ったのは2007年のことであった。物価の高騰から反軍政の気運が高まっていたが、弾圧の過酷さを知る市民の立ち上がりは鈍かった。そこに再び登場してきたのが若い僧侶たちであった。その僧たちのデモに軍が発砲し、殴打、拘束したことで誇りを傷つけられた全国の僧侶たちが反軍政の大きなうねりを呼び起こし、その動きに促された市民が、そのうねりを包むさらに大きなうねりをつくった。この運動は、僧衣の色に因んで「サフラン革命」と呼ばれている。連日、数千人の僧侶を含む数万人のデモがヤンゴンで繰り広げられ、僧侶だけでも数百人が逮捕され、数十人が死傷した。

◆国軍とはたんなる利益集団か
 
 だがミャンマーの仏教界が全体として反軍政、民主化支持のわけではない。88年や07年の民主化運動のさなかには、軍政が組織した国家僧侶委員会の高僧たちは、全国の僧侶に政治活動にかかわらぬよう指示する通達を出したり、また、若手僧侶たちが軍関係者からの寄進を拒否するなかで、軍幹部から多額の寄進を受け取る高僧の姿をことさらに国営テレビで流すなどして、運動にかかわる若手僧侶たちの反発を買った。
 宗教界一般の例に漏れず、ミャンマーの仏教界も体制としては政権寄り、軍政寄りであろう。仏教界と軍政の上層部どうしの癒着は衆目にも明らかである。だが、日々、生存を託す托鉢で庶民の暮らしと思いにじかに触れる僧侶には別の思いが湧いてこよう。
 
 それはともかく、現在の軍政の動向を見ていると、ミャンマーの「国軍」とは何かとの疑念が、改めて浮かんでくる。「仏教国」とよばれ、仏・法・僧への信仰が厚い民衆の想念や文化から隔絶し、平然と僧侶を殺せる国軍とは、もはや「国」軍ではなく、暴力を保持した、たんなる利益集団、利権集団である。

(2022.10.20)
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